竜馬が行く(6)          司馬 遼太郎

文芸春秋

 長州絵堂で勤王派がふたたび立ち上がり、佐幕派を壊滅、政権を執る。薩摩では英国艦隊が敗退する。水戸からは尊王攘夷の武田耕雲斎が京に直訴しようとするが、加賀で捕らえられ、惨殺される。
 幕府は小栗上野介を中心にフランスと結び、この際、旧に服し、長州のみならず薩摩等も屈服させ、権力を手中に収めようと考え、長州再征を宣言する。
 竜馬は薩長連合を成功させるため、公家、薩長の間を飛び回り、下関で桂、西郷と会談を持とうと画策するが失敗、商売が伴わなければだめと考える。薩摩経由で長州に武器と軍艦ユニオン号を買ってやる。幕府方の警戒の中、竜馬の仲立ちで薩摩と長州が薩摩屋敷で会見、ついに盟約がなった。
 竜馬は盟約がなって寺田屋でほっとしているところを踏み込まれ、危機一髪となるが脱出に成功する。竜馬は寺田屋のおりょうと霧島山でつかの間の平和な時を過ごす。
 慶応2年5月、時勢は勤王にとって最悪の事態となり、各地で佐幕派が勢力を得て、いよいよ第二次長州遠征が実施される運びとなる。幕府軍は当初優勢だったが、高杉晋作の奇襲、竜馬海援隊の到着によって劣勢となり、戦意を失う者が続出する。

・この戦闘が契機となって、英国外交の方針は「むしろ薩摩と握手せよ」という方向にかわった。(46P)
・(日本人?)三条は笑いながら頭の隅で、この聞き慣れぬ言葉にかすかな新鮮さを覚えた。(80P)
・男女の仲というのは、たぶんにひょんな事でできあがる。竜馬とおりょうの場合、あの事件が「ひょんな事」であった。(285P)
・美濃関ヶ原で徳川方、石田方がほぼどう勢力で戦ったとき、石田方は最初から有利な地形に陣を占めていたため、負けるはずがなかった。・・・が、負けた。なぜといえば石田方で奮迅の戦いをしたのは石田三成の直属部隊とその友人の大谷刑部の部隊ぐらいの者で、後の大名は戦闘を傍観した。ついにその中から裏切り者さえ出た。(412P)

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