新潮文庫
鳥羽伏見の戦いで会津は破れ、慶喜には賊軍の名が着せられた。やがて官軍は江戸城を無血開城させた。彼らにとって次は会津征伐である。
越後長岡藩は官軍の到来にそなえ、継之助は義を重んじ恭順派をしりぞけ、官軍との対峙のなかに回答を見つけだ そうとする。時代の流れは止めようもなく、上野で彰義隊が粉砕され、山県狂介、黒田了介を将とする官軍はひたひたと押し寄せてくる。継之助は、最後まで戦をさけ、有利な形で講和をしようとするが、頑固な岩村高俊に受け入れられず、失敗する。
戦いは最初長岡藩が榎峠を押さえるなど、必ずしも不利ではなかったが、山形狂助の奇策により、町に攻め込まれ敗退する。継之助は負傷し、会津を頼って落ちるが一命を閉じる。
歴史的状況をきちんとふまえており、書きぶりもすっきりと爽快感を与え、作者の豊かな想像力と相まって非常に面白い作品であることはいうまでもない。彼は「長岡藩士という立場」に殉じた継之助を通じて、芸術的にまで完成された男を描きたかったと思われる。然し、一方では亀井俊介の解説にあるように「ある種の犠牲」の上に成り立っている話であり、それがすっぱり省略された書き方をしている点も見逃せないように思う。そしてそれが中村正則の「司馬遼太郎氏の史観は天才主義である。民衆が演じた役割、経済的要因が欠如している。」との批判につながるのかもしれない。
・鳥羽伏見の京方の戦勝は世界中の主要新聞に掲載され・・・(66p)
・「西洋事情」を書くに当たってリバーテイという言葉を「自由」と訳した。はじめは「御免」と訳そうとした。・・・ライトは福沢は最初「通義」といっていたが・・・(105p)
・儒教は王をたすけて人民の幸福をはかる政治思想であり・・・(110p)
・彼は藩という荷物を背負っているがために、福沢のように広がりのある思想の広野には出ようとせず・・・(116p)
・一人の人間が大勢の人間に物を言うなどと言うことは日本人の習慣の中では想像もつかぬ事であった。(172p)
・覚悟というのは常に孤りぼっちなもので、他の人間に強制できない物だ。(178p)
・偉大な政治家をその頭に持たぬ軍事的決起は、草賊のあつまりにすぎない。(234p)
・山を例に考えて見よ。キコリが山を見て考えることは山の木を切り倒すということだけだ。金持ちが山を見ればその山を山ぐるみ買い取ることを考える。木を倒すだけが戦ではない
(491p)
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