新潮社ハードカバー
海の都の物語をよむ。ヴェネツイア共和国1000年の歴史であるが、著者は
「ヴェネテイアという国家を一個の人格として取り扱うつもりでいる。・・・国づくりによって培われたその人格が、これ以後の様々な事態に、どのように対応したかを、ひとつひとつのラコント(物語)を語ることによってかいていくつもりでいる。」
としてスタートする。以下この本で7つ、続刊で7つの物語を語る。ラコントの簡単なまとめを紹介する。
第一話 ヴェネツイア誕生
アッツイラのフン族に追い詰められた人々は、神の啓示に従って海に住み始めた。やがて彼等はそれになれ、シャルルマーニュ大公の息子ピピンが攻めてきたときには汐の干満の差を利用して彼らをしりぞけた。これによりビザンチン帝国に属すると共に、交易の自由を認められた。あわせて首都を現在のリアルトにうつした。ヴェネツイアの国土はラグーナに築かれた海を運河とし、人口の地盤を作ってなりたたせた。住居はそのような生活環境にあうように工夫された。やがて6つの教区に分かたれ、それらを結ぶ無数の橋がかけられた。
第二話 海へ!
998年ザーラを皮切りに諸都市を支配し、アドリア海を制圧した。海賊退治も徹底して行われた。塩と塩漬けの魚であった時代から、海洋交易時代にはいると奴隷や木材が加わり、交易範囲も北アフリカからビザンチン帝国の了解で、イスラム世界へ広がってゆく。そのために当初のローマ教会主導の十字軍等とは距離をおいていた。「はじめに商売ありき」この精神でヴェネツイアは以後1000年を生き抜く。船は帆船が使われたこともあったが、風に左右されないガレー船に移って行った。こちらは軍船としても強い。
第三話 第四次十字軍
1198年シャンパーニュ伯等を中心にエジプトカイロを目的とする十字軍の話がまとまった。しかし十字軍の運搬はヴェネツイアに依存することにした。ヴェネツイアでは用意する軍船、奴隷、食料等を用意し、騎士側は相応の金額支払いを約した。しかしいざとなると金も集まらず,騎士も不足した。交渉の末ヴェネツイアに反旗を翻したザーラを攻略することにし、1202年に成功した。しかし雨季にはいるためアフリカ行きは延期となった。
ところが亡命しているビザンチン帝国の王子からコンスタンチノープルを攻め落としてくれれば褒賞のほかエジプト行きの金も全額払うと申し出があった。ヴェネツイア軍も加わって1204年コンスタンチノープルが攻め落とされた。苦戦したが金角湾側からの船による攻めが成功したのである。後にはヴェネツイアの支配するラテン王国が出来上がり,以後約60年続くことになる。
第四話 ヴェニスの商人
ヴェネツイアの商人の損害の分散方式は徹底していて、ヴェニスの商人のように持船が全部沈没して文無しになるなどというのは非現実的であった。
ここでは海の商人としてのヴェネツイアの変遷を俯瞰する。
初期にはマイラーノに代表される商人兼船乗りが活躍した。この冒険者たちにコレガンツアなどの融資制度ができた。1204年に第4次十字軍でラテン帝国が出来ると黒海沿岸諸都市と交易できるようになった。「ムーダ」と呼ばれる定期商航路が1255年に開始された。黒海湾岸、小アルメニア、アッコン通商路、カイロ・アレキサンドリア航路などが確立された。1261年ラテン帝国滅亡、1291年アッコン陥落など痛く、ジェノバとの争いが熾烈をきわめたが、ヴェネツイアはそれなりに航路確保に成功した。1300年前後に羅針盤の導入などで航海技術が飛躍的に変化した。ライバルジェノヴァは帆船利用にこだわったが、ヴェネツイアはガレー船主体に変えて行った。簿記の導入、銀行設立などもされ、ヴェネツイアは栄えた。
第五話 政治の技術
中世西欧キリスト教社会には、神、法王、君主などが支配する上からの方式と、住民共同体が代表を選ぶ形の二つがあるが、いづれも欠点を持っている。前者は宗教の介入を許す可能性があり、後者は人間の欲望の介入をコントロールしなければならぬ。
ヴェニスはこの二つを組み合わせた形を考え出した。ヴェネツイアの元首は権威を神から授かるという点では第一の型に属するが国民から選ばれた代表によって選出されるという点では第二の型に属する。クイリーニ、テイエポロの乱、マリーノ・ファウエルの陰謀などでこの制度は揺らぐが、結果としてヴェネツイアは持ちこたえた。
第六話 ライヴァル、ジェノヴァ
初期、アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツイアの4つが海運国として栄えた。しかし十字軍輸送にかかわれず、まずアマルフィが脱落、ピサは神聖ローマ帝国皇帝派の旗幟を鮮明にしたため、法王派の反発を招き、次第に衰退して行った。ジェノヴァ、ヴェネツイア間では当初前者が優勢だったが、第4次十字軍の成功でヴェネツイアが優勢になった。以後1258年の第一次ジェノヴァ戦を皮切りに、和平と戦争を120年にわたり繰り返すが1378年の第4次ジェノバ戦で勝利し、アドリア海の制海権を得る。1571年のレパント海戦ではキリスト教連合の半分の勢力を提供して勝利する。
第七話 ヴェネツイアの女
ヴェネツイアには政治上の影響力を発揮できる女性は出現しなかった。著者もトルコのスルタンの妃になり、密に情報をヴェネツイアに送っていたチェチリア・バッホを紹介しているくらいである。女性は政治的には締め出されたが、社会的に重要で、招宴等で席を飾るのは女性たちであった。おしゃれに夢中になり、イヤリングや乳房の化粧に夢中になって男たちをあわてさせた。一方で未婚の女たちは家の中で押さえつけられ、男女交際もままならなかった。しかも結婚なければ女として無の存在で修道院に送られた。男たちは女たちの相手をつとめることに努力したが、それも無理と分かると、18世紀には「奉仕する騎士」制度を作った。
051113