翔ぶが如く(10)          司馬 遼太郎

文春文庫

 宮崎でしばらくのんびりとすごした薩軍だったが、やがて追われて延岡に至る。ここにいたって薩軍の命運はつきたかのように見えた。周囲を数万の政府軍が取り囲み、薩軍は希望者を帰したため千を割る、しかも武器弾薬、食料は極度に不足していた。しかし誰言うこともなく「どうせ死ぬなら故郷で・・・。」の言葉に惹かれ、河愛岳を越えるという奇手で、敵中を突破。道なき道を20日近くの行軍の末、鹿児島に戻り、城山に立てこもる。
 7万の政府軍は明治10年9月24日から総攻撃をかけ、西郷隆盛につづき、桐野、村田、別府等の幹部は次々と倒れて行った。このときをもって「鹿児島王国」は終わり、明治維新が実質的に確立され、日本は統一されたと言っていい。
 西南の役の終わり頃、木戸が死んだ。同郷人を死においやった大久保は、鬱々たる気持ちだったろうが、翌年石川出身の不平士族によって紀尾井坂で暗殺された。大久保の死で力を失ったか、川路もフランス出張はじめに生涯を閉じた。

 西郷隆盛は、所詮は新しい時代を見通す力も冷徹な計算もできない人だったように思う。部下への偏愛も問題で、計算されたリーダーシップを期待できる人ではなかった。
 しかしそれでも、日本人全体に慕われた魅力は何であろうか、という点にこの書は取り組もうとしたようだが、まだこの書は十分な回答を与えきっていないようにも見える。
 一方で「書き終えて」にあるように、現代の日本の官僚社会の基礎が、この西南戦争までの10年で基礎が決まったことを知り、びっくりしたと同時に非常に勉強になった。太平洋戦争敗戦は、日本に大変な行革をもたらした。統帥権をなくし、軍隊をつぶし、平和憲法を制定し、一応の民主主義社会を実現した。しかし、維新で確立された官僚支配というやり方を変えるまでにはいたらなかったように見える。その問題点が、バブルのはじけた現在問われている。

・(木戸)鹿児島県は、宛然独立国である。中央の政令はことごとく県境から跳ね返され、地租改正も行われず、租税出納も県において旧藩の如く独自にやっている。(80p)
・大久保たち東京派は、たんに藩から派遣されて太政官に出仕したにすぎず、郷党・中央の身分差は本来あるべきはずがない。その大久保を頂点とする東京派が、天皇を担ぎ、その権威を必要以上に宣伝しつつみるみるうちに太政官を唯一絶対の権力に仕立て上げ、明治4年の廃藩置県によって母藩を始め、二百余藩を潰し、徴税権と兵馬の権を中央に集中し、武士階級をも壊滅させた。(270p)
・大久保の特長は西郷と異なり、この種の他藩出身の吏才あるものとの間に緊密な信頼関係を結んだことで・・・(283p)
・人と生まれて自助独立の権なく、己れ生涯の利益を人に任じてきびせらるるは、牛馬に等しからずや(293p)

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