あちらを見れば針の山、こちらをみれば、猛火の山、逃げまどう民、追いかける鬼、行く手にはだかる血の池地獄
中に不釣り合いに立派で、豪華な地獄一丁目エンマ庁地方裁判所・・・・。
閻魔大王「今日の審判は、結婚したての年若い男女とか・・・・。」
赤鬼「仰せのとおりにございます。」
大王「成田離婚、式場離婚、あるいはなんぞの理由で、どちらかがどちらかをぶすりとやったとか・・・・。」
青鬼「いえ、いえ、そんなことではございません。大王様。」
大王「二人の関係は悪くはなかったのか。」
赤鬼「幸せの絶頂、こちらが赤面するほどでござりました。」
大王「お前が赤くなったらどうなるのじゃ、猿のケツか?」
赤鬼「いえ、いえ、滅相もない。」
大王「それでは、道行きでもあるまいに、なんでこんなところに来たのだ。」
青鬼「ドイツとか申す国の高速道路で二百キロの猛スピード。ガードレールに激突・・・・・。」
大王「おお、痛ましや。しかし、それならなにもここに来ることはないではないか。単に不注意と申すものじゃ。蓮の台でいちゃ、いちゃ、いちゃ、いちゃ・・・。それで良いではないか。」
青鬼「いや、それがそう行かぬほどの重大犯罪を犯したようでございまして・・・。」
大王「な、なんと、それでは子細を聞かざあ、なるまいの。」
赤鬼、青鬼「ははーっ 」
三栗(みつくり)克子は、昭和二十年三月、東京、大阪など日本の大都市が、B二九のジュウタン爆撃を受けている頃、横浜の片田舎で、三栗家の次女として生まれた。
父は、さる民間企業に勤めていたが、戦後は横浜市に奉職した。温厚な男で、自分を犠牲にしても人を立てた。親切すぎて、家族はしばしば面食らったが、そんな父を母がよくフォローした。家庭は暖かかった。
三栗家は、その後男の子が生まれ、一男二女となった。克子はいつも母と姉の和子を追いかけ廻しながら、すこやかに成長した。
克子が生まれた時は、一番苦しい時代だった。しかしその後は日本の復興の波に乗って順風満帆の子供時代を過ごす事が出来た。食い物が悪い、着る物がないと言っても最初が最低だったから、苦にはならなかった。
昭和三十五年、彼女が、高等学校二年の時、父が、五十歳の若さで、交通事故に遭い、突然亡くなった。母にも子達にも大変なショックだった。
克子は、母の手で育てられることになった。しかし克子は、父の死にめげることなく、テニス部などで活躍して高校時代を過ごし、某短期大学家政科に入学した。美人ではないが、くしゃくしゃした顔立ちが、誰にも好まれた。身長百五十センチ強しかないせいで、チビ、チビ、時にはオツクリカツドンなどとからかわれたが、性格は明るく、ややオテンバにすら見えた。しかし、母の影響を受け、根は従順で控えめだった。
卒業後、OL生活を少し経験した後、二十二歳で、大手機械メーカー社員佐伯光彦と結婚した。翌年百合が生まれ、彼女は幸せの絶頂期を迎えていた。
しかしその四年後、母が脳梗塞で六十年の生涯を閉じた時から、彼女の人生は、暗転したように見えた。
夫の光彦が、その三年後、三十五歳の若さで突然亡くなった。この時、克子は三十歳。夫は責任感が強く、仕事に熱中するタイプだったが、課長に昇職し、新しいポストを与えられてあせっていた。死因は心筋梗塞、ストレスが高じたためでしょう、と医者に言われた。克子には信じられなかった。前日まで二人でテニスを楽しんでいたのに・・・・。
一人娘の百合を抱えて、呆然自失のまま、一年、二年が過ぎた。年金以外、時折働くパート収入しかなく、苦しい生活が続いた。
・・・・・・
篠田光男は、昭和七年、満州に日本の傀儡政権満州国が出来た年に、群馬県の高崎で生をうけた。やがて、日清戦争、太平洋戦争、日本は軍国化の道を進んだ。軍人だった父は、
古い考えの持ち主だった。男は強くなければならず、女は従順でなければならなかった。結局、彼は、光男の聞いたことのない南方の島で戦死した。
それでも光男は、学徒動員で一年間を棒にふったものの、元気に育った。聡明な方で、中学校時代に、高崎市の戦国時代の歴史を調べ、賞をもらった。父の気質を受け継いだのか、向こう意気が強く、友達は少なかった。よく喧嘩をしたが、あまり負けなかった。百六十センチ、六十キロの体躯は豆タンクを思わせた。
昭和二十五年、無事に地元の高校をでた光男は、上京し、学芸大学に入学。二十九年に、中学校の歴史教員としての道を歩み始めた。
父を亡くして頼るもののない母は、そんな光男をいつも「ボクチャン」と呼んで甘やかした。一方では、頼りにし、そして独占しようとした。
昭和三十一年、二歳年下の川村光子なる女性と見合い結婚。一男一女を得た。
しかし夫婦の生活には、いつも母が割り込んできた。母は一家の生活を取り仕切り、決して嫁に財布を渡そうとしなかった。光子の不満に、ボクチャンは、常に母の味方をきめこんだ。「嫁は姑にしたがうもの」という考えで光子を押さえ込もうとした。しかし光子は、当初の予想に反し、権利を主張するずっと強い女性だった。光子の不満が頂点に達し、二人は離婚することになった。子達は、光子が引き取り、ボクチャンは月々なにがしかの養育費を払うこととなった。
昭和五十五年、光男の母が七十六歳でなくなった。
・・・・・・・・・
昭和五十七年十月、三栗克子と篠田光男が、郡上祭りで有名な、岐阜県高山市で、偶然に出会った。
光男は、教員の研修旅行でやってきたものだった。克子は、友人と下呂温泉にバス旅行をした帰りに、たまたまよったものだった。
光男達三人は、研修と市内観光を終えた後、ホテルのバーのカウンターで飲んでいた。そこに克子が友達とやってきた。運命の女神は時としてとんでもないいたずらをする。気がついたとき、バーには光男と克子だけが残っていた。目と目があって、それらが何かを感じあった。二人は恋らしきものに落ちた。
時に、光男は五十歳、克子は三十七歳、少し離れている気もしたが、克子には、それが返って頼もしく思われた。何より、克子は、百合が成長するに連れて彼女から離れて行くようで、さびしかった。光男の隠された問題点は、恋をする女には見えなかった。
翌年、二人は結婚し、克子はそれまで住んでいた川崎のマンションを引き上げ、娘と一緒に、武蔵小金井の光男の家に住むようになった。その家は、玉川上水近くにある百坪程度の土地の奥の方に建っていた。結婚二年後、光男は、近くの貫井北中学の教頭になった。
・・・・・・・・・・
甘い生活は、あまり長く続かなかった。一時の熱い時代が終わると、光男は地金がでて、ワガママになり、それが聞き入れられないと、暴力をふるい、ふるうと狂ったようになった。「男は強くあらねばならない。」という父の言葉を思い出し、自分の暴力に酔うのである。気の弱い克子は、本当におびえてしまった。
その上、光男は吝嗇だった。克子にはわずかな食事代を渡すだけで、後は自分で取り仕切った。しかも先夫の光彦が、克子に残したわずかな財産にも目をつけ、それを管理したがった。
克子は「光男が私と結婚した本音は、亡くなったお母さんの代替えが欲しかったからではないのか。」とあきらめ始めた。そして、いつのまにか、教職者としての夫に対する軽蔑の気持ちがわくのを、押さえられなくなっていた。外では男女平等を唱えるくせに、家では完全に封建亭主を決め込む。炊事、洗濯はもちろん女の仕事、テレビは独占し、飯が気に入らなければ嫌みを言い、暴力をふるう。あれが中学校の教頭か!
自然、二人の間はさめて行き、次第に、それぞれのカラにとじこもるようになった。
百合は、当初から本能的に光男を嫌っていたように見える。
百合は、母に似て一見おとなしそうに見えたが、戦後の教育を受けて育ったせいか、シンの強い女性だった。短大をでて、就職すると、荻窪にアパートを借り、さっさと出ていってしまった。
そして、母と娘はそれぞれに行き来し、不満をぶつけ合い、時には慰め合った。
篠田光男は、地元の武蔵野郷土史会に入り、この地方の歴史を研究をしている。武蔵野は昔は、ハケと呼ばれる湧水地帯に沿って開発された。本格的開発は江戸時代からで、玉川上水、その分水の野火止上水、千川上水などの用水路が開かれ、多くの新田集落が開発された。第二次世界大戦を契機として都市化が急速に進んだ。そんな過程を、事実を元に丹念に調べ上げて行くのである。
光男は、自分の世界を持っているせいか、飽きの来た克子には驚くほど無愛想になっていた。そして落ち着くのか、本を読み、パソコンを使って、原稿を書く作業を、玄関脇に、結婚してすぐ建てたはなれで、主として夜間にやるようになった。はなれは、小さいながら、本格的な建築。ベッドも風呂もトイレもついているから、光男は、誰にもじゃまされずに、自分の仕事に没頭できる。
結婚八年目。一方の克子は、今年四十五歳の誕生日を迎えた。ぽっちゃりとした小作りの顔には、まだそれなりの色気を漂よわせているが、明るさはなくなり、ふてぶてしさが目立ってきている。
最近、克子も、はなれのありがたみを痛切に感じている。夫がはなれにゆくと、克子は完全に解放される。
・・・・・・・・・
二月十一日、戦前は紀元節、今は建国記念日、空はどんよりと曇っており、日中の最高気温は六度、今にも雪でも降りそうな天気だ。
夕方、玄関のベルがなった。
「ごめん下さい。先生、いらっしゃいますか。」
しかめ面をした長身の男が立っていた。
「あ、道原先生、お待ちしていました。」
道原先生は、同じ貫井北中の国語の先生で三十五歳、身長百八十センチあまりの巨漢。光男の話では「あいつは源氏物語に使われる「給う」の数を数えて修士号を取ったんだ。」と言うことだ。
克子が挨拶にでると、後ろからどてら姿の光男が出てきて、克子を押しのけるようにし、
「あ、上がって下さい。」
それから光男は、先生をDK兼応接室のソファーに座らせて話し始める。二人が酒とビールを楽しむ内に寿司が届き、食事になる。
八時頃になって、光男が、どういう訳か厳しい表情を見せて克子に言った。
「はなれに行く。誰も来させないでくれ。君はもう寝ていい。」
克子は、無言で二人を送り出して食器を片づけはじめる。「なぜ、来なくて良いと言ったのだろう、なぜわざわざはなれに行ったのだろう。」とは、後から気がついた疑問である。
この時、克子が考えていたのは、全く別の事だった。これで今日の仕事はおしまい、今夜は、最高に幸せな夜になりそう。
・・・・・・・
翌朝、午前七時半、本当に寒い。
克子は布団のなかでもぞもぞと体を動かす。この心地よいぬくもりと、何の因果で分かれなければならぬのか、道原先生はあのまま帰ったのだろうか、などと考えながら、夫に食べさせない訳には行かぬ、とあきらめ、のろのろと起きあがる。
割烹着姿になるが、髪は乱れたまま。暖房のスイッチを入れる。光男は洋食党、オーブンにパンを入れ、コーヒーを沸かし、熱したフライパンに卵をポン・・・。できあがった物を盆に載せ、左手で抱える。勝手口をでて、コンクリートのたたきづたいに玄関脇にあるはなれに行く。今日は昨日とうってかわって、朝日がまぶしい。
「おはようございます。お食事、お持ちしました。」
と声をかける。少しは、快活な返事を期待したが、音無しである。仕方なく左手の盆を下におろし、ノブを回し、ドアをおす。
「あら!」
鍵がかかっている。
「あなた!」
もう一度大きな声で呼ぶが返事がない。ドアの中央にある郵便受けの口を押し上げて、中を覗くと、手前の板の間と、光男の部屋の間の襖が閉まっているのが見えた。ぶつぶつ言いながら、克子は台所にもどる。
「冷えちゃうじゃない!」
そんな風に心につぶやきながら、合鍵を台所に放り投げてあった財布から取り出し、克子はふたたびはなれに・・・。がちゃがちゃとドアを開ける。サンダルを脱ぎ、お盆をガスレンジの上に置いて、襖を開けながら、腹立たしげにもう一度「あなた!」と叫んだ。
冷え冷えとした室内。電気だけがこうこうと輝いている。
「まだ、お寝みかしら・・・・。」
しかし光男はベッドにも、机の側にもいなかった。ゆっくり室内を見回すと、書庫の前にかかしみたいに突っ立っている、ずいぶん背の高い夫・・・・。光男は、その鴨居で首をつっていた。克子は、ヘナヘナと腰を落としてしまった。
光男の側にはひっくりかえったイス、机の上には遺書らしい紙切れ・・・・・。
それから、一時間足らず。取り乱した割烹着姿の克子からの連絡で、武蔵野警察署から、刑事が三人到着した。彼らは竹下警部、光田刑事、鑑識の沢田と名乗った。
克子は、竹下警部をみて「お相撲さん」と思わずつぶやいた。夫を二廻りも大きくした体に、猪首がちょこんと載っている。四十代だろうか。それに比べると光田刑事は若く、背もすらっと高く、思わず克子が赤くなるほどの男前だ。沢田は光田と同じように二十代に見えるが、ずっとおとなしそうに見えた。
克子は、割烹着のまま、おろおろしながら、皆を玄関脇のはなれに案内した。
「ちょっと待ってください。」
はなれの前に来ると、竹下が顔に似合わぬやさしい声で言った。
「奥さん、現場をいじっていませんね。」
「ええ、そのままで皆さんが来るのをお待ちしていました。」
「そのドアは閉まっていましたか。」
「ええ、鍵がかかっていました。」
「奥さんはどうやって入ったのですか。」
「合鍵があります。」
西向きのフラッシュドアを開けて、どやどやと中に入る。たたきに靴を脱ぎ、板の間に上がり、沢田が、襖に手をかけようとすると、また竹下が言った。
「その襖は閉まっていましたか。」
「ええ。」
中に入る。南を向いて、引き違いアルミサッシガラス戸、スチール製らしい雨戸は閉まっており、さんが上下共に、がっちり閉まっている。窓は他にはないようだ。
「奥さん、発見されたとき、電灯はついていましたか。」
「ええ、ついていました。あの・・・・、雨戸、開けてよろしいでしょうか。」
「待って下さい、現場の状態を調べないといけませんから・・・。」
部屋の奥に、作り付けの書庫があり、部屋と書庫の間は、引き戸で仕切られているのだが、光男はその鴨居にぶら下がったいるのだ。
光男をぶら下げていた紐は、着ている丹前のものらしく、一方を鴨居に結びつけ、他方で輪を作って、椅子に乗ってその中に首を突っ込み、椅子を蹴飛ばしたらしい。目をかっと開き、鼻を垂らしている。紐のなくなった丹前の間から、長袖のシャツと股式がだらしなく見える。めがねが喜劇役者のそれのようにずれ落ちかかっている。
南に向いた、ガラス戸の前に、立派な文書机。脇にガスストーブが置いてあるが、火はついていない。机には右に郷土史資料らしいものとパソコンアウトプット、左に小さな金属製のラックが置いてあり、パソコンとプリンターが乗っている。中央にA4ペーパーが一枚おかれており、それには
「老いて、能力の限界を感じたり。無用に命を長らえる事意味なし。」
と縦に大きな文字で印刷されている。
「なんだね。これは・・・・。」
「遺書といわれれば、そのように見えますが・・・・。」
部屋の反対側にはベッドとスタンド。
沢田がぱっぱっとフラッシュをたいて現場写真を撮り、三人で遺留品のチェックが始まる。パソコンの前に円筒型の筆立てが置いてあったが、その中から見覚えのある鍵が、見つかった。
「奥さん、この鍵は・・・。」
「この部屋の鍵ですわ。」
「じゃあ鍵は、全部で二つあるわけですね。」
「そうです。」
それから竹下が沢田に言った。
「自殺だろうと思うが、一応指紋を取り、遺留品を押さえておこう。」
光田と沢田、二人がかりで、死体をそっと下におろす。竹下は克子の方を向き、
「一応、司法解剖をします。もうすぐ車が来ると思います。二、三日でご遺体は返されますから心配しないで下さい。」
「分かりました。」
表で音がして、車がやってきた。
・・・・・・
「お父さん、どうしたの。」
と突然、襖が開いて、若い娘が飛込んで来て、呆然とした様子。
「ああ、入っちゃいかん・・・。」
竹下があわてる。
「百合ちゃん、大変なの。」
と克子が、よたよたと駆け寄る。二人はしばらく抱き合ったいたが、克子が「娘の百合です。」と紹介した。
背が高い、百六十五センチ位はありそうだ。ちょっと小太り。茶色のトックリ型のセーター、格子縞のスカート、黒い裾の長いオーバーがよく似合う。二十歳を少し越えたところだろうか。色白で、目鼻立ちが整い、なかなかの美人である。小さな克子が見上げるようにして、状況を説明する。驚いた様子は見せるものの、以外に落ち着いている様子で、涙を流すでもなく、説明にひとつひとつうなづいている。
・・・・・・・
光男の遺体が、車で運び去られると、竹下は克子に言った。
「あちらで少しお話を伺いたいのですが・・・。あ、娘さんもご一緒に。」
応接室に克子、百合、三人の刑事。
竹下は、死者の名前、生年月日、克子との関係などを聞いた後、光男の死体発見に至るまでの状況を聞いた。
「昨日は、夕方六時頃、道原先生がお見えになりました。道原先生は、貫井北中の国語の先生で、夫は、大変気にいっていたようです。応接室で一杯やりながら、二人でお食事を取りました。」
「お食事は奥さん、手作りですか。」
克子が苦笑いしながら
「いえ、いえ、駅前の橘寿司から出前を取りました。私が作ったのは、お吸い物だけです。」
竹下がたたみかけるように
「お二人は、どんなお話をされてましたか。」
「聞き耳を立てていたわけではありませんから、分かりませんが、校内暴力の話か何かしていたようです。」
「食事を終えて、どうされました。」
「夫は、もう少し道原先生と話がしたい、とかで、一緒にはなれにゆきました。時間は八時頃だったと思います。」
「一人になって、奥さんはどうされましたか。」
「夫は、はなれに行くとき「もう構わないでいいから・・・。」と言いました。そこで私は洗い物等をした後、テレビの歌謡ショーを見ました。床についたのは、十時頃だったと思います。」
「じゃあ、ご主人をはなれに送ったのが、最後になったわけですか。」
「そうです。」
「道原先生はいつ頃帰られましたか。」
「九時頃、物音がしましたから、その時に帰られたのだと思います。」
「今朝は・・・・。」
「七時半ころ、夫が死んでいるのを、朝食を持っていって発見したのです。」
「夜間、訪問者はありませんでしたか。」
克子は、何でそんなことを聞くのか、と言う風にして答えた。
「ありませんでした。」
「何か、物音に気がつかれませんでしたか。」
「いいえ、私は結構眠りが深い方なのです。それに私の寝室とはなれはちょっと距離がありますから・・・・。」
「ご主人は自殺と思いますが、何か思い当たることがありますか。」
「いいえ。」
竹下は克子にパソコンのアウトプットを示した。
「これについてどう思われますか。」
「どうと言われましても・・・。随分あの人らしく素っ気ないと思いますが・・・。」
「「能力の限界を感じたり。」とありますが、これに類する事を、ご主人は最近言っておられましたか。」
「気がつきませんでした。大体あの人は自分の事は言わないタイプなのです。」
「ところで百合さんは、姓が違うようですが、ご結婚されているのですか?」
「いえ、百合は私の先夫の娘です。」
「あ、これは失礼しました。」
「夫と私は八年前に再婚したのです。」
「そうですか。昨晩は百合さんは、どうされておりましたか。」
百合が、突然聞かれて、びっくりしたように答えた。
「荻窪のマンションに一人住まいをしておりまして、そちらにおりました。」
「少し時間を追って話してくれませんか。」
百合はちょっと考える風だったが、
「はい、昨日は、午後新宿に買い物に行きました。帰りに中野のエステサロンにより、それから、駅前の坂井屋で夕食を取りました。荻窪のアパートに戻ったのは八時半頃です。後はテレビを見て、十時頃就寝しました。」
「今朝はずいぶん早く見えられましたね。」
「ええ、私、今丸の内にある一丸商事という会社に勤めているんですけれど、やめようかと思っているんです。それで今日は午後から用事があるので、午前中にお母さんと相談したくて・・・・。」
「分かりました。」
竹下は再び克子の方を向き、質問を再開する。克子が光男と結婚した経緯、百合の話、光男の母の話等、こまごまとした内容である。
月曜日になって、竹下は光田を伴って、貫井北中学校を尋ねた。中学校は玉川上水を挟んで、篠田家とは反対側、JR武蔵小金井駅よりに住宅団地と隣接して建っている。寒々とした校庭では、生徒達が元気良くサッカーに興じている。
昨日のうちに教頭先生がなくなったという報が入っていたようで、中学校側は、かなり慌てていた。
校長室。応対に出た神崎校長は、背が極端に低く、頭はつるつるはげ上がっているが、如才なく、話はなれているようだった。
刑事の要請で、生前の篠田を最後に見たと思われる道原先生を呼んだ。道原は、笑顔をたやさず、刑事の質問に素直に答え、好感がもてた。
「篠田先生とはどんな話をされたのですか。」
克子が話していたとおり、校内暴力対策の話をしていた、と主張する。
「具体的にはどんな問題ですか。」
道原は、言い渋っていたが、校長に促され
「実はご多分にもれず、私たちにも悪い生徒がおりましてね。女の英語の先生が、ある男子生徒を授業中の態度が悪いと叱ったところ、その生徒に殴られ、大きな痣を作ってしまったのです。先生は怖がって来なくなるし、その子は、その後も陰で悪さをしているようで困っているのです。それで、その問題を学校として、どう解決しようか、いろいろ話し合っていました。」
「じゃ、先生を訪問されたのは、その対策を立てることだったのですか。」
「いえ、目的と言うほどのものじゃ、ありません。職員の間で、問題になっているので、自然その話になったという事です。先生にはいろいろ他の面でもお世話になっており、時々、お宅に伺って、お教えを乞うておりました。」
「食後、はなれに行かれましたね。」
「ええ。」
「何か、特別のお話でもあったのですか。」
「ええ、まあ、少し、酒が入って女性の話になどなりましたもので・・・。」
「そうですか。」
突然、道原の方から話し出した。
「あの先ほどの校内暴力の話、警察にお願いした方が良いでしょうか。」
竹下は「女性の話」と聞き、どう質問しようかと迷ったが、話の腰を折られた感じである。ちょっと考えていたが
「その問題はまた別の時に話しましょう。それで金曜日は、何時頃、篠田先生と別れましたか。」
「酔っていたので良く覚えていないのですが、はなれに行ってから、一時間くらいで別れたと思います。」
「すると九時ころですか。」
克子の供述と一致することを思い出す。
「そうだと思います。」
「先生のお住まいはどちらですか。」
「三鷹市牟礼のパールマンションというところに住んでいます。」
「先生はまだお一人ですか。」
「ええ、三十五歳にもなってそうなんですよ。」
「恋人は・・・・。」
先生、苦笑いしながら
「そこまで言うんですか。誰もいませんよ。」
「いや、いや、参考までにということです。マンションには何時頃戻りましたか。」
「十一時頃だったと思います。」
「だいぶん時間がかかりましたね。」
「三鷹駅で少し飲んで、それからぶらぶら歩いて戻ったものですから・・・。」
「教頭先生と十分飲んだのじゃありませんか。」
「ええ、しかし・・・。」
「教頭先生と何かまずいことでもあったのですか。」
「ええ、さっきの問題で、私は警察に届けた方がいいと言ったのですが、教頭先生は穏便にすまそうとおっしゃいまして・・・。」
「そうですか。三鷹駅で飲んだ場所は覚えていますか。」
「ええ、「お福」という行きつけの小さな焼鳥屋です。」
「お二人にお伺いしますが、篠田先生自身は、今の校内暴力問題以外に、最近何か悩んでいた様な様子はありましたか。」
校長が答えた。
「いや、先生は、もともと日本史がご専門で、最近は有志を募って、郷土史をまとめておられ、夏には出版する予定だ、と張り切っておられました。また、学校では剣道部の顧問で、生徒の指導に熱心にあたっておられましたが・・・・。」
「そうですか。・・・・道原先生、金曜日に篠田先生にお会いになった時の様子はどうでしたか。つまりその先生が帰られてから、自殺したことになるわけですが、そんな徴候が見られましたか。」
道原はちょっと考えている様子だったが
「特に気はつきませんでした。さっきの校内暴力問題は気にしてられたようですが・・・。」
竹下は、また校長の方を向いて
「ちょっと差し障りがあるかも知れませんが、篠田先生の女性関係や金銭関係について、何かご存じですか。」
「特に聞いておりませんがねえ。」
道原は腕を組んだまま、天井を見上げ、何も言わない。
・・・・・・
学校から署に戻ると、竹下はすぐ「お福」に向かった。駅南側の路地奥にある「お福」はカウンターだけの小さな焼鳥屋。カスリ姿のいきな五十がらみの女将が、ちょうど開店の準備をしていた。警察手帳を見せ、道原先生について聞くと
「時々お見え頂いてます。金曜日も、十時近くでしょうか、お見えになってました。」
「何か、変わった様子はありましたか。」
「そうですね。少し荒れておられた様です。」
「と言うと?」
「めずらしく一気にお銚子を二本、空けられました。」
「何か、その原因を話しましたか。」
「いえ、特には・・・。」
とにかく、道原先生の証言のウラは取れた。
竹下と光田は校長に紹介された武蔵野郷土史会の桜井氏に面接した。武蔵野短期大学の助教授で郷土史会の顧問をやっている。しかし教頭は、郷土史の調査でも悩んでいる様子は見られなかったという。
どうも自殺の動機がはっきりしない。
・・・・・・
篠田光男は、身長百六十センチ、体重六十五キロ、血液型はAB。
司法解剖の結果「死因は「頸部圧搾による気道閉息」、死亡時刻は十二日十時から、十三日二時、薬物等は使用は認められない。」とのことだった。
署長、竹下警部、光田刑事、鑑識の沢田の捜査会議が開催された。殺風景で、柱の時計だけがアクセントの会議室。ホワイトボードを背にした署長にみんなの目が集まる。
「この報告から検討しよう。首筋には、紐を使って絞めた痕跡などはない、純粋にあの帯で絞めた跡だけ、ということだね。」
沢田が言う。
「私もチェックしましたが、索溝の痕跡は見つかりませんでした。」
首を紐でしめると、その時に跡が残るが、それを普通索溝という。
「死亡時刻は間違いないだろうか。」
再び沢田。
「現場に到着してすぐ、肛門から体温計を挿入して体温を測りましたが、二十七度でした。死後硬直が思ったより進んでいましたが、死亡時刻は、そのくらいで間違いないところだと思います。。」
「指紋はどうだった。」
「沢山ありましたが、大半は篠田光男のものでした。テーブル等から道原の物が見つかりました。」
「道原先生が篠田邸を出たのが九時頃、三鷹の「お福」に現れたのが十時近く、死亡時刻が十時から翌朝二時だから、やっぱり自殺という事かな。」
竹下がフォローする。
「ええ、遺書らしきものもありますし、部屋は完全に密室、克子の話では、夜間は誰も訪問した様子が無いようですから、そう考えていいと思います。」
光田が、竹下と異なる意見を述べた。
「しかしやっぱり、動機がはっきりしないのが気に入りません。遺書にあった「能力の限界を感じた、老いて生きて行く意味がない。」こりゃ、一体何なんですか。なんとも抽象的な感じがします。そんな、漠然とした理由で五十八歳の、まだ定年にもなっていない元気な男が死ぬものなのでしょうか。」
竹下が苦笑いした。しかし、昨年四月に着任したばかりの若い署長は「そう言えば妙だな。」とあいづち。そして署長は自分に言い聞かせるように言った。
「僕は事件の中にはこのように判然としないで終わる物が随分多いのだ、と思います。
夜中に突然死ぬ、心筋梗塞として処理される。しかし本当は女房が鼻をつまんで殺したのかもしれない。溺死体があがり、誰も見た者がいないから、自殺と判断される。しかし誰かに突き落とされたのかもしれない。あるいは殺されてから海に放り込まれたのかも知れない。「疑わしきは罰せず。」で、警察としても、無理に物事をあらだてる必要はないのだが、もし、事件の陰に犯罪が隠されているとするなら、我々の手で暴き出さなければならない。」
竹下が意気込んで尋ねる。
「この事件がそのケースだ、とおっしゃるんですか。」
署長は竹下にそう言われてぼやくように
「確かに外見的にはどう見ても自殺のように見える。しかし光田君が言うように、今ひとつすっきりしませんね。」
憮然とした表情の竹下。
「竹下君、どうですね。この問題を若い人の学習と思って、光田君に考えてもらう事にしては・・・。」
「はあ・・・・。」
「一人じゃしょうがないだろうから、沢田君と一緒に・・・。」
「かしこまりました。」
光田は二十五歳、大学を卒業し、すでに警部補試験に合格している。沢田は一歳年上だが、いわゆる高卒ノン・キャリアである。
沢田、遠慮がちに
「どうやって取り組みますかね。」
光田が考えていた事を述べる。
「鑑識結果、発見時の様子など、どれをとっても、自殺くさいでしょう。そう考えると、状況が皆符合してしまう様に見えます。しかし自殺した理由が分からないでしょう。そこで私は、あれが最初から他殺であると決めてかかったら、どういう可能性があるのか考えて見たいんです。一種のパズル感覚でね。」
「パズル感覚?それで可能性が出たら・・・。」
「もっとつっこむなり、起訴するかは結論が出た時の判断ですよ。」
「そうですね。そう割り切れば良いんだ。」
「犯人は物取りじゃないでしょう。第一に物がなくなっていないから。第二に物盗りなら、わざわざ自殺に見せる必要はないだろうから・・・。」
「その通りです。さすがですね。」
「いやあ。」と光田が照れる。
「じゃあ、仕事を分担しましょう。私は殺された篠田教頭、克子、道原先生のバックグラウンドを戸籍や現地への問い合わせを主体に当たって見ますよ。」
「そうですか。じゃあ、僕は密室問題でも考えて見るかな。現場付近への聞き込みは一緒にやりませんか。」
「ええ。」
「それと一つ教えて欲しいことがあるんですが・・・・。」
「何でしょう。」
「死体に他殺の痕跡は認められなかったんでしょう。」
「ええ・・・。」
「あのような状況で、痕跡が残らない殺人方法となる、どういう方法が考えられますかね。」
「そうですね。古典的な方法だと押さえつけて水にぬらした油紙で口と鼻をふさぐ、鼻をつまむ、電気的ショックを与えるなどが考えられますが、ここでは除外していいと思います。」
「分かります。」
「まあ、首を絞めるんでしょうが、そうだとすると痕跡を残さないようにするには、二つ方法があると思うんです。まず、幅の広い布で絞める事が、考えられます。ただ光男の帯をはずしてとは行かぬでしょうから、何か別の物を使ったのでしょうね。それから、手を使わずに腕の力で絞めた事が考えられます。ただこの二つの方法はいづれも、相当に力がいるんですよ。」
「なるほど・・・。」
「その上、殺した後も大分力がいるんですよ。」
「と言うと」
「犯行プロセスを推定してみると、犯人は光男の隙を見て、今言った方法で首を絞める。それから、彼は丹前の紐をはずし、鴨居にかけ、輪を作る。光男を抱えて椅子の上に乗せ、輪に光男の首を突っ込む。そして椅子をけ飛ばす・・・・。こういうことになるわけですね。下手をやると首が紐からはずれたりして、ひどくやりにくいんですよ。何しろ六十キロ以上ですからね。」
「なるほど。」
・・・・・・・・・・
光田は、新婚ほやほやで、東久留米のマンションに住んでいる。官舎に入る事もできるのだが、彼は勤務外の時間まで仕事のニオイに追い回されるのがいやだった。妻のゆかりも賛成してくれたので、結婚を機会に思い切ってこのマンションを借りた。
遅い夕食をすませ、風呂に入り、あのはなれの密室問題を考えることにした。密室問題を解くことにより、犯人像を絞り出せないかと考えた。
光田は、まず鍵を使わないで、はなれに出入り出来ないだろうか、と考えてみた。入る方は、入口で断って、光男自身に開けさせれば良いから問題ないだろう。出る方について、推理小説の世界ではドア毎はずす、天井から脱出、地下から脱出、甚だしいのは後から家を建てた、などとあるがどうも非現実的だ。そこで玄関だが、鍵師のようなプロでない限り、襖があるから、出入りは無理なように見える。
一方、表のガラス戸はガラス戸自体はクレセントに糸をひっかけて、外に出し、外にでてから糸を引っ張れば、閉めることが出来そうだ。しかし雨戸は・・・・。
光田は現場の場景を思い浮かべた。確か、さんが上下についており、しっかりしまっていた。あれでは、外から閉めるのは難しそうだ。さんが下向きだけならまだ、方法がありそうなのだが・・・・。
次に鍵を使って出入りする場合について考える。鍵は全部で二つあり、合い鍵は克子が管理していると言っていた。本物はあの筆立ての中に入っていた。また克子によれば鍵をコピーしたり、されたりしたことはないという。すると
(一)克子自身が犯人。
(二)克子の鍵を持ち出し、忍び込んだ誰かが犯人。
(三)犯人は、筆立ての中にあった鍵を使い、使用後、何らかの方法で、ふたたび鍵をあの筆立ての中に戻した。
の三つが考えられるだろう。
しかし、(二)は克子が何も気づいていないという以上考えにくい。と言うのは母屋にも鍵はかかっていたから、それを開けてから忍び込まなければならなかったからだ。さらに克子は「合い鍵はいつも財布の中に入れている。」と言うから、屋敷に忍び込んでも、簡単に見つかりそうもない。
(三)はどうしたものか考えつかなかない。純粋に鍵について問題を詰めると、他殺なら克子の犯行が考えられる。
「うーん。」
光田はうなりだした。だんだんお湯にのぼせてきた。
・・・・・・
残るのは(一)の克子が犯人という考えだ。
沢田が、おおよその篠田と克子の経歴、および出会いを調べてきた。
そこで、光田は沢田を伴って再び篠田邸を訪問した。克子は案外気が強いのか、もう、あまり悲しい様子も見せていない。沢田の調べた内容について補足質問をした後、それとなく本題に入っていった。
「それじゃ、お二人は再婚されて八年と言うことになるわけですね。」
「ええ。」
「やっぱり結婚されて良かったですか。」
「それが大失敗でしたわ。あの人、ボクチャンでしょう。わがままで、その上、気に入らないと暴力を振るうんです。怖かったですわ。でも、私は最近あきられたみたいで、ここ一年、彼は夜はほとんどはなれで過ごしていました。本当は私、離婚したいんですけれど、なかなか言い出せなくて・・・。それに、離婚しても、他に行くところがありませんですし・・・。」
あけすけに言われて、二人は疑う気がしなくなった感じだ。
克子に恋人がいる、という情報は沢田が捜査した段階では浮かんで来ていない。「克子は、光男が死ぬと、光男に生命保険はかかっていなかったが、遺産を相続した上、恋人と新しい生活を得ることが出来る。」という安手の推理小説にありそうな考えは、棄却してよさそうだ。
しかも、その前に克子犯行説には、もっと大きな問題があった。沢田の意見によると「あの体であの方法による殺人と死体処理は、とても考えられません。」とのことだ。確かに、百五十そこそこしかない、弱々しい感じの克子に、それだけのパワーがあるとはとても思えなかった。
光田は一度はあるかも知れない、と考えた克子犯行説を、否定せざるをえなかった。
・・・・・・
死亡時刻、鍵の問題をどう解決するかの問題は残るが、道原が犯人の可能性はないだろうか。彼なら、大きく、柔道をやっているし、力も十分ありそうだ。
沢田の調査によれば、道原は昭和三十年、足立区にあるせんべい屋の息子として生まれた。都立の高校を出た後、國學院大学に入学、国文学を専攻した。大学を卒業すると同時に中学校の教員になり、親元を離れた。その後、源氏物語を研究し、修士号をとった。柔道三段の硬派である。
これまで見合いの話がなかったわけではないようだが、どうも本人は女嫌いのようなところがある、と同僚は話していた。
光田は沢田と道原の周辺をあたってみる事にし、神崎校長を再度訪問した。しかし校長は道原先生について疑問を提起されると、憤然とした様子でまくし立てた。
「道原君は非常にまじめな先生です。人望も厚く、とても人殺しをするとは考えられません。もちろん、女性関係の問題も金銭トラブルも聞いていません」
・・・・・
司法解剖した死体が篠田家に返され、しめやかに葬儀が執り行われた。光田も通夜に行ったが、式場は学校関係者でごったがえしていた。事件は、日一日と過去の彼方に埋没して行こうとしていた。
日曜日、光田は妻のゆかりと、北町のゆかりの里、阿笠家を訪問する。ゆかりの父の湖南は、東都ガスに勤めていたが、今は退職して推理小説作家を目指している。そのため、多くの書物を読んでおり、事件の相談に行くと、岡目八目で、案外良いアドヴァイスをくれることが多い。まだ六十を少し過ぎたばかり、茶目っ気も十分だ。
「なあ、お前。二キロ四方の正方形の土地があってな。その各頂点にミサイルを配備するんだ。それぞれのミサイルをA、B、C、Dとする。機能はAはBを、BはCを、CはDを、DはAのミサイルを追いかけるんだ。ミサイルの速度は1秒間に二百メートルとする。そこでスタートボタンを押す。どうなると思う?」
「おいかける、といいますと。」
「つまり、相手のミサイルの進行方向に常に直角に進むんだ。」
「そうすると・・・・。コマネズミみたいにミサイルは回り続ける?」
「馬鹿をお言いでない。」
「じゃ、どうなるんです?」
「分からんか。十秒後に、真ん中で四つがぶつかって大爆発を起こすのさ。常に相手の進行方向に垂直に追いかけて行くんだから、相対距離は二キロを一秒に二百メートルの割合で追いかけると素直に考えればいい。方向はそれぞれが進行方向を変えながら、内側に入って行くという訳だ。」
「はあ、そうなりますかね・・・。」
機嫌はよいようだ。
「それもそうでしょうけど、もう少し現実的な問題でヒントをいただけませんかねえ。」
「何だ。」
「お父さん、こういう事件はどう考えたらいいですかね。」
光田は事件の概要を説明した。特に現場の状況は絵を描いて丁寧に説明した。
「克子が殺したという考え方は体力的に無理じゃないかと思えるんです。それから道原のほうは、アリバイらしきものがしっかりしているんですよ。」
「なるほど・・・・。しかし、可能性から言えば、克子単独犯行説も、決してないわけじゃないがな。」
光田が驚いたように「どうしてですか。」と質問する。
「酔わせて、眠らせておいてから絞めればいいだろう。」
「確かにそう考えれば、考えられなくはないかもしれませんね。しかしそれなら睡眠薬の痕跡でも出そうなものですが・・・・。」
「睡眠薬は使わなくても可能だよ。」
「たとえば・・・。」
「たとえばこれはある捕物帖で読んだ話だが、九歳の子が老人を吊した話がある。子供は松の木の上で老人が下を通りかかるのを待っている。通りかかった時に、用意した紐の輪になっている部分を老人の首にひっかける。そうしておいて、逆の反対側に、思い切り飛び降りたんだ。」
とんでもない話で湖南は光田を煙にまこうとする。光田、それはそうだが、と苦笑しながら
「なるほど・・・。しかしそれをあの鴨居でやるのですか。」
さすがに湖南も「まあ、可能性は薄いだろうな。」と笑う。
・・・・・・
「道原単独説はどうですか。」
「その場合は動機が不足なんだろう。」
「ええ、そうなんですが、生前篠田が最後に会った男ですから、純粋に理論的に考えるとどうなるのかと思いまして・・・・。」
「うん・・・。逆に道原が犯人となりえないと考える理由は何だ?」
「密室問題と死亡時刻の問題が残ります。」
「密室問題は解決出来るのじゃないか?」
「と、いいますと・・・・。とてもあの雨戸を破るのは、難しいように思うのですが・・・・。」
「難しいさ。だから、玄関口の方を使うんだよ。」
「しかし、あそこは玄関に鍵がかかっていた上、襖も閉まっていた訳でしょう。」
「それでも可能さ。」
「はあ?」
「問題を二つに分けて考えるんだよ。襖と玄関と・・・・。」
光田は、だんだん分からなくなってきた。
「昔、鍋島騒動なんていうお化け猫の映画を見たことがあるだろう。夜中に急に畳が持ち上がったり、襖が開いたりするだろう。。あれ、どうやってやるのだと思う・・・・。」
「糸・・・・」
「そうだよ、糸だよ。あの場合、画面に映っちゃまずいから、ピアノ線を使うけどね。今度の場合はかまやしない。襖の端に糸をひっかけて置くんだよ。それで、その両端を外に出す。出すところは図面からゆけば、表のガラス戸口で構わないだろう。ガラス戸も雨戸も閉めるが、糸は出たままになるさ。そして玄関から外にでた後、引っ張るのさ。」
「そうか。」
「鍵が筆立てに入っていたのは・・・・。」
「これはかなり難しいのだが、あの洋室には天窓とか、あるいは換気用の穴がなかったかね。」
「それが、あれば出来るのですか・・・。」
「ああ。たとえば五円硬貨を重ねてそこに釣り糸を通して置くんだ。そして硬貨を筆立ての中に入れ、釣り糸の両端をその換気用の穴の外に出しておく。全部閉めて外にでてから、釣り糸に鍵の頭を通し、滑らせて筆立ての中に入れればいいじゃないか。」
「五円硬貨じゃ、硬貨の方が浮き上がっちゃいそうですよ。」
「それなら、筆立ての底に接着剤で貼り付ければいいさ。」
光田は心配になってきた。署に電話を入れ、沢田に聞いてみた。冷や汗をかきながら、応接に戻ってきた。
「お父さん、驚かさないで下さいよ。天窓も換気用の穴もないそうです。筆立ての底も見たそうですが、何も貼り付いていない」
「そうか。それじゃ、玄関に郵便受けはついていなかったかね。」
「郵便受け?それだと何かなりますか。」
「なりますよ。今度は、受け口が低い位置にあるから、糸だけで滑らせるのは無理かもしれない。だから、たとえば針金と糸を組み合わせて、筆立ての上に鍵を運び、落とせばいいでしょう。もちろん、さっきの糸を引っ張って、襖を閉める前にやるんですよ。」
あわてて光田、もう一度署に電話。
「ありました。ありました。フラッシュドアに郵便受けがついているそうです。」
「ほら、可能だろう。大体筆立ての中くらいはやさしいんだぜ。内田康夫の「平家伝説殺人事件」なんかでは、密室の背広のポケットの中に鍵を残してきている。」
「どうやるんです?」
「まあ、研究して見たまえよ。」
湖南、得意顔。光田悔しそうに
「じゃあ、そうしましょう・・・・。しかし死亡時刻の問題は、どうにもならないでしょう。」
「それは確かにそうだが・・・。」
・・・・・・
それから湖南は少し考える風だったが、お茶を飲み干すとぽつりと言った。
「しかし、殺人とすればの話だが、犯人は道原だよ。」
「はあ・・・。どうしてですか。」
「考えてごらん。君が言ったとおり、犯人は物盗りじゃないだろう。道原先生は九時にあそこを出たと言っている。それから後、この寒い時に、人が訪問してくるとは普通は考えられないじゃないか。それから、通常、人を訪問する場合、まず、母屋を訪問するだろう。はなれにいきなり、じゃあるまい。ところが、克子は、母屋には訪問者はなかったと言っている。もちろん、関係者が、最初から殺害目的で、真夜中に、はなれを訪問しましたと言うのなら、話はべつだがね。」
「しかし・・・・。道原が犯人とすると、最初から殺害目的で篠田家を訪問したのでしょうかね。」
「そうだな。確かにそこのところは何とも言えない。」
「二人ではなれに行くことを予想していたのでしょうか。それを予想して密室を作る道具を用意して行ったと言うのでしょうか。」
「なかなか厳しいな。私の考えは確かにその点では弱い。」
・・・・・・・
また、沈黙がながれた。湖南は自分の頭をコンコンとたたいて、にやりと笑いながら、いたずらっ子みたいに言った。
「道原と克子の関係はどうなのかね。」
「今まで、調べた範囲では、特に関係はないと考えられていますけれど・・・・・。ただ道原も、克子も光男を嫌っていたという点は共通の事実のようです。」
「これは純理論的な話なんだが・・・。共犯と考えると、すべておさまりはいいんだ。つまり、道原が殺し、そのまま自分のマンションに帰り、後から道原から頼まれて、克子がアリバイ工作を直した。」
「それで道原と克子の関係が重要というわけですか。」
「そのとおり、仮にそうだとすると、密室の問題など、考えるのもばかばかしくなる。合い鍵があるんだから。遺書も、克子が作ったと考えればいいから、全く問題がない。残るのは死亡時刻だけだ。」
「そうですね。共犯の可能性はもう少し調べて見ましょう。」
「そうだな。」
「いや、とても参考になりました。お父さんの意見をもとに、もう少し当たってみましょう。」
「うん、そうするといい。ただ、僕が話したのはこうすれば可能だ、という事だ。つまり確たる証拠をあげないと、裁判ではどうにもならないよ。」
「そうです。でもこれは一種のパズルと考えて気楽にやります。」
「うん、それがいい。」
・・・・・・・
光田と沢田による周辺住民の聞き取り調査は、実を結ばなかった。一つには篠田家の前の通りの反対側が、水道局の事務所になっているため、夜間ほとんど人通りがない、ことによるものだ。
再び二人の会談。光田は湖南との会見の内容を説明する。
「密室問題はこれで解決じゃないですか。」
と素直に沢田が喜ぶ。
「そうなんだ。そんな風に考えると、後残るのは、死亡時刻の問題なんだ。」
「その問題なんですが、推理小説で、死体を氷の中につけておく、雪の原に放り出しておく、冷凍庫の中に入れておく、冷たい水の中につけておく、というような例があるでしょう。」
「うん、それで死後経過時間の推定を狂わせるんだな。しかし、この場合、具体的にはどういうことになるのかな。」
「死亡時刻について少し考えてみました。死後十時間前後の死体だから、おそらく鑑定した先生は、体温でまず死亡時刻を推定したのではないかと思います。通常、死体は死亡直後の体温を三七度、気温を十五ないし二十度、とすると、一時間に〇.五ないし一度の割合で下り、死後二四時間でほぼ周囲の温度と同じになります。だから鑑定をした時間が、午前七時、測定温度が三十度だったとし、一時間に一度下がったと考えれば、十二時に殺された事になるんです。しかし暖かいところにおかれ、〇.七度しか下がらなかったとしたらどうでしょう。七時か八時に殺された事になります。着衣だってそうです。発見されたときは裸に近かったでしょう。しかし克子が、アリバイ工作をするまで、ストーブがついており、暖かく保たれていたとしたら、どうでしょう。実際の犯行時刻は、もっと前になるんじゃないでしょうか。」
「なるほど・・・・。死亡時刻は、死体の硬直具合からも見るんじゃないのかな。」
「確かにそっちからも見ます。死体硬直は通常二ないし三時間ではじまり、六ないし八時間で全身の関節におよび、死後十時間くらいで最高に達するんです。これは環境温度が高いほど早く、持続時間も短いんです。実を言うと私はあの死体を見たとき、「案外死後硬直が進んでいる。」と感じたのです。そうだとすると、死体は温度が高いところにおかれていたからではないでしょうか?」
「そうすると、道原が犯行を犯した、明け方になって克子が合鍵を使って侵入し、ストーブを消すなどのフォローをした、という事は十分考えられる訳だな。」
「そうです。」
「こりゃあ、いい。証拠はないけれど、これでパズルのお答えとしては完成じゃないか。最後に沢田さんの考えを司法解剖をした医者に聞いてみよう。」
「そうしましょう。」
篠田の死体を、鑑定したのはT大学医学部の藤原医師だった。翌日問い合わせると答えは予想した通りだった。
「もちろん、「あの部屋のストーブはついていなかった。」とおっしゃったので、あの日の朝の外気温四度をベースに鑑定結果をだしました。」
再び捜査会議、署長、竹下、光田、沢田。無理矢理立件しようというのではないから、比較的リラックスしている。
まず、光田の「自殺でなく殺人とすれば、犯人のうち、実行犯は道原以外考えられない。」
という説明は、皆を感心させた。
次に、光田が密室の問題を前夜作成した絵をもとに説明する。
「しかし、もしそうだとすると、道原単独説はあり得ないな。」
「どうしてですか。つまり、道原は、はなれのドアを開けたままにして、いったん自宅マンションに戻った。当然「お福」でのアリバイはある。しかし明け方になって、いろいろ考えた末、戻ってきて細工した・・・。」
「いや、それはないだろう。殺人者の心理として、戻ってからアリバイ工作を見直し、再び犯行現場に戻って細工をするというのはあり得ないと思う。」
何となく皆納得させられた感じになった。
死亡時刻に話が移る。光田はいろいろ法医学の本を読んで調査した結果と称し、死体の温度と環境温度の関係をひとくさり述べた。署長、うなづきながら
「篠田光男の死後、あの部屋はストーブがたかれていた、明け方になって、消されたとすると、鑑識としては事実と符合するかな。」
沢田が答えた。
「ええ、符合します。死後硬直がずいぶん早く進んでいるような気がしました。」
「道原と克子の関係は何か分かったか。」
竹下が答える。
「いえ、特に何も出てきません。」
その時、沢田が突然言った。
「鍵がなくても、あの密室から脱出することが出来るとするなら、なにも共犯者は克子でなくてもよいのではないのですか。」
「なに・・・。」
光田はポカンとした。打ち合わせにないことを急に沢田がしゃべったからである。
「アリバイ工作者のやった内容は、密室を作る、パソコンで遺書を作成する、そしてもしかしたらストーブを消した、でしょう。紐による脱出と鍵の返還が、光田刑事のおっしゃる方法で、可能ならば、だれでも資格はあるという事じゃないですか。」
「そうか、なるほど・・・・。それなら、共犯者として考えられる条件は何だろう。」
「道原の親しい人と言うことになりますね。・・・・しかし本件は素直に見れば自殺としか考えられない事件です。ですから、現場から、明確な他殺の痕跡が発見されない場合、つまり指紋などですが、立件は難しいと思います。」
「その通りだな。」
・・・・・・
それから数日、捜査陣の必死の捜査が続いた。
しかし、道原は頑強に犯行を否定し、それ以上の事は不明だった。また克子は、殺意についてはとんでもないと否定し、「アリバイと言われても困ります。私は熟睡していて何も気がつきませんでした。」と繰り返した。
結局署長が最終決断を下した。
「疑わしい点がないとは言えないが、捜査は打ち切りだな。」
「そうですね。仮に仮定の通りであったとしても、物的証拠がありません。」
それから署長は光田と沢田に諭すように言った。
「しかし、我々がこうだ、と言いきった事件にもいろいろな背景があり、いろいろな見方があると言うことが分かっただけでも収穫じゃないか。これを他の事件の解決に生かせばいいさ」
「分かりました。」
こうして教頭自殺事件は若干の疑問を残しながら幕を閉じた。捜査過程ではっきりした証拠を得られなかったことを考えれば、当然の帰結と言えた。
・・・・・・・
さらにそれから半年、食事時、光田刑事が署長に言った。
「署長、とんだニュースが入りましたよ。」
「何だ。」
「あの例の教頭不審死事件ですよ。」
「何か、新しい証拠でも見つかったのか。」
「道原と百合が結婚したのですよ。」
「百合か、事件の頃、あの二人はとうに出来ていたのかも知れないな。畜生め。しかし、いかに捜査とはいえ、恋の道はなかなか分からないからな。」
「二人の犯罪という可能性は否定出来ないと思います。道原が殺す、百合に相談する、百合がフォローをする、その時ひょっとしたら、鍵の件で母親に相談しているかも知れない・・・・。」
「ないとはいえない。しかし、可能性の話にとどまる。警察としては自殺として処理せざるをえないな。」
「ええ、残念ながら・・・・。」
「まあ、こういう話は多いのだろうな。今朝のCNNニュースだが、アメリカじゃ、ある病院の看護助手が八年間の間に四十人から五十人殺した、と告白したそうだ。ところが当局は起訴する意志はない、と発表したそうだよ。」
「そうですか。」
閻魔大王「これ、百合、ここは、泣く子も黙る地獄のエンマ庁、嘘などつくなよ。」
青鬼「つけばここなる舌ぬき棒!」
赤鬼「これなる球をなんと心得る。葵のご紋にあらずして、事実を映し出す水晶球。お前達が篠田教頭を殺したことは明々白々、殺害場面、偽装工作場面までちゃんと映し出しておるぞよ。」
大王「分かったな。それではまずいきさつから、ゆるゆると始めるが良い。」
百合「恐れ入ります。そこまでお見通しとあればもはや、隠し立てはいたしません。篠田と・・・・、あえて私は篠田と呼びます。お父さんとは思っていません。八年前に篠田と母が、つきあい始めた頃、私は嫌でたまりませんでした。「お母さんはあくまでお父さんのお母さんであって欲しい。お母さんを誰にも盗られたくない。」それが私の偽らざる感情でございました。」
大王「ふむ、ふむ、分かるぞ。」
百合「篠田に対する嫌悪感は母から紹介された時、いっそう、強まりました。あの下卑た顔、好色な目、作り笑い・・・・。私の直感は全く的中していました。まるでそこの赤鬼のよう・・・。」
赤鬼「なに・・・・?」
百合「いえ、その、つい口が滑りまして・・・・。それはともかく彼は私にやたらに触りたがる、部屋を覗く、特に酒を飲むとひどく風呂まで覗こうとするのです。そしてある時本当に、母でなく、私を求めたのです。もちろん私は拒否しましたが、しつこいのです。」
大王「セクハラどころではないな。」
百合「おおせの通りでございます。もう、我慢が出来ないと、私は母と相談してあの家を出ることにしました。荻窪のアパートを借りて住み始めましたが、篠田に居所を知られないようにするために、勤め先を変えるなど大変でした。それで一時は収まっていたのですが、あの男は諦めないのです。」
大王「しつこい奴じゃ。おい、参考人は呼んであるか。」
青鬼「はい、篠田光男を血の池地獄より呼んでおります。篠田をこれへ。」
篠田、ひったてられてやってくる。
大王「百合の言うことに嘘、偽りはないか。」
篠田「いえ、滅相もございません。」
大王「赤鬼、その水晶球にはなんと映っておる?」
赤鬼「はは、うん、うん・・・・。」
大王「だから、なんと映っておる?」
赤鬼「あ、篠田が風呂場を覗いております。あ、娘の豊かな胸、あ、尻・・・。おお、悪くない格好でございますなあ。」
大王「馬鹿、そんなところで興奮する奴があるか。おおむね、百合の言うことが正しいようだな。」
赤鬼「仰せの通り・・・。」
大王「百合、それでは、話を続けよ。」
百合「篠田は、私と道原との結婚話をどこからか嗅ぎつけるや、猛然と反対してきたのです。それも私でなく道原に言うのです。」
大王「それで、道原、お前はどうした。舌ぬき棒と水晶球を忘れるなよ。」
道原敏夫「はい、はい、篠田は、学校で私を呼びつけ、「お前に娘はやれん!」と宣言したのです。実の娘でもないのに、百合を自分の私物とでも考えているのでしょうか。腹が立ちましたが、なるべく穏便にことをすませようと考え、あの日、わざわざ、話し合いに行ったのです。」
大王「それでははなれに行ったのは、克子に聞かれるとまずいと考えたからか。」
道原「いえ、はなれに行こう、と言い出したのは篠田でございます。まあ、後から考えると、篠田は、克子の前で大声で反対する訳にも行かぬ、と考えたからなのでございましょう。しかしあの男は鬼です。どうしても結婚させない、というのです。」
赤鬼「鬼はそんなにワルではないぞ。」
百合「ホントかしら。」
赤鬼、青鬼「ホント、ホント、オニ、ウソツカナイ。」
大王「話をそらすな。道原、続けよ。」
道原「ははーっ。そして、「こんな写真を見てもまだ結婚する気か。」と彼女の寝乱れ姿や風呂に入っている写真を見せるのです。私が「そうだ、どうしても結婚する、お前から百合を守るためにも、結婚する必要がある。」と主張しますと、彼は「おまえが、百合とどうしても結婚したいなら一千万円出せ。」と人身売買みたいなことさえ言うのです。」
大王「それはひどい。おい、篠田、間違いはないか。」
篠田「いえ、いえ、そのようなことは決してございません。」
大王「おい、水晶球!。」
篠田「仰せの通り、仰せの通り。」
大王「こいつは証言がくるくる変わるの。舌を・・・・。おい、こいつの舌は、この前も抜いたのではないか。」
青鬼「いえ、実はこの男の舌は、どこかの国の政治家向きに出来ておりまして、一枚抜くと、また一枚新しいのが生えてくる便利な奴・・・。どだい、教頭になどなったのが大失敗。」
大王「そうか、そうか。それでは道原、証言を続けよ。」
道原「私は、思わずかっとなって殴りつけました。彼も、青筋をたてて、私に組み付いて来たのです。うまい具合に私は背後に周ることが出来ました。腕で、渾身の力を込めて、首を締め付けました。彼はばたばた暴れました。それでも、私の方が大きいし、力はありますから、締め付けてはゆるめ、ゆるめては締め付け、ぐいぐいと・・・。」
大王「ぐいぐいとな。」
道原「えい、ぐいぐいとでございます。しばらくする彼はぐったりとしてしまいました。そしてよく見ると血の気が引いているのでございます。私は驚いて、回復させようと、頬をたたいてたり、ゆすったりしましたが、もう、動かなくなっておりました。
そうなって私は、急に大変な事をしたと気づきました。とにかくこのままではまずいと思いました。そこで丹前の紐を使って、鴨居に死体をぶら下げ、自殺に見せ掛けることを思いつきました。」
大王「お前もなかなかのアイデアマン!おい、水晶球からはどう見える?」
赤鬼「はい、ああ、篠田の体をやっこらさとこやつが持ち上げております。苦労しとりますな。」
大王「そうか。」
道原「やっとの思いで、作業を終えた私は、誰も見ていない事を確認しながら、九時頃、外にでました。三鷹駅で「お福」に飛込み、酒をいっぱい飲んで、ようやく落ち着きを取り戻しました。」
大王「それで百合はどうしておった?」
百合「道原さんから電話がかかって来たのは、十一時半ころでした。私は道原さんが「お父さんを殺した、相談に乗ってくれ。」とつかえながらいうのを聞いて、取る物もとりあえず、三鷹のマンションに飛んで行きました。すると、酒でもうろうとなった道原さんが「ああ、どうしよう。おれはもう駄目だ。とにかく自殺に見せようと、鴨居に吊すだけはつるしたんだが・・・・。」とおろおろしているではありませんか。」
大王「道原、お前はガラはデカイ割に度胸が据わってないな。それでも日本男子か。キンタマはどこについておるのだ?。そんなことだと、このエンマ庁に就職することは出来ないぞ。」
道原「恐れ入ります。」
百合「そしていう事が支離滅裂なんです。「戸を開けてきたから、強盗が入ったように見えないだろうか。」なんて・・・。私は「死体を鴨居からぶら下げたんでしょう。冗談じゃないわ。」といいました。」
大王「馬鹿め!」
百合「二人でどうやったら、完全に自殺に見せられるか考えてみました。その結果でたのが、釣竿、釣り糸作戦です。」
大王「アタマイイ!それで道原、お前はどうした?」
道原「情けない話ですが、百合に慰められて、私はようやく安心して、落ち着く事ができました。数時間、私たちは抱き合って、すやすやと寝ました。」
大王「まるでアカチャンじゃな。」
道原「四時ころ私たちは、目を覚まし、車で百合を小金井の篠田宅近くまで送りました。私は、すっかり、冷静になり、「作業は手袋を使うように・・・。」などと、いっぱしの指示しました。「大丈夫、私がすべてやっておくから。」という、百合の自信に満ちた言葉を信じて自宅に戻りました。」
大王「それで百合はどうしたのじゃ?」
百合「はなれは電灯がともり、ストーブが点けはなしになり、むんむんする状態でした。机の上には私の恥ずかしい写真が散らばっているではありませんか。私は大急ぎでそれを回収しました。まだ残っていないかどうか、机の中までチェックいたしました。
次にはなれに来るまでに考えておいた遺書の文章をパソコンでうちました。
縫い針に釣り糸を通し、襖のさんと本体の間をくぐらせました。両端をガラス戸の外に出しました。それから、ガラス戸と雨戸を閉めました。部屋を出る時にストーブを消しました。これはどうしてそうしたのか分かりません。何となく、消した方が良いように思っただけです。」
大王「鍵はどうした?」
百合「はい。パソコンの側に放り出してありました。表にでて、その鍵を使って、玄関の戸を閉めました。
釣竿の先端に釣り糸をつけ、釣り糸に鍵を通しました。釣り竿は先がしなりますから、糸を手元に引いておりますと、自重で鍵は下に下がり、先端でぶらぶらします。郵便受けの口から、釣り糸を手元で引っ張った状態に保ちながら、釣り竿をつっこみ、部屋の灯りを頼りに中を覗きながら、そろりそろりと前に進めて行きました。板の間越に、筆立ての上に鍵が来たとき、釣り糸を放しました。自重で鍵が筆立ての中に落ちます。筆立ての中に落ちたことを確認して、釣り竿をゆっくり手前に引きました。筆立ての中に落ちた鍵から、糸がするすると抜けて、手元に回収されました。
それから雨戸の下にまわり、糸の両端を引っ張って、襖を閉めました。また糸の一端を引いて、回収しました。」
大王「女にしておくのは勿体ないような度胸の据わりようじゃのう。どうだ、エンマ庁にワシの秘書として就職する気はないか。」
百合「遠慮させていただきます。「美女と野獣」の趣味はございません。やっぱり、道原さんみたいにハンサムな方が・・・・。」
大王「なに?なに?」
百合「いえ、いえ、また口が滑りまして・・・・。すべて終わった後、私は駅前まで歩き、深夜喫茶に入りました。それから自分の行為に誤りがなかったかどうか、ひとつひとつ思い起こして見ました。
そしてお母さんが朝食を持ってゆくとき、死体を発見するだろうと予測しました。現場に戻るのは危険とも考えましたが、好奇心を抑えることが出来ませんでした。
十時ころ家の近くにゆき、様子を見ますと、案の定、警察の車が停まっているではありませんか。きっと死体が発見されたに違いない、と考えました。そこで、私は、何も知らぬ風を装い、母を訪問する事にしたのです。以上が真相でございます。」
大王「分かった。それで証拠の品々はどうしたのじゃ。」
百合「犯行後、回収した釣竿や釣り糸を物置に隠しておきましたが、翌日戻る時にそっと運び出し、道原さんに返しました。」
大王「例の写真はどうしたか。」
百合「もちろん、すべて私のアパートに持ち帰り、焼却しました。」
大王「そりゃ、惜しいことをしたな。」
百合「え、今、なんとおっしゃいました。」
大王「いや、いや、こちらの話。気にすることはない。それで警察の事情聴取はどうだったか。」
道原「彼らは最初から自殺と決め込んでいたようでございます。首を絞めるときに指や紐を使わなかったため、跡が残らなかったようでそれが幸いしたのでございます。」
大王「百合の方はどうじゃ。」
百合「アリバイ工作の折りに、薄手の手袋を使ったのが成功したように思います。」
大王「成る程・・・・。それで、アウトバーンの事故は、どうだというのじゃ。」
百合「日本ではお互い知らないふりをし、事故の事もしゃべっては、いけなかったでしょう。ですから緊張しっぱなし。それがドイツなら聞いている人なんかいやしない。大体日本語が通じやしない。アウトバーンをぶっとばしながら、アリバイ工作やら、尋問やらの思い出を、大声で話していたんです。」
道原「百合がうれしそうに、体をこちらに倒してきたのです。ウッフーン。ちょうどカーブにさしかかったものですから、大きくハンドルを取られました。百合がバッカーン、車がドッカーン・・・・。」
百合「それで、気がついたときにはこの鬼どもに引き立てられて御前へと言う次第・・・・。」
大王「なるほど、赤鬼、今の両人の供述に間違いはないか。」
赤鬼「お待ち下さい。早速水晶球で覗いてみます。・・・ええ、ええ。おおむね、間違いはないようですな。うふ、車の上なのに、随分濃厚にやってますな。・・・ああ、やっちゃった!」
大王「分かった、分かった。それでは二人をどうしてくれよう。犯罪は犯罪だが、同情できる面もあるし、たまたま偶然というような要素もあるし・・・・。」
青鬼「それに百合のとった行動も貞女の鏡みたいな物・・・。」
赤鬼「さりとて、二人を極楽庁に送りつけ、蓮の台をベッド代わりにさせるのもいかがなものかと・・・・。」
大王「それもそうだな。・・・・ええい、面倒くさい。二人にもう一度人間をやり直させろ・・・。」
青鬼、赤鬼「ははーっ。」
大王「両人を引っ立てい!これにて一件落着!」
・・・・・
この瞬間地球のどこかとどこかで闇をつんざくような声
「おぎゃー、おぎゃー。」 (終)
篠田邸レイアウト