平和の失速(7)       児島 襄

 宮中は某重大事件、皇太子の洋行などが問題になった。前者は薩長対立の陰までちらつき、後者については天皇の病気と併せて国論を2分した。
 社会では、足尾銅山の労働争議、丹那トンネルの落盤事故など、大本教の不敬罪事件などで社会がゆれた。浜田栄子自殺事件や(8)ででてくる白蓮事件などで女性のありかたについての議論が盛んになってきた。
政治的に大正10年頃の大きな問題は(1)ウラジオストックの混乱(2)ワシントン軍縮会議(3)摂政問題であった。
 (1)はやがて極東共和国との大連会議になるが果たしてモスクワの労農政府とどのような関係になるのかが判定しがたい。(2)は必死にここまでやってきた日本が先輩に呼び出されて「大人(5大国)になったのだから、これからは喧嘩をするのじゃない。」と言われたようなもので、日本の対応のあわてぶりが面白い。日本は中国問題に議論が行くことをおそれ、アメリカは排日法案議論を押さえようとするなど興味深い。誰を派遣するかは大いに揺れるが結局は将軍と軍人と大使・・・。どうなることだろうか。(3)は時代の流れ、大正天皇の寂しさが思われる。

・なぜ日本のシベリア政策は失敗したのか。(東京朝日)(1)レーニン政府の基礎の強固 (2)シベリア地方政権の過激化(3)軍人外交の弊(29P)
・原首相・・・日本人の胸中にわだかまる朝鮮人、中国人に対する蔑視観を捨てよ、むしろ味方にして国益の伸張を測れ(251P)
・「七分の満足、三分の不満」を国民に与えておくのが「政治指導の要諦」だと言われている。(276P)
・日本が人口過剰のために「土地」を必要とすることを認める。(フーヴァー大統領429P)

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