平和の失速(6)       児島 襄

 日本軍救援隊が、ニコラエフスクに到着したときは、もう何もなかった。トリアチピン等がすべてを殺した後、逃走していた。そのトリアチピン等は、日本軍の復讐を恐れ、同胞を殺された赤軍によって人民裁判にかけられ、銃殺された。
 そのころ極東には、ウエルフネルデインスク、ウラジオストックなどに3政府が鼎立していた。しだいにウエルフネルデインスク政府が力を得るが、実態はレーニン政府と変わらないものであることが分かり、ロシアの完全赤化はさけられない情勢となった。日本は北樺太や沿海州の一部にのみ兵を残す一方、間島やこん春でのロシア人、中国人、朝鮮人の暴動をおさえるのに苦労するありさまだった。
 国会では、シベリア出兵が完全なる失敗だった、として政府を追及する声が激しくなる。しかし原内閣の政友会が絶対多数をしめ、これらの声は押え込まれる。
 普通選挙法が否決された、平塚らいちょう等の婦人運動がさかんになってきた、第1回の国勢調査が実施された、皇太子の洋行が議論されはじめた、明治神宮の鎮座際が開かれた、など新しい日本を模索する活動が次第に強くなってきた。
 しかし海外では、カリフォルニアで排日法案が成立すると、それは米国のいくつかの州にひろがり、さらにオーストラリア、ニュージランドにも及んだ。

・司令官トリアピチンは、その狂暴性とは別に、ともかくも「卓越した戦術家」「熱烈な革命主義者」「戦いの同士」とみなされていた。だがニコラエフスクに赤軍が守り切れぬ日本軍の太平がやってくると知ると、以前とは打って変わって「猜疑心に満ちたトリアピチン」が出現した。(70p)
・今日の世界において直接階級専制を主張するもの、西には露国過激は政府の「ニコライ・レーニン」あり、東には我が原総理大臣あり・・・(146p)
・自由を渇望する汝らの中の疲れしもの、貧しきもの、肩を寄せ合うものたちをわれに与えよ・・・黄金の扉の傍らに、われは灯を掲げん(284p)
・人間の屑どもがわれわれに押し付けられた、旧世界でもっとも危険で腐敗したやからが、われわれの土地へ侵入してきた・・・(285p)
・明治神宮鎮座際・・・曇天の感じの大正の世が、もう一度明治の明るい躍起の年になってほしい。(375p)
・「日本と太平洋隣接白人の戦争である」。日本は世界に平等を要求している。だが、その要求が何を意味するかはすでに日本が実現した朝鮮、満州、南洋の「平等の実態」が物語っている。「それは侵略であり支配であり、平等なる文字の乱用である。」(405p)
・政治家で必要なのは大きな声、強い胃袋、そして小さな脳だ。(B・ショウ413P)

R990928