新潮文庫
戦争末期、九州の病院でアメリカ人捕虜の生体解剖という忌まわしい事件が起こった。本書はその過程を通して、日本人、あるいは人間そのものの本質は何か、と問いかけているように思われる。そう考えると第1章で当時のその病院の医師が「みんなが死んで行く」時代と考え、おざなりな治療と、権力闘争のために患者に無理な手術を施している様子が紹介され、さらに第2章でその手術にやむなく参加した看護婦と医師の過去を通じての考え方の成立過程を紹介している点がうなずける。
手術に参加した人たちは、指示した教授は別として「断るんなら昨日でも今日でも良かった状況。」の中でずるずると、参加することを通じて手助けをして行く。粛々と麻酔を打ち、メスをいれ、実験をし、元気な青年を一人殺して行く・・・。そして戦後その罪を指摘されて「仕方がないからねえ。・・・・これからも同じ境遇に置かれたら僕はやはりアレをやってしまうかも知れない・・・。」とつぶやく。
考えて見れば、上海事変から太平洋戦争に突入していった、大方の日本人の行動形態そのものではないか。最近の政財界の腐敗の中における男たちの行動形態にもにているではないか。ふと生体実験の話が漏洩していたとしたら、指示した教授のドイツ人夫人はどのような行動をとっただろうか、それに周囲はどう反応しただろうか、と考えた。
話の展開のさせ方が非常に工夫されているので、プロットを紹介する。
1章 戦後すぐまだ田舎の世田谷に引っ越してきた私が、気胸を受けに勝呂医師の元に行った。勝呂医師は、戦争末期に九州の病院で起きた米軍捕虜の生体解剖の担当者の一人だった。みんなが苦しんでいるとき、その病院では次期の学部長を勝呂の上司橋本と権藤が争っていた。功をあせった橋本は関係者の田代夫人を手術して失敗、死なせてしまう。汚名を回復しようと研究のために米兵捕虜の生体解剖を行うことを決心、勝呂等を仲間に引き入れる。
2章 生体解剖に参加した看護婦の話。彼女は不幸な結婚の末、どうでも良いという感情に支配されていた。同じく医師の話。彼は子供の頃から世間の目を気にし、いつの間にか自分の本当の感情を忘れていた。午後3時、肺の4分の3を切除する手術が開始される。
当然の事ながら、勝呂の願いもむなしく米兵は死ぬ。
3章 死体の後処理も終わり、あしたからまたいつもの日常が始まる。切除された肺が軍医に届けられる。
・ひとりぼっちの女の私には戦争の成り行きも知らず、新聞一つ読む気も起こらず、本当のことを言えばお国が勝とうが負けようが感心もなかった気がします。(92p)
・良心の呵責とは、子供の時から僕にとっては、他人の目、社会の罰に対する恐怖だけだったのである。(115p)
・はっきり言えば、僕は他人の苦痛やその死に対しても平気なのだ。(118p)
・赤黒くよどんだ水に浸けられたこの褐色の暗い固まり。俺が怖ろしいのはこれではない。自分の殺した人間の一部分を見ても、ほとんど何も感ぜず、何も苦しまないこの不気味な心なのだ。(150p)
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