平和の失速(2)       児島 襄

 日露戦争の教訓から来るべきロシアの脅威に備えて、日本は海軍力を強化する必要があったがそれは国民に重い負担となっていた。そんなおり、軍艦建造に伴う大規模な汚職事件「シーメンス事件」が発生し、ついには現役中将二人が逮捕されるに至った。
 第二次大正政変で、山本内閣は崩壊したが、その後は清浦「鰻香内閣」に見られるような後継難が見られた。苦心の末、大隈内閣の成立、一応閣僚は非薩長者でしめられたが、政党色は案外弱かった。
 ちょうどそのころ欧州で大事件が持ち上がった。当時欧州はドイツ、イタリア、オーストリア・ハンガリーの三国同盟と英国、仏国、ロシアの三国協商が対峙する一方、ロシアはセルビア等を通って、地中海にでる通路をねらっていた。
 そんなとき、オーストリア・ハンガリー皇太子フェルデイナンドがサラエボで凶弾に倒れる事件が発生した。セルビアの対応も悪かったが、怒ったフランツ・ヨゼフ一世はドイツにけしかけられて、48時間期限付きの最後通牒を突きつける。

・「国民的内閣」「純政党内閣」の実現が可能かと言えば、当時の政治体制下では「無理」だ、と見なされる。・・・(1)選挙民の制限(2)結果として政党と国民の遊離(3)政党の無性格、無政策・・・当落至上主義(293P)
・「爆弾6個、ブローニング拳銃4挺、資金、ポタシウム、ボスニア州地図」ポタシウム(カリウム)は、水分に作用して燃える。使命が果たせない場合に服用し、文字通り胃を焼いて自決するためのものである。(409P)
・この「味方の不利」「相手の不備」「速戦即決の期待」を組み合わせた「時は今」決断論理は、明智光秀の場合にも、さらにはA・ヒトラーの第二次世界大戦発起、特にその中の独ソ戦開始の場合にも当てはまる。(437P)
・こうして・・・オーストリア・ハンガリー帝国は、対セルビア戦争を決定した。何となく、ドイツが「やれ」というから戦争をすると言う雰囲気である・・・・。(443p)
・ロシア・・・我が軍は日露戦争の痛手から回復していないのす。(475p)

r990928