天皇(3 二・二六事件)      児島 襄

 2・26事件首謀者は最終的には処刑されたものの、「義賊」か「反乱軍」かが議論されるなど軍のみならず、国民までが軍国主義化した。
 この軍の力を押さえる唯一の人物として近衛公爵が登場し、青年内閣を組閣したが、芦溝橋事件にはじまる日支事変はやがて日中戦争へと発展してゆく。中国側と再三停戦協定を成立させ、不拡大方針をとろうとするが、北支戦線は徐州攻略に進み、南の上海占領は南京占領と虐殺事件まで引き起こす。そしてノモンハン事件で初めてソ連が日本の前に現れる。

2.26事件 昭和11年のこの反乱は高橋蔵相ら数人の閣僚を殺し、一大事件となったが、当初ははたして、彼らが賊軍か、義軍かすら決定できなかった。やがて反乱軍とされ、首謀者は処刑されるわけだが、この後軍部の専横はますます激しくなる。
芦溝橋事件 芦溝橋事件は支那事変をひきおこした。日本軍は徐州を攻略するが、このころには中国側も国共合作が成立し、抵抗は激烈だった。和平はいったん成立したかに見えたが、失敗、日中全面戦争の幕開けとなった。上海に上陸した南方軍はついで南京を攻めおとすが、ここで南京虐殺をひきおこす。
汪兆銘を担ぎ出し 蒋介石のもとの汪兆銘を担ぎ出し、和平を図ろうとするが、認められない。
ソ連軍との衝突 ソ連軍との衝突が満州の国境張鼓峰でおきた。その時はおさまったがそれは来るべき事件の前触れであった。
ノモンハン事件  ジューコフ元帥の元、次々と戦車と爆撃機を繰り出すソ連軍に、壊滅的打撃を受ける。東の敵を日本をたたいたソ連は独ソ不可侵条約を結び、ポーランドに押し寄せる。

・すでに有能な政党政治家、官僚、さらに軍人でさえも、強力な軍部の意志を規制することができないことを実証していた。・・・・ただ一人、しかもほぼ完全に条件を具備して残ったのが、近衛公爵である。(163P)
・・・・今や南京陥落し、・・・・かかる情勢にある際、吾より進んで条件を提示し講和を促すことは、吾に重大なる弱点なき限りなすべき事でなく、かえってそれがために彼の侮りを受けて・・・・(221p)
・行く目的を少しも自分にうちあけない。・・・・陸軍のやり方は全てこういう風だ。(近衛首相240p)

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