草枕             夏目 漱石

新潮文庫

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと覚った時、詩が生れて、画ができる。」
有名な冒頭である。誰かが「小説を書こうと思ったら夏目漱石を読め。」と言っていた。これでこの作品を読むのは3度目である。なかなか難しい。
主人公の画家は画題を求めて、山道を越えて行く那古谷温泉にやってくる。(この温泉のモデルは熊本県小天温泉ということである。)ただし画家は単なる風景や人物を描きたいと思っているわけではない。「わが感じたる物象を、わが感じたるままの趣をそえて、画布の上に淋漓として生動させたい。」(76p)と考えるのだ。それができれば技術的にはラファエロやミケランジェロに劣っても、我が気持ちを訴えることができると信じている。
「一人の男、一人の女も見様次第で如何様にも見立てがつく。どうせ非人情をしに出掛けた旅だから、その積もりで人間を見たら、浮世小路の何軒目に狭苦しく暮らした時とは違うだろう。」(13p)
出戻りだが、美しい娘、那美さんに、画家は遭遇する。世間では、彼女のことを、薄情で、気がおかしいと噂している。彼女は「鏡の池はどんなところですか。」と聞かれると「身を投げるのに良いところです。」(117p)と答えたり、湯殿に現れるなどする。画家は次第に気を引かれて行く。何とか彼女を描きたいと思うのだが、画材として何かが足りない。画家は非人情の世界にたゆとうて、何日か過ごす。
しかし、一方で、人里離れた山里にも、現実世界がひたひたとおしよせて来た。甥の久一は出征兵士として満州に行かねばならなくなった。見送る列車の中にもう一人知人がいた。那美さんの元亭主で、食い詰めてとうとう満州に行くことになったのだ。彼らを見送るときに、那美さんの顔にふとうれいがあらわれた。
「那美さんは茫然として、行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかって見たことのない「憐れ」が一面に浮いている。「それだ!それだ!それが出れば画になりますよ」と余は那美さんの肩を叩きながら小声で云った。余が胸中の画面はこの咄嗟の際に成就したのである。」(169p)
漱石の詩、小説、絵画等に対する考えがちりばめられ、芸術家が理想とすべきと考えて
いる非人情の世界が描き出されている。寺の和尚との邂逅なども非常に興味深い。漢語を豊富に使った文章は非常にうまく、描写は自分の感じるままの世界が的確に書かれ、驚くばかりである。

・詩人とは自分の屍骸を、自分で解剖して、その病状を天下に発表する義務を有してい
る。その方便はいろいろあるが一番手近なのは何でも蚊でも手当たり次第十七字にまと
めてみるのが一番いい。(36p)
・昔から小説家は必ず主人公の容貌を極力描写することに相場が決まっている。(40
p)
・ 世間に茶人ほどもったいぶった風流人はない。広い詩界をわざとらしく窮屈に縄張
りをして、極めて自尊的に、極めてことさらに、極めてせせこましく、必要もないのに
鞠窮如として、あぶくを飲んで結構がるものは所謂茶人である。(53p)
・普通の人は茶を飲む物と心得ているが、あれは間違いだ。舌頭へぽたりとのせて、清
い物が四方に散れば喉へ下るべき液はほとんどない。(96p)
・小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。(109p)
・都会は太平の民を乞食と間違えて、掏摸の親分たる探偵に高い月俸を払うところであ
る。(119p)
・トリストラメ・シャンデーという書物の中に、この書物ほど神の思し召しに叶うた書き方はないとある。最初の一句はともかく自力で綴る。後はひたすらに神を念じて、筆の動くに任せる。(129p)
・余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙でもっとも興味ある研究の一と考えてい
る。
・汽車の見えるところを現実世界という。汽車ほど二十世紀の文明を代表する物はある
まい。(166p)
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