講談社文庫 興津 要校注
ご存じ、江戸者弥次郎兵衛、喜多八の少し品は悪いが、気のいい、憎めない小悪人の展開する東海道の道中記である。読者は、織り込まれた各地の伝聞、風俗等に旅情を感じ、失敗談に抱腹絶倒し、狂歌に思わずにやりとする仕掛けである。
知らず知らずの内に出版当時(1814年)の様子が分かる。
出だしの「武蔵野の尾花が末にかかる白雲と詠みしは、むかしむかし、…・今は、井の内の鮎を汲む、水道の水とこなしえにして、土蔵作りの白壁建ち続き、香の物桶、明俵、破れ傘の置き所まで、地主、唯は通さぬ大江戸の繁盛…」でまず当時の江戸の様子がかいま見られる。また東海道は交通は相当に頻繁、宿場は結構栄え、ほとんどが徒歩旅行、女子供でも案外安心して旅が出来たようである。
ギャグは最初のうち冴えており、面白い。五右衛門釜の使い方がわからず底を抜いてしまう話、わらづつにいれてあったスッポンが夜中に抜け出し、主人公が食いつかれた話、旅は道連れと思って相宿したところ懐中の物を盗まれすってんてんになってしまった話、茶屋で酒を飲んでいる二人の座頭にでくわし、徳利の酒を飲んでしまった話、渡しで相棒を担いでわたろうとする座頭の背中に乗った話、女中のもとに夜這いに出掛けるが、抱いたのは石の地蔵だった話、焼き蛤が懐に飛び込んでしまった話、拾った富くじに大当たりのつもりでどんちゃん騒ぎをしたが実ははずれだった話などいづれも現代感覚で読んでも面白い。
しかし、後半になると2番せんじ近い物も時折見られる。たとえば障子を買う話は、梯子を買う話を思わせるし、船の中で小便をする話なども2度位使っている。
狂歌は作者の知識の広さと才気を感じさせる。
水風呂の釜をぬきたる科(とが)ゆえに やど屋の亭主尻をよこした
=尻をよこしたは責任を取らせたの意
よねたちとねたる側にはすっぽんも はずかしいやら指をくわえた
=よねは遊女たちのこと
同時に現代と比較すると江戸時代の良さを感じさせる作品である。現代であれば、警察送りになるような犯罪も「許してやっておくんなさい。」ですべて解決してしまうし、 一文無しになったと言えばどこかのお大尽に救われる…・なんとなく心が温かくなる時代であった。
020115