岩波文庫
漢詩というものを少しは勉強してみようか、と考えて書店に行き、この本があったのでなんとなく買ってしまった。読み進むうちにどうも同じようなスタイルだ、と感じ、改めて「これは唐代の詩を集めたものだ。」と気がついた。・・・・オソマツ!
この詩集を少しは理解するために、インターネットで調べたことをまとめてみる。
唐王朝は、618年太原総督だった李淵が、隋王朝の煬帝を殺害し、高祖帝として即位したことに始まる。日本では推古天皇の御世である。都は長安、今の西安である。武氏の専横が始まり、690-705年の間武則天が実権を握り、国名を周と改めたときもあったが、元に服した。
8世紀中庸、西域出身の安禄山が、頭角を現し、玄宗皇帝に信任され、さらに寵姫楊貴妃にも取り入って北方三県の節度使を兼任するにいたった。しかし楊貴妃の従兄楊国忠と対立し、755年に反乱を起こす。世に言う安禄山の乱あるいは安史の乱。玄宗皇帝は蜀(現在の四川省)に逃亡するが、その途中兵士に要求されて、楊貴妃、楊国忠はじめ楊氏一族を殺さざるを得ないことになった。反乱は763年に鎮圧され、玄宗はようやく長安に戻る。この詩集に広く取り上げられている李白(701-762)、杜甫(712-770)、王維(699?-761)などはいづれもこの反乱に大きな影響を受けた。安禄山の乱以降、次第に唐王朝は、政乱とそのための国力低下やウイグル、吐蕃などの異民族の反乱に悩まされて弱体化し907年(ワスレテクレナと唐滅び、皆さん覚えているでしょう?)に滅びる。
この書は明の李攀竜(リハンリョウ、1514-1570)によって編纂されたといわれており、16世紀末から17世紀頭に出版されたと思われる。
中国の詩の歴史は唐代に一つの頂点に達した。宋詩の世界はもっと清澄であり、散文的、平板な方向に流れやすい。宋代の後を告ぐ元・明の詩人にとって詩の理想的な形をどこに求めるかは重大な問題であった。唐詩に軍配をあげ、詩の価値を決定するものは「格調」だと割り切ったのが著者李攀竜等である。格調とは詩の形式的な面をさすもので詩形・リズム・修辞などを含む。そして彼らの主張に従えば、最も格調の高いものが盛唐の詩だというのである。
しかしこの思想は明末から清代初期にかけて「詩において必要なのは形式ではなくて精神である。模倣によって優れた作品は作れない」として激しく非難された。「唐詩選」はこのような風潮の元に見捨てられたが、日本では違った。荻生徂徠が李攀竜を宣伝し、弟子たちが「唐詩選」に訓点をつけるなどして出版し、江戸時代にはベストセラー的扱いをうけた。
五言古詩14首、七言古詩32首、五言律詩67首、五言排律40首、七言律詩73首、五言絶句74首、七言絶句165首の合計465首が収められている。唐詩の選集として唐詩三百詩とならび日本で幅広く読まれている。詩の選定については李攀竜好み、といわれ懐古・送別・旅愁の詩ばかり選びすぎた、といわれている。また白居易の社会詩などはまったく無視されている。
この書は、原文、書き下し分、日本語解釈文に加え、漢詩の形についての解説等がかなり加えられ、我々漢詩に興味を持つ日本人になかなか分かりやすく書かれている。また三巻末には唐代の詩人の簡単なプロフィルが紹介されており、役に立つ。
ただ私は読んで漢詩というものは日本人にはなかなか理解できぬ壁があるのではないか、と考えた。文字の意味やニュアンス、音の響きが全然検討がつかぬ。その理解なくして、日本の俳句を西洋人が理解できぬように、漢詩を理解することも難しいのではないか?
最後に気になった詩を二つほど・・・・。
楓橋夜泊の詩 張継
月落烏啼満霜天 江楓漁火対愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘聲到客船
静夜思 李白
牀前看月光 牀前、月光を看る(牀前=寝台の前)
疑是地上霜 疑うらくは是れ地上の霜かと
挙頭望山月 頭を挙げて山月を望み
低頭思故郷 頭を低(た)れて故郷を思う
ところでこのようなおとなしい詩と同時に戦地での寂しさを歌ったもの、国の荒廃した様子嘆くものも多い。それらについては時代の現実を垣間見させるものも多く興味を引く。本書には載っていないが杜甫の五言律詩を挙げておく。
春望 杜甫
國破山河在 城春草木深 感時花濺涙 恨別鳥驚心
烽火連三月 家書抵萬金 白頭掻更短 渾欲不勝簪
090220