「はじめに」で、「「靖国」という問題。それがどのような問題であるか、私たちは本当に知っているのだろうか。」とした上で「どのような筋道で考えていけばよいのかを論理的に明らかにする、ことに重点を置いて書かれた、とする。
1章「感情の問題」では、靖国神社にまつわるよう様な人の思いを取り上げた上で、「お国のために死ぬこと」や「御天子様のために」息子や夫をささげることを、聖なる行為と信じさせることによって、再び戦争が起こったときに国民を動員させる・・・・靖国神社はそのような意図のもとに作られたシステムである、と断じる。人々の生と死を最終的な意味づけを与えようとするなら、靖国信仰はまさしく天皇その人にほかならないとされた国家を神とする宗教であった。
2章の「歴史認識の問題」では,A級戦犯合祀問題は靖国にかかわる歴史認識問題の一部にすぎず、本来日本近代を貫く植民地主義全体との関係が問われるべきだ、とし、中国は,A級戦犯合祀問題限定していることからむしろ政治決着をはかろうとしているのだ、と説く。
3章の「宗教の問題」ではこれまで首相や天皇の靖国参拝を憲法違反とする判例が主流であるとした上、こうした中で公式参拝を実現させたいと思う人々が取る選択肢は、次ぎの二つだがいづれも不可能であると、著者は結論ずける。
1 憲法の政教分離規定を改正する 2 靖国神社を宗教法人でなくする。
さらに著者は4章文化の問題で、新しい「戦没者追悼の中心的施設」の建設にも疑問を呈する。それは「日本の平和と独立を守り国の安全を保つための活動や日本の国際平和のための活動における死没者を追悼する」目的であるなら、たとえば自衛隊のそのような活動の正しさを疑わず、その日本人のみを対象としようとすれば、それは「第二の靖国」になってしまう。
著者は最後に
1政教分離を徹底することにより。「国家機関」としての靖国神社を名実共に廃止すること。首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全にたつこと。
2 靖国神社の信教の自由を保障することは当然であるが、合祀取り下げを求める内外の遺族の要求には靖国神社が応じる。
その上で将来に向けて次のように主張する。
3 近代日本のすべての対外戦争を正戦であったと考える特異な歴史観(遊就館の展示)は、自由な言論によって克服されるべきである。
4 「第二の靖国」の出現を防ぐには、憲法の「不断の誓い」を担保する脱軍事化にむけた不断の努力が必要である。
最後に著者のいう論理でつきつめて行けばそういう考え方もあるが・・・・、との思いはすてきれなかった。靖国は確かに国家が神道を利用して作った国家に奉仕する人々を褒め称え続くことを奨励するマシンであろうが、現にそこ葬られた人々が「分かりましたから・・・・」と感情を割り切れるだろうか。また国を愛し、役に立とうとする愛国心なるものは国民にもってもらわなくてよいものなのだろうか。平和憲法がその精神は高いとしても、自衛のための軍隊は持たざるを得ない、という現実、政教分離といっても皇室の諸行事は神道にのっとっている現実を考えれば、100%完全にというわけにはいかない、そういった側面も考えに入れなければいけないのではないか。そうした考えが著者から言わせれば論理的でない現実主義的な現在の日本を形作っているとも言える。
060814