ヴェルサイユ条約が調印され、第一次世界大戦は終わった。ウイルソンの14ヶ条の提案にもかかわらず、開催された場所、状況の影響を受けてドイツにはきわめて厳しいものになったが、一面、不履行に対する罰則規定のない不十分なものだった。
日本は、連合国の一員として、シベリアにレーニン労農政府に対抗してできたオムスク政府を助ける形で出兵したが、米国とのあつれきが始まる。鉄道を守りたい米国と、労農政府の進出を食い止めたい日本と・・・。やがてオムスク政府が消滅、コルチャコフが処刑され、米国が突然撤退するにおよび、日本はシベリア問題を一国で抱え込むことになる。日本は、撤退すべきかどうかで国論がゆれていた。
増兵は米国と世論に認められず、さりとてこれまで援助してきたロシア人と同胞を捨てて逃げる分けにもゆかぬ。結局は、かなりの部分を引き上げ、現状維持を模索するが、そんな日本をみてロシア人は甘く見はじめたようだ。ニコラエフスクでは過激派が町を占領したが、日本軍を襲うといううわさ。守備隊は、ならば打って出ようとしたが失敗、降伏してしまう。大部分が殺され、100人以上が捕虜として捕らえられる。しかしその敗戦情報は、日本になかなか伝わってこない。撤退作戦に移った日本は、各市で奇襲攻撃をかけ、赤軍を武装解除、撤退の安全を保証させる。しかし米国は、戦闘行動をおこした日本を激しく非難する。
・「万歳事件」とシベリア出兵が関連し、日米関係のねじれを増幅することを懸念した。(9p)
・つまり「レーニン労農政府」をロシア政府として認めるかどうかが、問題の出発点になる。・・・現実には連合国は「無方針無定見」のままに日をすごし・・・(29p)
・過激派が共産主義による勢力拡大を目指すとすれば、米国は、自由・人道主義を旗印にして「蛮地における布教」を併用しつつ、さらに豊富な資金も投入して住民を引き付けるとともに、反日感を植え付けている。(52p)
・あの「勝者なき平和」を唄え、民族の自決のほか通称の自由、独立および領土の保全を宣明した、ウイルソンの「14ヶ条」はいつ、姿を消したのか。(69p)
・「ヴェルサイユ条約」は、いわば違反規定を持たぬ条約に等しく、ドイツに「不履行の自由」を与えるものであった。(79p)
・オムスク政府に対する日本と列強の態度(82p)
・米国長官・・・日本の軍事政策は、常に参謀本部の立案と決心で軍隊が動き、その後の政治的決定が追随する。(183p)
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