新潮文庫
文鳥
三重吉に勧められて、私は文鳥を飼い始めた。
文鳥は結局家人の不注意で死んでしまうのだが、その間の丁寧な写生的観察が魅力。
夢十夜
昔知り合った女性に「漱石の作品でどんなものが好きか。」と聞いたところ「夢十夜」です。」と答えられてびっくりしたことがある。もう一度読み直し、漱石が見たと称している夢を10記述しているが、作者が夢を創作していると思った。夢に事借りて、意識化にあるもやもやした物を空想小説の形であらわしていると感じた。ただ夢で何を言おうと考えたのかはよく分からなかった。
第一夜
女は長い髪を枕に敷いて、静かな声でもう死にますという。大きな真珠貝で穴を掘り、女の死体をうめてやった。「百年待って下さい」という女の指示で、私は唐紅の天童が登っては沈むのを見続けた。十話のなかで一番ロマンチックな作品である。
第二夜
和尚にそういつまでも悟れぬ所を見るとお前は侍ではあるまい、と言われた。私は短刀を引きつけて死ぬ覚悟で悟りを得ようと頑張った。
第三夜
自分が眼のつぶれた子供を背負って森に捨てに行こうとしている。子供が自分の過去、現在、未来を見通し、あれこれ指示する。そして森の一点にさしかかったとき子供は「この杉の根の所におまえは丁度100年前殺して埋めたね。」と言う。背中の子供が石の地蔵の様に重くなった。
第四夜
爺さんはねじった手ぬぐいを蛇にしてみせるという。肩に掛けた箱にその手ぬぐいを入れて「今になる、蛇になる。」と歩いて行く。私はそっと後をおった。
第五夜
神代の時代の私は敵将に捕らえられて殺されようとしている。私は死ぬ前に一目思う女にあいたいと言った。敵将は夜明けまで待ってやると言った。女は私に会うために馬を走らせる。鶏が時を告げる。
第六夜
運慶が仁王を彫っているところを明治の人間が眺めている。運慶は木の中に埋まっている仏を掘り出すのだという。しかし自分がいくらやっても仏の像は出てこなかった。
第七夜
西に行く船に乗り、不安な気持ちになって飛び降りて死のうとした。しかし落ちる瞬間にどこへ行く船か分からぬが乗っておればよかったと思った。
第八夜
私は床屋で髪を刈ってもらいながら、外に流れて行く風景を眺めている。鏡の中を見ると帳場格子のむこうに女が一人、いつまで経っても終わらない十円札の数を数えている。
第十夜
鍵さんから聞いた庄太郎の不思議な体験。庄太郎の唯一の道楽はバナナの帽子をかぶって道行く女を眺めることだった。ある時庄太郎は女にさらわれて、絶壁の淵に出た。「ここから飛び込んでご覧なさい、出ないと豚になめられてしまいます。」と女に言われて庄太郎はびんろう樹木の杖で豚の鼻面をたたいてころがした。豚は後から後からやってきた。庄太郎は七日六晩たたいたけれど、最後に庄太郎は豚になめられた。
永日小品
自由に筆をすすめた散文集といった趣だがひとつひとつ見ると趣のある物がある。蛇は鰻捕りに行って誤って蛇を捕まえてしまった話し。モナリサ、火事、儲口、金などが面白かった。
・(金が)何にでも変化する。衣服にもなれば食物にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる。・・・・善人にもなれば悪人にもなる。・・・・余り融通が利きすぎるよ。(114p)
思い出す事など
漱石は明治43年8月に修善寺の大患を経験する。その間には<30分間の死>の体験もあった。そのときの経験を後日まとめたもの。
・思えば一日生きれば一日の結構で、二日生きれば二日の結構であろう。(145p)
・一匹の大口魚が毎年生む子の数は百万匹・・・・成長するのはわずか数匹・・・・自然は経済的に非常な濫費者であり、道義上は恐るべく残酷な父母である。(150p)
・風に聞け 何れが先に 散る木の葉(159p)
夢十夜r010609