新潮文庫
「硝子戸の中から外を見渡すと、霜除けをした芭蕉だの、赤い実の結った梅もどきの枝だの、無遠慮に直立した電信柱だのがすぐ眼につくが、その他にこれといって数えたてる程のものは殆ど視線に入って来ない。書斎にいる私の眼界は極めて単調でそうしてまた極めて狭いのである。」
胃潰瘍に悩みながら、静かに人生と社会について思い出すように語った漱石晩年の随想集である。美文を書こうとも、作品を作ろうとも、何かを追求しようとも、そういった無理がなく、肩の力を抜いて書いているように見える。老人が思い出話を語りながら、そこに老人の意見を反映させて行く、そんな感じである。
この作品を書いた頃、作者は牛込区早稲田南町七番地に住んでいたという。(荒正人の解説112p)話しは大体一回毎にまとまっているが、二ないし三章にまたがるものもある。以下にそれぞれの内容を簡単に記述しておく。
(1) まえがき(一)
(2) 笑い顔を写真に撮られた話し(二)
(3) ヘクターという犬の話し(三、四、五)
・秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ(15p)
(4) 女の告白と漱石の対応(六、七、八)
・だから私の与える助言はどうしてもこの生の許す範囲内においてしなければすまないように思う。…・私はその人に死をすすめることが出来なかった(21p)
(5) 旧友Oのこと(九、十)
(6) 原稿の読むこと、添削すること(十一、十二、十三、岩崎といういやな男との交渉)
・切れは私のあなたに対する注文ですが、その変わり私の方でも私というものを隠しはいたしません。ありのままをさらけ出すより他に、あなたを教える道はないのです。(29p)
(7) 昔の泥棒(十四)
(8) 講演会のお礼(十五)
(9) 親戚の思い出(十六、十七、従兄弟の高田、二番目とお作という女)
(10) 頭の変な女(十八)
(11) 馬場下の町の様子(十九、二十)
(12) 芝居を見に行く話し(二十一)
(13) 寿命について(二十二)
・他の死ぬのは当たり前のように見えますが、自分が死ぬと云うことだけはとても考えられません。(56p)
(14) 今住んでいる喜久井町(二十三)
(15) 恋の話し(二十四)
(16) 大塚楠緒さんの話し(二十五)
・ある程の 菊投げ入れよ 棺の中(64p)
(17) 益さんと庄さん(二十六)
(18) 芸術一元論(二十七)
(19) 猫(二十八)
(20) 私の生い立ちと父母(二十九)
(21) 病気と戦争をしている(三十)
・戦争と私の病気の比較(76p)
(22) 太田蜀山人の絵で小遣いを失う話し(三十一、三十二)
(23) 世の中の人と私の関係(三十三)
・他に対する私の態度はまず今までの私の経験から来る。(83p)
(24) 講演会と質問(三十四)
(25) 子供の頃の思い出(寄席、兄とその女、三十五、三十六)
(26) 母の思い出(三十七、三十八)
(27) なかなか正直には書けない(三十九)
・ それでもまだ私は私に対して全く色気を取り除けうる程度にたっしていなかった。
・・・もっと卑しいところ、もっと悪いところ、もっと面目を失するような自分の欠点を、つい発表しずにしまった。(99p)
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