竜馬が行く(3)          司馬 遼太郎

文芸春秋

 桜田門外の変で大老が暗殺され、幕府の権威は地に落ちた。脱藩した江戸に隠居していた山内容堂の命をうけ、岩崎等が坂本をおうが、途中であきらめる。
 しかし土佐では曲がりなりにも武市の勤王党内閣が動いていた。その武市は京都で薩長土連合の結成に奔走する一方、人きり以蔵等をつかって佐幕派の要人を次々に暗殺した。しかし世は混沌としており、薩摩藩の尊王同士の争いである寺田屋騒動が持ち上がる。
 そんな中、攘夷論が沸騰した。島津公が非礼の英国人を切った生麦事件に志士たちはエールを送った。竜馬は逆に日本は開国して、海外と交易しなければならないと密かに考え始める。
そのためには船が欲しい!
 千葉重太郎とともに、幕府の要職にある勝海舟暗殺に向かった竜馬は、逆に彼の弟子になってしまう。勝の元で竜馬は順動丸に乗り、多くの経験を積む。海軍学校を作ることに夢を馳せ、ついに越前福井藩松平春嶽に金を投資させることに成功する。

・幕末の史劇は、清河八郎が幕を開け、坂本竜馬が幕を閉じた、といわれるが、竜馬はこの清河が好きではなかった。(92p)
・攘夷論はどこからきたか。簡潔に言うと
ひとつは、水戸学によって当時の教養人の常識となっていた神州思想。
今ひとつは孝明天皇ご自身の政治的無知からくるこのひとの外国恐怖、外人嫌悪思想を、志士群がご同情申し上げたこと。
今一つ加えるとすれば、当時の日本は、サムライの国家であった。(130p) ・友情・友愛というのは、明治以降の輸入道徳で、当時、武士は忠孝、という縦の道徳が主であった。(156p)
・桜田門外の変・・・幕府の権威は、この朝から薄れた、と言っていいだろう。只の殺人ではなく、歴史を動かした稀有な殺人といえる。(181p)
・攘夷論者のなかには、そういう宗教色を持たない一群があった。長州の桂小五郎、薩摩の大久保一蔵、西郷吉之助、そして坂本竜間である。(191p)
・すくなくとも幕末には、日本人は実在しなかった。・・・・佐幕人か、神秘的勤王主義者か・・・・薩摩人、長州人、土佐人・・・・(217p)
・当時は、黒色火薬である。硝石、木炭、硫黄を配合して作るもので・・・(253p)
・芝居と違い・・・・生の人生は、自分で、自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、その上で芝居をするのだ。(275p)

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