西郷の遣韓大使希望に対し、三条実美は勅許を得るが、条件が付いた。岩倉が帰国してから熟議するように・・・・・。西郷は命を懸けてやる気になっており、人選まで考えている。しかし遣韓は目的がはっきりしない。朝鮮を屈服させるのか、助言するのか、その中間か・・・。
一方で次々に外国で学んだ若人が帰ってくる。どう考えても征韓は得策ではない。海軍がほとんどない。中国も英国も仏国もロシアもだまっていまい。三条、岩倉は公家のでである。西条、大久保は薩摩、木戸は長州の出身である。時間稼ぎをした後、三条は岩倉に相談し、なんとかやめさせる方法はないかと考える。
ここに伊藤が登場する。反対派の岩倉、木戸を参議にして、御前会議を西郷抜きで開催、遣韓大使派遣を延期しようと言うのである。次第に薩摩の両雄の対決の様相を帯びてきた。
・西郷従道の外遊は明治2年夏であった。・・・「世界の趨勢は合衆制(共和政治)にむかいつつある。(30p)
・山形有明と一緒だった・・・・パリ・コンミューン「攘夷どころではない。王政そのものがあぶない。」(31p)・・・・後の自由民権運動弾圧(36p)
・明治22年・・・憲法制定・・・・ミカド(40p)
・明治15年・・・軍人勅諭「兵馬の大権は朕が統ぶるところである。」「兵馬の大綱は朕みずから之を攪り、肯て臣下に委ねるべきものではない。」(41p)
・尊氏と西郷(66p)
・西郷は軍人の評価をするに当たって、それが軍人という技術者であることよりもいかに国士であるかという事ではかった。この点から言えば近代国家というものが全くわからなかった人物と言っていい。(101p)
・木戸が開明性の高い福沢を信頼し、西郷・大久保がより開明性の低い勝を信頼したという事は・・・(135p)
・江戸城無血開城の秘密(146p)
・伊藤博文「我々は、ヨーロッパに来てその富強を知り、攘夷の無謀なるを知った。」(158p)・・・・ジャニーの苦労(159p)
・日本は列島で海岸線が長く・・・・しかし防衛論を国策の中心において他の条件(国際政治や自由経済の状態)を省みないか、あるいはそれを引いて無視するという思想は、実際には成り立ちがたく・・・(210p)
・大衆は明晰よりも温情を愛し、拒否よりも陽気で放漫な大きさを好み、正論よりも悲壮にあこがれる。(292p)
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