翔ぶが如く(1)          司馬 遼太郎

文春文庫

 江戸時代末期薩摩の島津斉彬は、黒船来航3年で同じものを作り出すなど、革新的な藩主であったが、治世わずか7年で病没してしまう。彼に愛された西郷吉之助は、長州軍を率いて京都を占拠(鳥羽伏見の戦い)し、大政奉還を実現させる。
 維新後も戊辰戦争、東北の乱等を通じて薩長中心の明治政権の確立に貢献した。そして軍隊を掌握し、同じ薩摩出身の大久保が行政を握った。しかし西郷は明治維新という革命をやり遂げながら、その結果として起こった世の中の動きに驚いた。200万以上と言われる士族は職を失って路頭にまよい、2000万と言われる農民は前にもます重税にあえいだ。しかも彼の出身母胎である藩は、廃藩置県によってすべてを失い、引き立ててくれた島津家からは恨まれた。
 そんなとき、日本は、自分たちの経験から朝鮮に開国を勧めたが、「余計なお世話」と全く無視される。一方で、列強帝国主義から日本を守るためには、中国、朝鮮、日本の三国が同盟を結びこれに当たるという考えがあった。
 そこで無理にでも朝鮮に出兵し、開国させ、日本を守りたいという意見がでた。西郷は、これによって失職した士族の救済の道も開けるのではないかと考え、賛成に回り、遣韓大使を希望する。
 西郷の人を包み込み、清廉潔白、欲のない人柄は多くの後継者を育てた。江藤の下の川路もその一人だったが、彼はフランスに学び、日本に警察が必要なこと、その警察を司法でなく大久保の支配する行政のもとにおくべきだと考える。そして西郷が隠退して國に帰った時の事を密かにおそれる。

・長州、土佐、薩摩三藩の東京駐屯部隊がやがて「近衛兵」と改称され、最後の士族軍として、そして最初の日本陸軍として出発した。(90p)
・歴史に「もし」と言うことが許されるなら、朝鮮がこのとき開国し欧米形式の富国強兵策をとっていれば日朝の関係は現実の歴史がたどったような悲惨な(朝鮮にとって)不幸がなかったかもしれないと言うような幻想も持ちうる。(99p)
・要するに薩摩人にとっては喧嘩騒ぎというのは、たとえば西洋人が酒を飲んでダンスを楽しむようなものであり・・・・(142p)
・こういう腐敗堕落した政府を作るために、あの惨憺たる幕末があったのだろうか。倒れた無数の同士たちに顔向けができない。(157p)
・近衛軍とは別個に、全国に徴兵制を基礎にした鎮台がおかれ・・・。(203p)
・列強は都合のいいときには国際法を振り回し、都合が悪くなると兵力を用いる。(233p)
・坂本はこの日本の独立を維持するには貿易以外にないと見た。(234p)

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