平和の失速(8)       児島 襄

 大正十年、安田善次郎の暗殺のショックもさめやらぬ間に、原首相が東京駅で刺殺された。その結果は、政党政治の終焉につながり、それはまた大正デモクラシーの凋落のはじまりでもあったようだ。
 ワシントン会議は、ヒューズの爆弾提案で始まったが、とにもかくにもまとまり、日本は軍拡ムードから軍縮ムード、つかの間の平和を楽しむようになった。
 元老大隈と山形が他界し、すこしずつ明治が遠くなって行く。そしてシベリアでは、極東共和軍と直接対決をするなど、物議を醸したが結局は撤兵。極東共和国は、ソ連に吸収され、結局日本はソ連と交渉、撤兵後に「日ソ基本条約」が締結される。
 著者の目的が、シベリア出兵の記述だったせいか、大正12年以降は記述が簡単。関東大震災も数行ふれているにすぎない。大正も末期になって、普通選挙法が成立する。しかしそれは来るべき暗い時代を告げる「治安維持法」と抱き合わせであった。

・ワシントン条約東京朝日のコメント・・・・(1)君主と君主の密約、政治家と政治家の凝議時代の終焉(2)世論外交(3)国民に知らせることの重要性(4)公開外交等 (111P)
・殊更に黒き花などかざしたる己が十六の涙の日記  
 カナリヤの籠よりいでて帰り来ぬ夕さびしき窓のうち哉(柳原白蓮 130P)
・ワシントン会議・・・・ヒューズの爆弾(254P)
・山公のあとに山公なし(285P)
・今回の会議の成功に対しては、世は言うべき喜悦の辞を知らぬ・・・各国の誓約は、やがて人類進歩の上に新たにしてさらに善良なる時代を作る先駆けとなるであろう(W・ハーデイング 286P)
・加藤内閣・・・・立憲性がしかれて三十年、ようやく確立しようとする政党政治の萌芽を政党自らがつみ取ったのである。(241P)
・大正デモクラシーのキーワード「デモクラシー」・・・・「自由主義、自然主義、実証主義、科学主義、現実主義、利己主義、唯物主義、社会主義、共産主義、虚無主義、男女同権主義」の同居である。(宇垣陸相・・・402P)
・国体を変革しまたは私有財産制度を否認することを目的として結社を組織しまたは情を知りてこれに加入したるものは十年以下の懲役または禁錮に処す。(410P)
・山梨軍縮、宇垣軍縮(411P)
・「平和・革新・デモクラシー」という三つのキーワードを「戦争・統制・ビューロクラシー(官僚主義)」に変える時代が迫っていたからである。(415P)
・政党政治とその動揺、思想の混乱、汚職と政官財界の癒着、男女平等の要求、性道徳の変化、日本の地位の向上に伴う国際社会にたいする責任の要請、日米間の政治的経済的摩擦その他戦後日本が直面する問題は、全てその原型として大正時代に見いだせる。(422P)

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