平和の失速(3)       児島 襄

 大正3年(1914年)第一次世界大戦が開幕した。日本と組んでロシアを挟み撃ちにしようと提案する同盟国、日英同盟を盾に連合軍につくことを望む英国の間で、日本は悩むが、後者の道を選ぶ。しかし英国は、最初は日本の参戦を好まず、後にも東洋エリアに限定するよう主張、日本は膠州湾・青島要塞をおとすと共に、独領南洋諸島占領にとどまる。
 ヨーロッパの戦争は、やがて各国を巻き込んで行き、世界戦争になるが、日本はその間隙をぬって対支21箇条要求を提出、ほとんど受諾させ、多くの権益を確保する。しかし双方国内、世界には非常に不人気な条約であった。その中国では袁世凱が皇帝即位を画策する。
 日本国内は特需景気で潤い、成金が続出した。選挙で政友会が、思わぬ大敗を期したため、大隈内閣は続投、その後の大浦内相弾劾事件も改造内閣で何とか乗り切る。4年、天皇即位大祭が京都で行われた。
 欧州戦線は膠着状態。ロシアは、ドイツと単独講和を画策したいが、背後を日本に着かれては困る。そのような状況で、満州鉄道譲渡と引き替えに、兵器・弾薬を要求し、中国におけるドイツ勢力の排除をもとめて 日露同盟を提案してくる。
 大隈内閣が退き、元老山形等の工作で、寺内超然内閣が誕生する。明治を代表した夏目漱石、大山元帥の二人が去って行く。

・井上元老は・・・・日英同盟と「三国協商」の合体をはかるのが良策だ、と強調した。(11p)
・今回の参戦は、ドイツの軍国主義を懲らすための戦いであると同時に、日英同盟にもとづく義戦である。また・・・三国干渉についての復讐戦である。(39p)
・青島攻略・・・・我が国において、飛行機を実践に供したるは、実にこれを持って嚆矢とす。(119p)
・大隈内閣の不思議(205p)
・当時の選挙制度(247p)
・21箇条要求に対し・・・・然るに、貴国言論界は、事事に我を罵言して已まず。殆ど豚か狗のごとく軽蔑するものの如し。(291P)
・フランス陸軍省の試算によれば・・・世界人口のほぼ半分が参戦したことになり・・・・(359P)
・中国にとっては、君主制の方が国家政治に有効である。(袁世凱  391P)
・金が降る降る 世直りの素晴らしい上景気なり(439P)
・欧州大戦の引き金は、皇帝が愛するカタリーナのために引いたとも言える。皇帝は歴史に名を残す名誉を彼女にプレゼントしていたのである。(534P)

r990928