新潮文庫
中学校のころ、3年くらい前、そし今回でこの作品を読むのは3度目である。
ヨーロッパ風の洒落た味を利かせながら、江戸落語的に裁けた文章で書いている。漱石の幅広い知識と風刺が感じられて非常に面白い。用語の豊富さに驚かされる。
この小説は明治37年、高浜虚子に勧められて第1回に相当するものを書き、翌年「ホトトギス」に掲載された。意外なほど好評で第二回、第三回と書き進め、11回をもって終わった。そのようなことから小説としての筋ははっきりせず、常に脇道に入っては滑稽な話題や事件が並ぶというスタイルになった。
中学校の教師苦沙弥先生の元に集まる俗物たち、迷亭、水島寒月、越智東風、多々良一平、鈴木、雪江、八木独仙、それににわか成金の金田とその令嬢等が語る珍談、奇談、小事件の数々を猫の目を通して描いている。
1 5-20p 吾輩が苦沙弥先生にところに居着いた経過。主人の水彩画趣味。
吾輩は猫である。名前はまだない。気がついた時、書生や女中のおさんにどやされたが、中学校の英語の教師をしている主人珍野苦沙弥の助けでこの家に住み込むことになった。日がな一日主人の側にいてその描く水彩画や日記を見ている。水彩画は友人の美学者に実存しないアンドレア・デル・サルトの話など持ち出されてからかわれ、やめたようだ。近くの車屋の強そうな猫、黒とも知り合いになった。黒は元気が良かったが、最近「いたちの最後屁と肴屋の天秤棒はこりごりだ。」と落ち込んでいる。
2 20-75p 餅を食う、迷亭の手紙、トチメンボー、三毛子との恋い、死
主人の絵心は絶望的だ。賀状3通に書かれた吾輩の絵を主人は分からないのだ。主人は後輩の水島寒月とあちこち出かけて行ったようだ。その様子は日記で分かるが、ずいぶん胃腸を心配している。ところで吾輩はたいていの物は平気だが、餅にはひどい目にあった。歯にくっついて猫踊りを踊る羽目になってしまった。二弦琴のお師匠のところの三毛子は可愛く、彼女と話すと餅の失敗も忘れられた。あの美学者は迷亭と言うのだそうだ。主人と二人でレストランに行き、トチメンボーなどという訳の分からぬものを注文して、店を困らしてたとのこと。今日も主人の所に寒月、迷亭が集まり馬鹿話をやっている。人間の頭はどうなっているやら。馬鹿馬鹿しいから三毛子と話そうかとでかけると何と死んでしまったようだ。飼い主は吾輩のせいで死んだみたいに言っている。
3 75-118p 寒月の論文(罪人の絞罪)、金田鼻子の訪問、迷亭のはったり金田の娘の結婚問題
上天気、名文をひねり出そうとしていた主人は、結局あきらめてしまった。妻君が金が足りないなどいろいろ不満を言っていると、寒月が「首縊りの力学」という演説をするので聞いてくれとやってきた。それから金田といういやに鼻の出っ張った女がやってきた。どうやら娘の雪子の婿候補に寒月を考えたらしく、評判を探りに来たようだ。身分を鼻にかけるいやな女で、一緒の迷亭がはったりで驚かすがちっとも効価がない。吾輩が忍んで金田の様子を見ると、雪子と先だっての母親がこちらの対応に不平を鳴らしている。家に戻ると主人が寒月に「あんな娘はやめちまえ。」と説教をたれている。
4 119-154p 金田亭忍び込み、主人の女房のはげ、知識に褒美
金田邸に忍び込むと、主人夫婦が客の男に不平をたらし、苦沙弥に文句を付けてくれと注文している。客は鈴木藤十郎という同窓生で実業家と分かった。家に戻ると背をむけた細君のはげに主人が文句を付けている。鈴木君がやってきた。主人の勧めた座布団にいち早く座っ吾輩はつまみ出された。鈴木君はうまくとりなして寒月に論文を書くよう勧めさせることに成功したようだ。迷亭もやってきて曽呂崎の炊いた飯がまずかっただの、お寺の灯籠とすもうを取っただの昔の下宿の思い出話に花が咲く。迷亭が知識に褒美はつかぬなど珍論を展開する。
5 154-189p 泥棒事件、多々良一平、オタンチンパレオロガス、ねずみ取り
主人夫婦が寝静まった頃、寒月君にそっくりの泥棒陰士が入ってきた。彼は着物と何を間違えたのか
多々良一平から贈られ、枕元に置いてあった山芋の箱を持ち去った。翌日主人夫婦は被害届を書いているがまたしても「何でそんな高い帯をしているのだ。オタンチン、パレオロガスめ!」などと口論が絶えない。そこに多々良一平がやってきた。それにしてもこの猫は役に立たぬ、食ってしまおうか等という話になり、吾輩は困ってしまった。こうなったら鼠を取ってやると一大決心をした。作戦計画は東郷大将なみだったが、2匹の鼠に食いつかれてあえなく失敗。
6 189-222p 多目的はさみ、迷亭、主人の文学論
暑い、暑いと困っているとまた例の迷亭がやってきた。屋根で卵焼きを作ろうとした話、ハーキュリスの牛の話など相変わらずのほら話。さらに形の崩れぬパナマ帽子の話、女の裸が見える十徳ナイフの話などした後、自前で注文した蕎麦が届き、また蘊蓄をかたむけながら食っている。ようやくそこに主人と寒月が登場。寒月は「蛙の目玉の電動作用に対する紫外線の研究」なるものに取り組み、硝子の球を磨いてレンズをこしらえているところと言う。いつごろできあがるか、と聞かれて「まあ、この様子じゃ十年くらいかかりそうです。」とのんびり。また迷亭のほら話。越後で文金高島田の蛇女に惚れた話、立町老梅が静岡の宿屋の女中に惚れたが西瓜を食い過ぎて失敗した話、女の子を天秤に担いで売り歩いていた男の話、昔ギリシャで女は産婆を営業してはいけないと決めた話など。すると今度は東風がやってきて、今度は自作の俳劇やら自作原稿を開陳する。応じて主人も大和魂なる駄文や送籍なる変梃文学者論を開陳。
7 223-257p 風呂屋侵入、猿股不平等文化論、にゃあは感嘆詞か
吾輩は、近頃運動を始めた。蟷螂や蝉をからかったり、松の木を滑り台にして遊んでいる。しかし烏の野郎にはかなわない。松ヤニが体についたので、人間どもが行く、洗湯に行ってみた。驚いたのなんの、みんな恥ずかしげも無く裸でいやがる。そもそも人間どもは他人と差別したくて最初猿股をつける種族が現れ、次ぎに羽織り族、さらに袴族が出現した。進歩したからには元に戻らぬのが常識では無いのか。戻ると主人はにゃあは感嘆詞か、などと言って妻君をからかい、批評家には酒、交際、道楽、旅行、みんな必要だ、などと自説をたれている。
8 258-300p 落雲館生徒の挑戦 神経を沈める(金と衆に従う、催眠術、修養)
我が家に隣接する空き地に落雲館の生徒が侵入し、主人と対立している。主人が怒るから彼らは面白がって、ボールをこちらに打ち込みはやし立てる。とうとう一人捕まえたが、先生がやってきて釈放、ボールが入ったら断って、と言うことになった。金田と鈴木の話し合いからどうやらこれは金田がやらしているらしいと判明。生徒達は断ってはボールをとりにくるを繰り返し、まだ主人を逆上させている。主人の癇癪は相当で甘木医師の催眠療法にもかからない。鈴木が金と衆には従うべきだ、とさとす。
9 300-341p 主人のあばたと顔の研究、天道公平の手紙、寒月硝子球磨り
あばたづらの主人は一張来の鏡なぞを使って研究している。しかし自分自身を知ると言うことは良いことだと思う。主人の所にはいろんな手紙が来る。寄付依頼などはそのままくずかご行きだが、一通、主人は感心しているものの天道黄公平なる者のおかしな手紙があった。そこに迷亭が静岡の叔父と共に来訪。寒月の硝子球磨り等の話から沢庵禅師の不動智神妙録や名目読みなどに話が及び主人は煙に巻かれている。老人が去った後の話で天道公平は昔の下宿仲間立町老梅で今は巣鴨の気狂い病院に入っているのだそうだ。そこに警官が先日の泥棒が捕まったから明日の9時に、出頭して盗難品届けを出せとやってきた。一人になって主人は気狂い論に夢中である。
10 341-398p 盗品のもらいうけ、主人の娘達、八木独仙、雪江と保険 艶書
細君がいい加減な掃除をしながら亭主を懸命におこし、盗品のもらい受けに行かせる。この家にはトン子、スン子、それに三歳の坊ばの三人の娘がいる。こいつらの掃除やら食事やらでの活躍、無軌道ぶりは吾輩もあきれるばかりである。主人の姪で女学生の雪江さんがやってきた。細君と二人で亭主が保険に入らない、と言う話、八木独仙の噂などをし、子供達には交通の邪魔になった地蔵を馬鹿竹が動かした話などをしている。主人が盗品をもらい受けて帰ってきて、花生けの話など。そこに古井武右衛門なる勇ましい名前をした学生が相談に来た。金田の娘が生意気だからからかってやろうと仲間三人で艶書を送ったが、自分は名前を貸した、発覚したら退学になるだろうか、何とかして欲しいと泣きついて来たのだ。主人が冷たくあしらっていると今度は寒月がやってきた。こちらは虎の鳴き声を聞きに上野に行こうと言うのである。こちらにも冷たい。
11 398-474p ヴァイオリン練習、寒月・多々良の結婚、探偵論、猫の酒飲み
迷亭と独仙がへぼ碁にに興じている。座敷の入口では主人を中心に寒月と東風。寒月がヴァイオリンを習うと決心し、暗くなるのを待って買いに言った話、買ってきたものの練習する場所がなく、夜山中に一人ででかけた話など、時間をかけて話す。寒月はなんと郷里に戻ってそこで結婚してしまったそうだ。個性の発展と夫婦不成立論、自殺主流論、コルドヴァの女に伴う習慣の話などおかしな文明論を展開していると、そこに多々良三平まで現れた。なんと彼はあの金田の娘をもらうことにしたという。三平のお祝いの話などに皆ビールなどを飲み時が流れて行く。吾輩も一度ビールの味を味わってみようと、台所のコップに口をつけたのがいけなかった。ふらふらになって気がついたときには瓶のなかに落ちていた!
・さてこの大空大地を製造するために彼等人類はどのくらいの労力を費やしているかというと尺寸の手伝もしておらぬではないか。・・・・小賢しくも垣をめぐらし棒杭をたてて某某所有地などと画し限るのはあたかもかの蒼天に縄張りして、この部分は我の天、あの部分は彼の天と届け出るようなものだ。(120p)
・羽より軽いものは塵である。塵より軽いものは風である。風より軽いものは女である。女より軽いものは無である。(209P)
・猿股の発明。・・・・自然は真空を忌むがごとく、人間は平等を嫌うと云うことだ。(242P)
・西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生を暮らす人の作った文明さ。(298p)
・山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すという考えを起こす代わりに隣国へ行かんでも困らない工夫をする。山を越さなくても満足だと云う心持ちを養成するのだ。(299p)
・凡て人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川と云い日月と云い星辰と云うも皆自己の異名にすぎぬ。(308P)
・ことによると社会は皆気狂の寄り合かも知れない。・・・・分別のある奴は帰って邪魔になるから、瘋癲院というものを作って、ここへ押し込めて出られないようにするのではないかしらん。(339P)
・世の中を見渡すと無能無才の小人程、いやにのさばりでて柄にもない官職に登りたがるものだが、あの性質はこの坊ばの時代から萌芽しているのである。(353p)
・人間を研究するには何か波瀾がある時を撰ばないと一向結果が出て来ない。(377p)
・探偵と言えば二十世紀の人間は大抵探偵のようになる傾向、どう云う訳だろう。(442p)
・今の人はどうしたら己の利になるか、損になるかと寝ても醒めても考えつづけだから、勢探偵泥棒と同じく自覚心が強くならざるを得ない。(444p)
・個人が強くなった。・・・・個人が平等に強くなったのだから、個人が平等に弱くなった訳になる。(456p)
・ 昔は孔子がたった一人だったから、孔子も幅を利かしたのだが、 今は孔子が幾人もいる。(461p)
<参考>「吾輩は猫である」は、猫の目から英語教師の家族を観察するという形を取っているが、単なるユーモア小説ではない。その中で、個性を殺して全体に会わせようとする日本人と、どこまでも個人を単位とする西洋人の考え方の対比を取り上げ、登場人物に議論させている。作者は西洋的な個人主義を支持しながら、無批判な西洋崇拝者に対しては皮肉の矢を放ち、「西洋人より昔の日本人がよほどえらいと思う」という人物も登場させている。(「新しい歴史教科書」254P)
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