成熟のための心理童話    アラン・B・チネン

早川書房 IN THE EVER AFTER 羽田 詩津子 訳

童話に例をとって年長者の生き方に啓示を与えている。年長者と単なる歳を取っただけの老人を区別している。喪失の年代における自己対決、自己超越、社会の開放などを実践し、成熟した判断と技術に、自発性と無垢を付け加えることが大切であるとしている。取り上げられている童話のポイントを記する。
(1)魔法の喪失と回復
幸運ときこり(小アジア)
 きこりはいくら木を切っても豊かにならないので、もう何もしないと宣言した。妻は反対したが認めない。見知らぬ男がラバを借りに来た。彼は泥棒が森のうつろの中に隠した財宝を盗ろうと考えたのだ。しかしそこに泥棒が戻り、男は逃げだした。ラバはしばらくそのままでいたが、やがて財宝と共にきこりのところに帰ってきた。
長年にわたって働くことはきこりの人生そのものだったから、突然の余暇は間違いなくつらいに違いない。しかしきこりは、逆説的には能動的と言える。暇を確保するまでに努力したのだから。またラバが財宝を持ち帰ると言う話は、後半の人生における魔法の再来はありうる、ということを示し、勇気づけている。
・ 貧困は喪失の象徴・・・・魔法の再来(上23p)
(2)自己との対決
舌切り雀(日本)
 略
意外に知られていない最期のところが重要だ。「化け物におそわれ。おじいさんに助けられてからおばあさんは人が変わったようになりました。癇癪も起さず。村の子供たちを怒鳴りつけることもなくなり、思いやりのある人間になりました。」この作品は老女が対決しなくてはならない悪徳を化け物と言う形に人格化し、見事に描ききっている。内的邪悪さとの対決は、上手に歳をとるためには不可欠なのである。
・老女が対決しなくてはならない悪徳を化け物というかたちに人格化し・・・(上34p)
* 彼は私の二十代のころとそっくりな行動をとるんです。(上38p)
(3)仮面と自己
魔法の手ぬぐい(日本)
 老女と息子と嫁で暮らしていたが、老女は若い嫁をいびっていた。嫁は、近くを通った坊さんに餅を一つやったところ、取り替えしてこい、と言われた。坊さんは笑って餅を返し、手ぬぐいをくれた。嫁が、その手ぬぐいで顔をこすると、ますますきれいになった。それを知った老女は、手ぬぐいを盗み出し、顔をこすった。すると馬になり、猿になり、最後に鬼になってしまった。戻った嫁が、坊さんを探しだし、元に戻す方法を聞いた。坊さんの言う通り、老女が手ぬぐいの裏でこすると猿から馬に、そして元の顔になった。 老女はすすり泣き、以後はやさしくなった。
「舌きり雀」と同様だが、なぜ自己改革が後半の人生で必要かをするどく描き出している。同時に老女が自分の善も悪も受け入れ、若い時の善悪二元性から離れる変化を示している。つまり若者の白黒論理から、大人の灰色思考への重大な移行を象徴している。
・ ドリアングレイの肖像・・・魂の堕落を繁栄して徐々に醜悪化(上48p)
(4)知恵
老錬金術師(ミャンマー)
 老人は、美しい娘と暮らしていたが、やがて娘はハンサムな青年と結婚した。ところが若者は、錬金術に凝って家庭を顧みない。それを聞いた老人は、「おれも若い頃は錬金術師だった。あともう一つ成分が得られれば下等な物質を金に変えることができる事まで分かった。バナナの木にわずかにつく銀を大量に集めなければならない。」と忠告。何年か後、やっと銀がたまった頃、嫁はバナナを売った金で大金持ちになっていた。
この話は、老人のもつべき知恵について教えている。知恵とは崇高な形而上の知識ではなく、現実の人間の問題を解決する助けになる技術なのである。老人が若者の心理をじっくり考えている様子がうかがえる。
(5)知恵と悪
賢いユダヤ人(ユダヤの話)
 ユダヤ人親子は、船乗り達が自分たちを殺して、財宝を奪おうとしていることを知ってしまった。老人は悩んだ末、船乗りたちの目の前で息子と喧嘩したふりをして、財宝を海に捨てた。港についた後、訴えでて船乗りたちを逮捕させた。そして船乗りたちに弁償させた。
知恵には人間の悪に対する知識が含まれている。「苦い経験をへて賢くなる」すなわち、他人に利用されたり、虐待される経験を経て、われわれは人間性の暗い一面を学ぶのである。
・知恵には人間の悪に対する知識が含まれる・・・すなわち他人に利用されたり虐待される経験を経て、われわれは人間性の暗い一面を学ぶのである。(上70p)
* 若者「三十以上の人間を信用するな。」老人「三十以下の人間を信用するな」(上73p)
(6)自己超越
魔法の森(クロアチア)
 息子が娘に化けた蛇を嫁に貰ったため、老婆は苦労。「山のてっぺんの雪をとってこい。」だの、冬のさなかに「新鮮な魚が食べたい。」など散々にいじめられる。しかし火の精のこびとたちが助け、鶏小屋にカササギの卵を入れておくと、蛇は正体をあらわした。それでも息子は改めない。老婆は森の王様の処に相談に行った。王様は息子と縁を切った生活を勧めるが、老婆は捨てきれない。最後に息子が気づき、蛇は地中に退散してしまう。
老人が、知恵をつけた後に求められる成長のための課題をあきらかにしている。新たなテーマは老母の息子への愛とその深さに関わるものだ。彼女は、自分の幸福よりもそれを優先する。そこに自己超越が生じるのである。
* 「私は欲する」が若さに君臨し、「私はすべきだ」が成熟を支配している。(上94p)
(7)超越と神
老婆の悲しみ(ドイツ)
 血縁者も親友もいなくなった老婆はさびしく、惨めさのあまり自分の運命を呪った。教会の鐘の音に目を醒ました。そこには死んだ親戚や友人が出席していた。しかし祭壇の脇には、ならず者として処刑された息子たちがいた。「あれがあんたの息子のなれの果てだよ。良き神が、無垢なうちに二人を天にお召しにならなかったらね。」これを知ると、老婆は逆に神に感謝したのだった。
多くの文化において、後半の人生の課題となっている宗教的なかたちでの自己超越というテーマを示している。未亡人は個人的な悲しみよりも神の計画を重視するのである。
(8)超越と内的自己
海の龍王(韓国)
助けた魚が海の龍王の息子だった為に、老人は幸運の升をもらう。泥棒女が盗み出すが、飼っている犬と猫が追いかけ、森の中に隠してあった升を取り返す。途中で川に落としてしまい、絶望に見えたが、老人がつった魚の腹を裂くとでてきた。
話の発端は、老人が釣り上げた魚に哀れみと同情を感じ、逃がしてやったことから始まる。今まで生活の糧にするために魚を殺してきたのにだ。しかし彼はそうすることで自分の新しい性格の一面にきづく。すなわち若い時には隠されていた同情深い一面である。
(9)無垢の解放
こぶとりじいさん(日本)
 略
こぶは成人してから出来たものなので、大人に関係した醜悪さを暗示しているに違いない。こぶのなくなる老人は、外面の欠点を容認し、さらに虚栄心や内面の醜さとも折れ合いをつけている。一方こぶをふやした老人は虚栄心をすてることも欠点をうけいれることも出来なかったのだ。
・老人は成熟した判断と技術に、自発性と無垢を「付け加えて」いるのだ。(上142p)
* ゴーギャンの無垢な芸術スタイルは、成熟した技術の所産だったのだ(上146p)
(10)自己統合と無垢
つつましい草刈り男(インド)
草を刈って生計をたてていた男が、壺を覗くとかなりの金。一番美しくて高潔な女性と言われた東の王女に匿名でブレスレットを贈る。王女はお返しに反物を送った。つつましい草刈り男は一番美しく高潔な男と言われた東の王子様にお礼で送られた反物を贈る。そんなことが繰り返され贈り物はエスカレートした。事情が発覚し、王女の前で恥をかくのではと恐れ、自殺も考えた。しかしそれが縁で王子様と王女様が結婚することになった。
後半の人生では「生殖性」の後に自己受容と自己肯定よりなる自己統合が要求される。この作品は自己統合の重要な側面を描いている。同時に個人の誇りの危機(恥をかく、自殺)についてあざやかに描かれている。
* 自己統合には、自己超越と自己肯定を結びつける中庸が必要なのである。(下21p)
(11)驚異の再生
六地蔵(日本)
 親切なおじいさんの家には金がまったくなかった。正月に餅を買うために、自家製の七つの編み笠を売りに街に出かけたが、売れなかった。その帰り道、六地蔵が雪をかぶって寒そうだった。おじいさんはその一つ一つに編み笠をかけてやった。家にもどるとおばあさんは「きっと喜んだでしょうね。」とうきうきした。その夜、奇妙な物音がするので外を眺めると餅の山、地蔵がお礼を呉れたのだ。雪の中を地蔵が踊っていた。
解放された無垢が、子供らしい自発性(地蔵にかぶせる)と実用主義(傘を売る)によって構成されることを強調している。地蔵のお礼という魔法の再来は、神話的意識と精神的啓蒙と言う形を取りうることを暗示している。啓示は成熟のもっとも素晴らしい美徳といえるかもしれない。
(12)媒介と超越
未亡人とかえる(チベット)
 未亡人はかえるに「お母さんになってください。」言い寄られ、しぶしぶ子供にしてやる。かえるが咳をすると、大風がおこり、すすり泣くと洪水になり、笑うと火事になった。この魔力で、かえるは、村一番の美女を嫁にしてしまった。3人で競馬を観戦に行くといつもかえるが家に戻る。そしていつも見知らぬ騎士が勝った。かえるの後をつけると、家にかえるの皮が吊して合った。燃やしてしまうとあの騎手が現れ、彼は元のかえるに戻れなくなった。彼は言った。「一皮向けば皆同じだろう?」
若者のために、超越した視点と世俗的な現実を取り次ぐ媒介と言う大人(未亡人)の重要な課題を描いている。最期のオチが面白い。
* 祖父母はしばしば人生よりも偉大で、英雄的で賢く、同時に親しみやすい存在・・・畏怖をかきたてるが親しみがあり、魔法使いのようだが人間的な相手なのだ。そして、これが超越的な理想と日常の現実を結びつける仲立ちの役割なのである(下 56p)
(13)媒介と老年童話の物語
漁師と魔人(アラビア)
 年取った漁師の投げた最期の網に銅のびんがからまった。そのびんから、千年も前にソロモンに閉じ込められた魔神が飛び出してきた。魔神が殺す、と脅したので、だまして再びびんに閉じ込めた。しかし魔神が必死に頼むので、約束させた上、再び外に出してやった。魔神の教えに従い、4つの山で囲まれた美しい湖で魚を釣ると4つの赤、黄、青、白の四匹の魚がつれた。サルタンに献上すると、サルタンはコックに魚を焼くよう命じた。魚に火をかけると台所の壁が崩れ、一人の女性が現れ魚に「おまえたちは約束を守ったか。」と聞いた。魚は「はい。」と答えた。そんなことが翌日も、その翌日も続いた。それを聞いたサルタンは、魔法と見抜いた。サルタンは山奥まで歩き黒い城を見つけた。城に青年がうめいていた。青年んは実は西の島の王子だったが、結婚した女が魔女だった。彼女に下半身を石にされ、土地全体に魔法をかけられた。彼の島は山、海、砂漠になり、愛した人々は魚になったのだと言う。同情したサルタンは魔女の愛人を殺し、彼女に化け、魔女に魔法を解かせた上で、魔女を殺してしまった。サルタンは漁師の姉娘と、その王子は妹娘と結婚し、漁師は余生を名誉に包まれて安楽に暮らした。
ほとんどすべてのテーマを取り上げ、老年童話の基本を明らかにしている。 最初の魔神とのやり取りは欺瞞のテーマ、無垢のテーマなどを扱っている。魚をサルタンに献上する話は媒介のテーマを扱っている。最期は社会の解放と漁師の幸運がテーマである。
・ 年上と年下の登場人物に同じくらいの分量をさいて・・・(下84p)
(14)回帰と変容
花咲かじいさん(日本)

最期の結論は、さまざまな老年童話で言及してきた最期の発達について述べている。子供時代の魔法と奇跡を取り戻し、人生の最期で最初に戻ることである。老人に見られるたんなる退行でなく、とうに失われていた美徳・・・・無垢、自発性、歓喜・・・・の再生を描いていると考えられる。
・子供 口唇期・・肛門期・・男根期・・性器期 老人は逆(下97p)
* この物語はたんなる退行だけでなく、とうに失われていた美徳・・・無垢、自発性、歓喜・・・の再生を描いているのだ。(下99p)
(15)完成された老年の人生
光る魚(イタリア)
 老人と妻は、海辺で暮らしていたが生活に困った。ある日見知らぬ人間に会った老人は二度にわたり、金貨を貰うが、妻が誤って処分してしまったため、困ってしまった。最後に日見知らぬ人間に貰ったかえるを売った金で、見知らぬ人間の指示どおり市場で一番大きな魚を買ってきて軒に吊しておいた。ところが翌日漁師たちに感謝された。あの魚が夜光り、難破船を救うこととなったのだという。
後半の人生への理想的な旅を描いている。 喪失の現実を受け入れる、自己対決と自己改革、世俗的な知恵、個人的野心や夢からの解放、社会的規範からの解放などである。
・若者は自分自身を発見するために家族という心理的な保証を捨てなくてはならない。(下122p)
・若者の美徳が勇気、忍耐力、自信なら、年長者の美徳は機敏さ、寛容さ、好奇心ということが出来る。(下123p)
* 自己対決、自己超越、社会の開放。・・・・「年長者」には性別がない。(下128p)
(16)その後いつまでも
老年童話は、青春童話と異なり、老年になって直面する自己対決。自己超越、社会の解放、性的優越からの解放などである。
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