続海の都の物語    塩野七生

新潮社ハードカバー


第八話 宿敵トルコ
海と結婚したヴェネツイアに対し、オスマントルコはまさに陸軍の国であった。
14世紀ビザンチン帝国がコンスタンチノープル周辺に追い込まれる中、オスマン帝国は拡張したが、一時アンカラでチムール率いるモンゴル軍に破れた。しかし1430年頃から回復し、メフメト2世は、ついに1453年にコンスタンテイノープルを落としてしまう。戦後に居留区を確保したヴェネツイアの商売だけは繁盛をしたが、10年もすぎた頃から、メフメト2世は、西進し、1470年にネグロポンテを落とした。ヴェネツイアはスルタンの暗殺もねらうが成功しない。1479年に一応の講和が成立するが以後ヴェネツイアはトルコの量にものをいわせた軍事力と正面から対峙し続けざるをえなくなる。

第九話 聖地巡礼パック旅行
「世の中には人に薦めるべきか、それとも薦めない方がよいと迷う事柄が三つある。第一は結婚、二つ目は戦争、最後の一つは聖地巡礼」
1480年フィレンツエではルネッサンスが華やかに開花していた頃、ヴェネツイアでは聖地巡礼旅行が盛んであった。ミラノ公国サントブラスカは、4月29日にミサを揚げた後、ポー河を下って、アドリア海から5月7日ヴェネツイアへ。船待ちの間、名所見物、旅の必要品等購入、教区の司祭、法王等の証明書、マムルーク朝のビザなど取得に費やす。6月6日にガレー船で出航。シロッコ風を避けながら船は進む。6月24日コルフ島、ここからはギリシャ。7月24日ヤッファで通行許可証獲得、いよいよ下船。観光を続けながら旅し、28日イエルサレム着。キリストのゆかりある地を訪問し数々の免罪を得た後、8月8日帰途につく。暑さで苦しみ巡礼等が何人も死ぬ。つい最近トルコが包囲したが結局あきらめたロードス島にも由る。ヴェネツイア10月22日、ミラノは11月5日であった。

第十話 大航海時代の挑戦
1492年にコロンブスが新大陸を発見、99年にはヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回ってインドにいたる航路を発見、それらのニュースはヴェネツイアを揺るがした。各地に商館を持ち、ペルシャ湾と紅海にむけ4つの定期通商路をもつヴェネツイアの地中海貿易は、1530年頃に完全に軌道に乗っており、ポルトガルを締め出すことに成功する。1580年にポルトガルはフェリペ2世によりスペインに吸収されてしまう。しかし16世紀、ヴェネツイアの産業構造は大きく変わる。香味料は1600年代に入ってから、モルッカ諸島を植民地化したオランダによって致命的な打撃を受ける。キプロス産の砂糖はブラジル産出現で、銀と真鍮はアメリカ産出現で衰退するが、毛織物工業、絹織物工業、石鹸、ガラス、書籍などの分野では大きく発展した。ただ、13,14,15世紀と続いた海外活動中心のヴェネツイア経済の主力は、資本の効率的運用や国内産業に頼るようになり、海洋民族である度合いは少なくなって行ったといえよう。

第十一話 二大帝国の谷間で
「強国とは戦争も平和も思いのままになる国家のことであります。わがヴェネツイア共和国は、もはやそのような立場にないことを認めるしかありません。」
1472年ネグロポンテを奪われたあたりから、ヴェネツイアの圧倒的な海軍力にも限界が見え始めた。設備はフル稼働していたが、人間が足りなかったのである。奴隷や罪人に恵まれず、募集によったがこぎ手や戦闘員など人が集まらないのである。
1538年のプレヴェザの戦いでは、スペインや他のキリスト教国と共にトルコに対抗しなければならなかった。そして二つの町を放棄した上で、トルコト秘密裏に講和を結んでいる。1572年、スペイン軍、法王軍と共に戦ったレパントの海戦では勝利を収める事ができたが、次年度は連合艦隊さえ組めぬ状況に陥った。その結果キプロスの譲渡など常識では考えられぬ譲歩をしてようやくトルコとの間に講和を確立させた。

第十二話 地中海最後の砦
「平和の甘美な果実を味わうのは、あらゆる政治的軍事的活動の究極の目標である。」
17世紀、ヴェネツイアはまさに平和を望んだが、周囲の状況がそうはさせなかった。ローマカトリック教会と宗教は信じる人の自由であるが政教分離は徹底されねばならぬとするヴェネツイアは、教会財産の制限を巡って争ったが、モデラートにやることで決着をみた。アドリア海の海賊ウズコッキは1618-19年にかけてようやく鎮圧した。しかしレパントの海戦以来、平和にすぎてきた70年も、1645年にトルコによるクレタ攻撃で終わりを告げ、69年にクレタを失う。長い間少しずつ失った領地はモロシーニの活躍で次々取り返し、1699年に再び講和が結ばれた。しかしヴェネツイアにはそれを保つ力はなく、1714年から始まった第7次トルコ戦争で次々失い、最後に残ったのはコルフ島のみ、アドリア湾のみとなった。地中海最後の砦を失い、アンテイヒーローの気概まで失ってヴェネツイアははじめて、平和の果実を味わえることになった。

第十三話 ヴィヴァルデイの世紀
1700年代のヴェネツイアは旅人にとってひどく魅力のある街となった。高級ホテル、運河、女優、歌姫、美術品、音楽、演劇、賭博場、謝肉祭、そのすべてが彼らを魅了し、限りない快楽の都という印象をうえつけた。そこには迫りくる崩壊を前にしての、苦悩に満ちた焦りの噴出というような、自己破壊的な放埓さなどではなく、軽薄さだけが支配的になったとの印象しか受けない。

第十四話 ヴェネツイアの死
フランス革命の後、1792年フランスはオーストリアに宣戦布告した。ヴェネツイアは非武装中立を宣言し、ルイ16世の処刑後プロヴァンズ伯をかくまうなどした。1796年イタリア方面担当のナポレオンとオーストリア軍が始めてジェノヴァの西で戦った。両者の戦いは続き、どちらヴェネツイアの通過を要求してきた。どちらに組することも決定できぬまま、ナポレオンが勝ってしまった。
1799年その強硬な要求の前に屈し、従来の共和制を廃し、民主制の政体に変えることを宣言した後、降伏した。

051113