坂の上の雲(5ー6) 司馬 遼太郎
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ここはなんと言っても203高地陥落のためにうった児玉源三郎の、乃木将軍の顔をつぶすことなく行った見事な作戦展開が興味を引く。
28サンチ砲を敵の正面にすえる作戦により、203高地が陥落、203高地越の砲撃により、北方艦隊が壊滅した。
歴史に残る水師営の会見により旅順での戦闘は集結した。
海軍はすぐ修理に艦船をドック入りさせる。陸軍は北方黒溝台の戦いにむかう。
そのころ、バルチック艦隊はダカール、ガボン、グレートフィッシュ湾等で渋るフランスをなだめて、泥炭のような石炭を補給しながら喜望峰に向かう。
・専門知識というのは、ゆらい保守的なものであった。児玉はそのことをよく知っていた。(94p)
・「十年の恨事」というのは、日清戦争後、ロシアを主唱国とする三国干渉があり、日本はその列強の圧力に屈して遼東半島を清国に還付した。そのロシアがその後ここを清国から強引に租借し、旅順に軍港を作り、大連に総督府を置き、さらに南満州鉄道を造って領土化し、さらに朝鮮へ南下しようとした。(135p)
・ここで素人・玄人の言葉をことさらに使うとして、長篠の役における武田軍団の諸将はことごとくその敵の織田信長よりも遥かに玄人であった。(165p)
・クリミヤ戦争・・・セヴァストポーリ要塞・・・マラコフ砲台(233p)
・ステッセルが日本軍についてほめたのは、前線で坑道掘進をやってのけた工兵の勇敢さと、砲兵の射撃の能力と、そして28サンチ砲という物理的威力についてであった。・・・・もっとも勇敢で死傷率の高かった日本歩兵については一言も賛辞を述べなかったのである。(301p)
・ロシアが、ナポレオンの常勝軍をロシア本国に入れて撃破したのは、この冬期を利用したからであった。(339p)
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グリッペンベルグ将軍がほとんど勝ちを納めたにも関わらず、クロポトキン将軍が出なかったために日本はかろうじて救われ、黒溝台で大被害を出したものの勝利を収めることができた。
喜望峰を回ったあとバルチック艦隊はマダカスカル島の小村で2ヶ月も過ごす。
旅順が落ち、極東艦隊が壊滅したことがわかり、どう行動すべきか判断がつきかねたのである。
やてスエズ運河を回ってきた別働隊と一緒になり、のろのろと、ウラジオを目指してインド洋に出る。
日本はゆっくりとその艦隊を鎮海湾に潜ませる。
ロシア本国では明石の諜報作戦が効をそうし、血の日曜日事件を迎え、帝政の屋台骨が揺すぶられ始める。
一方黒溝台の後、陸軍は奉天での会戦を迎えようとしていた。
乃木軍が北上するなど準備は、万端だがロシアはシベリア鉄道にのって新手が次々と到着。
・物理的な構造物が存在しても、防御戦というきわめて心理的な諸条件を必要とする至難な戦いをするには、民族的性格がそれに向いていないからであろう。(17p)
・独裁体制下の利領の共通の心理として、敵と戦うよりも常に背後に気を使い、時にはクロポトキン大将のごとく、眼前の日本軍に利益を与えてもなお政敵のグルッペンベルグ大将を失敗させることに努力し・・・。(79p)
・日本炭がドイツの石炭会社を通じて買い上げられ、それがロシアの軍艦にもうもうたる黒煙を吐かせていた・・・。(81p)
・ロシアの農奴は日本の小作人でさえない。(126p)
・ポーランドがロシアの属領になってしまっているため、壮丁が大量に徴兵され・・・。(187p)
・多くの革命は、政権の腐敗に対する怒りと正義と情熱の持続によって成立するが、革命が成立したとき、それらは全て不要か、もしくは害毒になる。(199p)
・ロシア帝国は日本に負けたというよりみずからの悪体制に自らが負けた。(206p)
・艦隊自身が、作戦原理を持ち、・・・・そのものの総合目的の中で機能化するようなことを考えたのは、少なくとも実践者としては日本海軍が世界で最初であった。(285p)