道草             夏目 漱石

新潮文庫

「健三が遠い所から帰ってきて駒込の奥に世帯を持ったのは東京を出てから何年目になるだろう。彼は故郷の土を踏む珍しさのうちに一種の淋し味さえ感じた。」
健三は漱石自身、遠い所とはロンドン、駒込は本郷区(現在の文京区)駒込千駄木五十七番地で、この作品は自伝的作品である。大学教授になった健三は、長い時間をかけて一大著作を仕上げようとしていた。小雨の降るある日、その男にであった。
「彼は固よりその人に出会うことを好まなかった。万一出会ってもその人が自分より立派な服装でもしていてくれれば好いと思っていた。」
物語はその彼の元に、15、6年前に縁が切れたはずの、尾羽うちからした養父吉田が現れる所から始まる。(漱石は四歳の時に塩原昌之助のところへ養子にやられたが、養父が女をこしらえて家出したので連れ戻されている。吉田はこの塩原がモデル。)この吉田が子供の時の世話を楯に金をせびり始める。そのうちに姉、兄、妻お住の父までが彼にまつわりつき、なにがしかの金を得ようとする。
優柔不断でぴしっと断りきれない健三は、その度に苦しい家計の中から出してやる。一方でお住は妊娠するが世事に疎く、学問中心の健三とは互いに理解ができないでいる。やがて三番目の女の子が生まれると彼女は子供にのめってゆくが、夫は無関心である。
吉田の問題は、結局わずかな手切れ金を払って、一時的には解決したように見えた。しかしいつ再燃するか分からない。
その結果夫は「夫は「世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。一遍起こったことは何時までも続くのさ。ただいろいろな形に変わるから他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。」とつぶやき、妻は赤ん坊を抱き上げ「おお好い子だ、好い子だ。御父さまの仰る事は何だかちっとも分りゃしないわね。」といい赤い頬に接吻する。(269p)」という状況がが出現する。

健三は、本当は妻を愛し、その愛情を求めているのだが、愛情の表現の仕方がすこぶるへたくそである。あまつさえ自分の感情を押え込もうと、妻を軽蔑し、憎悪してみせる。一方お住は夫の方から働きかけねば、いつまでもじっとしている女である。健三から見ると冷淡で、横着で、図々しく、技巧に満ちている。この辺の夫婦の感情の行き違いが実に冷静に描かれている。作者が女の気持を好くつかんでいるのと同時に、自分に対して厳しく見ている所に感心した。またお住の出産のシーンは出色に思えた。
周囲の者たちの彼へのタカリぶりも実にいやらしくうまく描かれている。
「こころ」「行人」とこの作品が夫婦の問題を取り扱った作品だが、それぞれに抱えている問題点が異なるところが面白い。

・健三はいつも細君に向かって生家へ帰れと云った。細君の方ではまた帰ろうが帰るまいがこっちの勝手だという顔をした。その態度が憎らしいので、健三は同じ言葉を何遍でも繰り返して憚らなかった。(142p)
・姉はただ露骨なだけなんだ。教育の皮を剥けば己だって大した変わりはないんだ。
・単に夫という名前が付いているからと云うだけの意味で、その人を尊敬しなくてはならないと強いられても自分にも出来ない。(183p)
・その或物は寒天のようにぷりぷりしていた。そうして輪郭からいっても格好の判然としない何かの塊にすぎなかった。(208p)
・新しく生きた物を拵え上げた自分は、その償いとして衰えて行かなければならない。
・ 妻のお住は「こころ」の妻のように積極的に暖かい胸を夫に向かって開く女ではなく、夫の方から働きかけなければ、いつまでもじっとしている女である。(281p)
r010616