新潮文庫
この作品が書かれたのは昭和19年、著者が36歳の時である。津軽で生まれながら、まだ津軽を全体として見たことの無かった著者は生まれ故郷の金木をふりだしに、友人を訪ねながら3週間の旅に出かける。最初は蟹田から三厩を経て龍飛岬をめざし、次に木造、鰺ヶ沢を経て深浦、かえりに自分を子供の時に面倒見てくれたたきさんを訪ねる。
最初に「私はこの度の旅行で見てきた町村の、知性、地質、天文、財政、沿革、教育、衛生などについて知ったかぶりは避け、愛を描きたい、津軽の現在生きている姿を、そのまま読者に伝えたい。」と書いている。(26p)そしてその通り、いろいろ後から調べて加筆しているものの、本質的には旅して感じたままを偽ることなく原稿用紙にぶつけており、そこがこの作品の素晴らしいところだ。酒を飲みながら、知人との邂逅を楽しみながらする旅が味がある。太宰の一方的な思い入れもあろうが、津軽の人たちの人情みたいなものがよく描かれている。
最後のたけさんとの再会がクライマックスになっている。「乳母にわかれて、その乳母のかわりに子守として雇われたのが、たけである。私は夜は叔母に抱かれて寝たが、その他はいつも、たけと一緒に暮らしたのである。三つから八つまでたけに教育された。(159p)たけから本を読むことを教えられ、二人で様々の本を読みあった。たけは私の教育に夢中であった。(157p)」そうしたたけに再会すると、「(たけは)次から次と矢継ぎ早に質問を発する。私はたけの、そのように強くて無遠慮な愛情の表し方に接して、ああ、私は、たけに似ているのだと思った。」(176p)
旅行記もこんな風にかけたら楽しい、と正直思った。旅行ガイドなどは心が無くていけない、著者のぶつけるものがなくていけない。
・林檎なんてのは、明治初年にアメリカ人から種をもらって試植し、それから明治二十年代にいたってフランスの宣教師からフランス流の剪定法を教わって・・・(47P)
・肉親を書いて、そうしてその原稿を売らなければ生きていけないと言う宿業を背負っている男は・・・(117P)
・古池や蛙飛びこむ水の音・・・余韻も何もない。ただのチャポリだ。いわば世の中の本の片隅の、実に貧しい音なのだ。貧弱な音なのだ。芭蕉はそれを聞き、我が身につまされるものがあったのだ。(123P)
・深浦について(146P)
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