漆の実のみのる国    藤沢 周平

 
文春文庫

元来百二十万石の上杉氏は、慶長六年(1601)、会津から羽州米沢三十万石に減知・転封され、さらに寛文四年(1664)、藩主急逝の際に半知十五万石になった。召し放ちを行わなかったため人件費過剰による財政悪化は当然の帰結だった。
延亨三年(1746)上杉重定が藩主となったが、自分が好む謡曲を奨励するなど凡庸だった。、森利真が取り入り、藩政に専権を振るい藩財政は深刻な様相を見せはじめた。竹俣(たけのまた)当綱が、国元で莅戸(のぞき)善政、藩医の藁科松柏、木村高広に森を誅殺させた。言上書を家老七人の連名を得て、藩主に提出し承認させてしまった。
さらに二年後の明和四年(1767)、当綱は重臣たちとはかり、藩政を改革させるために重定を隠居させ、養子の直丸を第九代米沢藩主とした。上杉治憲、後の鷹山である。平常の食事は一汁一菜とする、五十余人の奥女中を九人にするなどの大倹令が発せられた。しかし、必ずしも実行されず、しかも旱魃不作が続き、不満が鬱積した。そんな中で当綱や善政の羽振りのよさに不満を持つ七人の重臣が治憲に直訴、二人を退けるようせまった。訴状の内容が正しいかどうか充分チェックした治憲は、重定とはかって逆に彼らを処分した。
安永四年(1775)、当綱は三木植立て計画書を上梓した。漆百万本、桑木百万本、楮(こうぞ)百万本を植え、将来十五万石の貧しい藩を実高三十万石にしようという計画である。漆は雄木から生漆の生液を採り、雌木の実からは木蝋を採るのである。植林に要する金は三谷などの御用業者から借り入れる。
しかし植林は必ずしも計画通り進まなかった。さらに西国で取れる櫨蝋が普及し始め、米沢蝋は買いたたかれるようになった。安永九年(1780)重臣たちの訴えに基づき、まず当綱が失脚、ついで善政が致仕した。そして天明四年(1784)、大飢饉の年、参勤上府の年、治憲は引退を決意、翌年、重定の実子治広を就任させた。
やっと君主の仕事から解放されたと思ったが、天明6年(1786)になって、治広から相次ぐ飢饉でほとんど藩の財政が立ち行かなくなった、との情報を受けた。思案の末、倹約をモットーに経理に明るい志賀八右衛門を起用し、いっそうの倹約政治を薦めるも失敗。ふたたび善政を表舞台に呼び出すことになった。彼は米沢藩再生16年計画を作成する。行く手にようやく一条の光を見出した思いの治憲は、亨和二年、鷹山と改名し髪を総髪に改めた。

藤沢周平は1997年69歳で亡くなったが、その遺作となった作品である。上杉鷹山の藩改革への取り組みを書いているが物語りは完結しているとは言い難いし、成功談と読むわけにもゆかない。しかし、作者はそれで良いとしたようだ。小説の世界と違って、実生活では問題がいつまでも続くのが常であるのだから、そう考えたのかもしれない。

江戸時代になって、武士は給与としての米を得、札差等を通して換金するようになった。しかし元禄時代のような平和ではなやかな世の中が続くと、貨幣経済が進展し、商人勢力が台頭、武士は藩もその下で働く武士も困窮するようになった。ましてこの物語の米沢藩の場合、戦国時代を基準に考えれば養われる武家の数は変わらず、知行だけは八分の一になったのだから溜まったものではない。しかし藩としての対面も幕府に対する対応も無しで済ますわけには行かない。結果、藩の財政はにっちもさっちも行かなくなってしまった。このようなシステムの本当の改革は明治になるまで待たなければならないのだが、枠の中で鷹山は何とか体制を立て直そうとはかった。その努力と奮闘を描いている。
治憲の治広に対する助言が興味深い。
一 国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして、我私すべき物には之無く候。
一 人民は国家に属したる人民にして、我私すべき物には之無く候。
一 国家人民の為に立たる君にて、君の為に立たる国家人民には之無く候。

日本的な政治の在り方、問題点の原点を見る感じがする。
・問題点があればまず真摯に改革しようという情熱を持たなければならない。それにはあらゆる情報を利用する必要がある。
・ 素晴らしいアイデア(三木植えつけ)でも、時勢の変化などの落とし穴がある。間違いに気づいた場合、改めなければ行けない。
・ 何か事を起こそうとすると、必ず自分を守ろうとする精力が組織の中で働く。その対策が一番難しい。(七家騒動)
・ その時上に立つものの冷静な見方、対処の仕方が非常に重要。
・ 人には必ず良いところがあるものだ。大切にしなければいけない。重定の書き方に物語の奥の深さを感じさせる。
・ 倹約だけでは政治は進まない。志賀八右衛門の失敗は如実にそれを示している。
等々。読み終えて私自身も多くを学んだ気がした。

上杉鷹山関係書物
http://www.flowering.ne.jp/yonezawa/NHK_YOZAN/NHK_YOZAN08.html
(000605)
(1997 69歳)