十九 海に面したホテル


十時半頃ニースについた。
「ホテルはね。業者は、寺院の近くのものを薦めたんだ。だけど、僕はどうしても海岸ぞいのホテルにとまりたくてね。この前来たときにメリデイアンに泊まったんだけれど、朝、レストランから外を眺めると、太陽の光で海が光り、デサングレあたりを行き交う観光客、車の流れがよく見え、華やかなんだよ。」
デサングレは海岸にニースのそったにぎやかな通りである。コナン、もう三度目くらいになった恩きせ話をサユリに聞かせながら、がらがらと重い荷物をひきずって、駅から海岸通りを一五分。
ようやく最高級ホテルネグロスコの手前のウエストミンスターホテルを見つけた。
「チェックインは二時半からです。それまで荷物はお預かりします、」
にちょっとがっかりし、さてこれからどうしたものやら。
「食事をしてから、モナコ観光に行こう。」と決め、ホリデイイン側にあるイタリアンレストラン。
またコナン、運ばれて来たビールをひっくり返してサユリに「どうも注意散漫だわね。」とあきれられながら、それでもそれなりにおいしいスパゲッテイに舌づつみ。
一二時五三分にのり、二〇分でモナコ。なんとコナンはモナコは四度目、目をつぶっていたって王宮くらいは行けらあ。
しかしサユリははじめて、坂道を上り「あれが王宮!」と紹介されると感激し、裏手の展望台の古い大砲のまえから眼下を見下ろし、係留されているボートとミカン色の屋根の建物群を見下ろしてまた感激!コダックだか、富士だか、フィルム会社への奉仕に余念がない。
海洋博物館目指して坂を下りて行くとカテドラルがあり、観光客が列をなして飲み込まれて行く。コナンとサユリも、当然のごとく続いて行ったが、途中にグレース王妃の墓があった。コナン「ねえ、彼女もあそこのお城に生活していたの。」と聞かれて「そうだろうな。」と頼りなげな返事。
海洋博物館は、東京にある葛西臨海公園や品川のそれに較べれば小さい気がするけれど、さすがにレーニエ大公の肝いりで建てたと言うだけあって、宮殿のような建物。シャンデリアが点れば、ボールルームになりそうだ。
地下二階正面に、どういう訳かピラニアの池があり、左右に種類毎に分かれた水槽。その中の岩影にウツボが潜み、観光客をにらんでいるように見えた。
再び王宮に戻り、裏手の商店街を散歩。テイーシャツを買おうかとさんざん眺めて回ったが、結局は冷たい紅茶を飲んだだけ。
「あそこに見えるのがモンテカルロなんだ。坂道をおり、あの海沿いを向こうに行き、また坂を上る。いつか坂道の途中のレストランで海をみながら、豪華ランチを食べたことを覚えている。行ってみようか」
「カジノホールには入れるの。」
「いや、無理だろう。背広を着てパスポートを持っていかないと、入れてくれない。それにこの前入ったとき、ちょっとだけのぞいたんだが、五〇〇フラン札が飛び交っていてとても我々庶民が参加する雰囲気じゃなかった。スロットマシンを少しやって出てきた。」
「そんなの嫌だわ。」
「でも公園はきれいだよ。」
「私、賭博は興味ないわ。それに疲れちゃったわ。」
四時頃の電車に乗った。向かいの席に日本人新婚風。仲むつまじく海を見つめ、なにごとか話している。
「新婚旅行に南フランスなんていいわね。」
「そうね、だけど最近は、名も知らぬ南の島など妙なところがはやっているらしい。」
「ヨーロッパなんてもう古いのかしら。」
「じゃあ、今度はバリあたりに行ってのんびりすると言うのはどうだい。」
「事情が許せばね。。」
どうなるか分からないから、とりあえずはあの二人みたいに後少しの時間を楽しもうと決める。五時頃ホテルにチェックイン。円が安くなったせいか、あてがわれた部屋は脇の通りに面していた。ビルの間からデサングレ通り(イギリス人の遊歩道)と海が見えた。

二十 朝のニース


このホテルは、百年くらいは経っているホテルのようだ。一階には創業当時のホテルの白黒写真が飾ってあるが、何もない浜にこのホテルがひとつだけぽつんと建っている。階段を下りて行くと壁には昔のニースの漁村風景の油絵が沢山かけてある。
食堂は一階にある。シャンデリアがつき、昔はボールルームに使われたのだろう。すらっと背の高いキュートな娘が、客を待ちかまえている。
朝食はバイキング形式。彼女の仕事は客を案内することと、客の食べた皿をかたづけることと心得ているらしい。客が食べ終わると、皿をさっさと持っていってしまう。持って行かれた向こうの客が、隣のテーブルにセットしてあった皿を、自分の席に持っていってしまった。
朝食を終えて、デサングレをぶらぶらと東に歩く。デサングレはホテルの方から二メートルくらいの歩道、分離帯のある車道、海岸よりに一二メートルくらいの遊歩道となっている。この遊歩道が素晴らしい。
もう観光客やらジョギングをする若者で一杯である。ところどころに椅子が置いてあり、ぽつぽつと客がで始め、海の方を見やっている。
一五分ほど行くと、海に突き出た城の下に出た。ここは石段を登っても良いが、有料のエレベータで上に行くこともできる。上は公園になっており、犬の訓練をやジョギングをしている。それはともかく、ニースの町が一望。
「この下あたりが、昔のニースなんだ。だからホテルの絵は、この近辺のものと思うよ。」
とコナンの解説。反対側が港になり、突堤が沖までずっと伸びている。その中をヨットが一隻、ゆっくりと出て行く。波が朝日にきらきらと輝いている。
「もう、旅行もおしまいだね。これから行くシャガール美術館が最後か。」
「そうね、また何時来られるかしら。」
「もう、一生来られないと思うよ。なぜかと言うとこんな長い海外旅行は一年に一度出来ればいい方だろう。そして今度来るときは「今まで行かなかったところに行こう。」と考えるだろう。」
「そうね、それじゃ、見納めだわ。」
下におり、旧市街を通って、シャガール美術館行きのバスがでるというマセナ広場に向かうことにする。

広場で朝市をやっていた。トマト、ズッキーニ、赤いピーマンなどなかなかカラフルである。
コナンの会社から、良く知っている女の子が、二ヶ月ほどニースに語学研修で派遣された。美人だった。
彼女もこんなところで買い物をしたのかな、と想像した。
「あなた、写真撮って・・・。」
突然サユリの声がかかった。
「はい、はい!」
ここは観光スポットにもなっているらしく観光バスが押し寄せてきた。どっと肉付きのよい青い目のおばさん、おじさんが吐き出されてきた。

二十一 シャガール美術館


百科辞典をまとめるとこうなる。
マルク・シャガールは一八八七年ロシアに生まれた。
ユダヤ系画家で、ロシアで学んだのち、パリにでた。モンパルナスの通称「ラ・リュシュ」(蜂の巣)に住み、モデイリアニ、スーチン、ドローネー等を知り、さらに詩人のアポリネール等と親交を結んだ。
第一次大戦で一時ロシアにもどり、このときにベラと結婚、彼女はシャガールの絵の重要な霊感源になった。一九二三年三六歳の時、パリに戻り、第二次大戦中はアメリカに亡命するなど苦労を重ねながら活躍。一九五〇年にニースの西方の小村にうつり、一九八五年九八歳で没するまでそこで過ごした。
初期の作品は、キュビズムの影響を示したが、まもなく独自の表現に入り、牧場の牛を写しては、その中の胎児までも描き、恋人は空に飛び交うなど奔放な構想に従った。しかも色彩は五彩に輝いて豊富であり、空想を失いがちな現代に、怪奇ななかにも魅力あるおとぎ話をうんでいる。(平凡社百科辞典、小学館百科事典より抜き書き)
「そこを右に曲がったところにバス停がありますから、そこで一五番のバスに乗って下さい。」
この前、来たのにすっかり忘れている。女の子に教えられて、やっとバス停留所を発見。
バスは鉄道を越え、駅北側斜面に広がる住宅街をゆき、美術館前でとまった。
広い前庭の奥にある白い建物は、夢のある作品がいっぱい。ベラやその娘イダの絵、彼女たちに囲まれた中期の絵も多いが、なんと言っても目玉は晩年に描かれた「聖書のメッセージ」なる作品群。
コナン、ところどころ分からないフランス語を適当に想像しながら、サユリに解説。
「出エジプト紀にモーゼが岩をたたいて水を出すところがあるだろう。あれだよ。」
「あったかしら、そんなの。」
「こっちはノアだな。」
「そうよ。ノアの箱船よ。」
「この単語は箱船っていう意味なのかなあ。」
「そうに決まっているわよ。こっちは何かしら。恋人たちの絵のようね。何か物語から取ったのかしら。フランス語、分からない?」
「うーん、何て言っているんだろう。」
「彼はユダヤ教徒だったからキリストについての絵は描いていないんでしょう。」
「そうだよ。」
と、言ったが、コナンの乏しい知識では、彼がユダヤ教徒であったかどうか、も定かでない。

買い求めた日本語の解説書では作品は次のようになっている。
人間の創造
楽園・・・・右手にアダムとイブが描かれている。
楽園を追われたアダムとイブ
ノアの箱船
ノアと虹
アブラハムと三人の天使
イサクのいけにえ
ヤコブの夢
ヤコブと天使の戦い
燃える柴の前のモーゼ
岩をうつモーゼ
律法の石版を受けるモーゼ
雅歌(一から五)・・・・これが恋人たちの絵
一時間くらいで外に出る。庭のベンチに坐って持参の水とジュースを飲む。バスが止まり、団体客がどっと下りてきた。退散するとしよう。

二十二 最後の一時


「君が水着を着てさ、こういう風にポーズをとってさ、ニースの浜をしゃなり、しゃなりと歩けばさ、フランス人もアメリカ人もドイツ人も、やんやの拍手を送るよ。」
とおだてても
「なにを言っているの、こんなおばあちゃんが、恥をかくだけだわよ。」
とにこにこ笑って、サユリは取り合わない。私の弱いお肌が日焼けして水膨れでも出来たらどうしてくれるのよ、とパラソルをさして、石の多い浜に坐り、コナンが時々水に入るのを眺めるだけ。
コナンは時々水にはいるのだが、波は結構高く、しかも急に深くなっているから、泳ぎには向いていない。ちょっと浸かってすぐ出てきて、サユリのご機嫌を取りながら、ちらりちらりと目を動かして、向こうのトップレス美女のお尻を気にする。
午後、四時少し暑さが和らいできた。沖ではウオーターパラグライダーが時折あがっている。
夕食。
昨日はワイン、ブリオッシュ、サラダなんかを近くのスーパーで買ってきてすました。(栓抜きも買った。栓抜きは海外旅行には必携品だ!)
今日は今回のヨーロッパ旅行の最後の晩、それじゃあ、おさまらんと旧市街に繰り出す。
朝市をやっていた広場は、今は左右のレストランが、テーブルと椅子を並べ客を取り合っている状況。その内の一件の海産物のうまそうなところに入る。
案内してくれたテーブルがどぶ板の上にあり、テーブルが少しかしいでいる。
看板にある店の名前がleとまず冠詞を書き、それから鰯みたいな魚の絵を二匹書き、それからcreeとしてある。創造された魚?一体なんて訳したらいいんだろうとコナン思案投げ首。
コナンの思案はお構いなしにメニューをみていたサユリ
「蟹のマヨネーズ付きがいいわ。それから後はムール貝のあげたのにしましょう。今日はお酒はビール。」
「はい、はい!おーい、お姉ちゃん!」
ムール貝はすごい。赤い鍋にあふれんばかりのちょっぴりトマト味を利かせた貝。コナンはその貝殻を見ると、時々ゴキブリを思い浮かべるのだけれど、お味の方は抜群。なかなか店が決まらなかったサユリも途端に目がきらきら・・・。
蟹は失敗だった。ミソをのぞいてあんまり食べるところがない。その上、冷凍物で鮮度も落ちるようだ。
大体西洋人は「魚の鮮度」という感覚については、日本人に較べて劣っているようだ。姿、形が大きく立派であればいい、と考えているように見える。刺身を食っていないからかも知れぬ。
地中海で蟹が捕れるという話はあまり聞かぬから、この蟹もどうせ北の海から持ってきたもの。期待する方が無理だったようだ。

二十三 極楽からの追放

朝四時五〇分、誰もいない飛行場。
「もう、後三〇分寝られたじゃない。あなたは、いつも余裕を見過ぎるんだから。」
「そんなこと言ったって・・・・。国際線は何が起こるか分からない。いままでの海外経験でタクシーが事故ったことが、二度もあったんだぞ。」
そんなぶつぶつをまだ繰り返す。
一時間くらいたってやっと荷物を入れ、搭乗券をもらう。
ところが税関に行って失敗に気がついた。
「物がなければタックスリダクションの印鑑はおせません。」
そう言えばそうだった、なにも考えずにスーツケースを預けてしまった、と二人で反省しても後の祭り。
それでもとにかく無事に飛行機に乗ることが出来た。七時頃離陸。みるみる陸が遠くなって行く。
アムステルダムでは四時間以上の待ち時間。税関のスタンプをやっと押してもらうことが出来た。昼飯に二階のバーで燻製のサーモンを挟んだサンドイッチ。お値段は良かったがサーモンのつるりとした感じが、素晴らしく、美味だった。
おみやげにチーズを買ったけれど大正解だった。空港で買ったにも関わらず値段は日本の半分以下、アルコールを買うよりもいい。
飛行機の中で、アメリカの株価が頭をうったせいで、円が幾分値を戻したことを知った。けれど決して日本経済に回復の兆しが見られるようになったわけではない。苦しい世の中になりそうだ。
翌日の朝早く、東京に着いた。新宿につき、一一時「食事をしてかえろうか」とも考えたが、荷物が重い。仕方なく「いったん、家に帰ろう。それで近いのだから、お互い外に出られるようだったら、近くのファーストフードにでも昼飯を食べに行く。」事にする。

「もしもし、だめ、娘が食事の用意をしていったし、おじいちゃんがいるから、昼食を一緒にとらないわけに行かないんだよ。その上、親戚のおじさんが重病だ、って電話が入ったんだ。お見舞いにゆかなきゃ、ならない。」
「私もよ。帰ったら玄関の前に荷物がどーんと置いてあるのよ、父と母、今日、こちらに帰ってくるんですって。その上、家には息子がでーんと茶の間に居座っていて「飯、頼む。」ですって。やんなっちゃう。」
それから三日後、そのおじさんのお通夜の席。コナンと同じ歳の、失職した遠縁の男が、言う。
「職安に行くと、今、守衛や高速道路の切符切りなんかでも、一人の募集に対して、三十人も応募があるんですよ。私はやっとタクシー運転手に仮採用になりましたがね。」
厳しい世の中である。この次は本当に行けないかもしれない。