(続き)

佐伯俊子の手記(三)
夫が尋ねていったちょうどその時に、兄が飛び降り自殺をした。しかも、その時一番近くにいた秘書が、行方不明になった。この二つの事実をどう解釈したら良いのかしら。
私はどうも釈然としないものを感ぜざるを得ない。
そんな時、何十年ぶりかの大学の同期会の誘いがあった。私は気晴らしになるかもしれないと出かけてみた。土曜日の昼下がり、場所は、ホテルオークラ、立食形式のパーテイで、三十人ばかりが集まった。
司会者の挨拶、乾杯、自己紹介やらが終わり、おしゃべりが始まった。懐かしい顔ばかり、女性は大分型くずれし、男性は、一応会社の中堅あたりになっているらしく、貫禄と腹の肉がついて見える。お友達とカクテルを片手に話していると、突然声をかけられた。
「おや、一条さんじゃないですか。ますますお綺麗!」
「あら、沢田さん。ますます貫禄が・・・。」
沢田は、極端に小柄で、男性的魅力があるというわけではないが、如才なく、何でも頼みやすい男で、学生時代は飲み友達?だった。
卒業して小さな商社に勤めたが、独立したとのこと。渡された名刺には、沢田私立探偵事務所代表取締役とあった。
「あら、沢田さん、探偵事務所やっていらっしゃるの。」
「ええ、まあ。」
「どういう事、調べるの。」
「得意先企業の調査とか、会社から頼まれての見元調査とか、結婚相手の調査とか、浮気調査とか、ほら、現代ってプライバシー保護とかで、なかなか他人の事って分からないでしょう。でも知りたい人は多い、そんな時に我が社が役に立つ、という訳ですよ。」
沢田は調子よく話し、片目をつぶって見せた。私はちょっと躊躇したけれど、思い切って相談してみることにした。
「私の事件も調べてもらえないかしら・・・。」
「一条さんみたいなお嬢さんにも悩み事があるんですか。」
「それが大ありなのよ。しかも少々ミステリーじみているのよ。」
「面白そうですね。でも、高いですよ。」
「このくらいかしら。」
若返った気分で私は左手を頭の後ろにやり、膝をちょっと曲げウインクして見せた。沢田はニヤリと笑って
「昔は一条さんなら、キスしていただくだけで十分だったんですが、大分資産価値が、劣化しているようでございまして・・・・。」
「あら、失礼しちゃうわ!」
「失言!失言!俊子さんのためなら、たとえ火の中、水の中。」
「それでよろしい!」
私は酒の勢いもあって、事件のあらましを話した。彼は途中から真剣になりだした。
どういう訳か佐伯昭という名を私が口にしたとき、目がきらっと光ったような気がした。最後は口を真一文字にして言ったものだ。
「分かりました。是非この事件、私どもに調べさせて下さい。昔から親しくさせていただいた俊子さんの話、一肌も二肌も脱がせても
らいますよ。」
私は沢田に何かを感じていた。もし沢田さんと一緒になっていたら、私の人生はどう変わっていたのだろう。沢田は五年前に愛していた奥さんと死に別れたという。

翌日夕方、私は、渋谷にある沢田の事務所を訪れた。鉛筆ビルの五階を借り切ったもので、大きいとは言えない。私は、もう一度事件を細かく説明した。しかし、私の知っている事は、新聞から得た知識や、会社の人が語っていた断片知識だから、どのくらい沢田の役にたったかは疑問ではあるが・・・・。
一通りの説明が終わると
「今日は時間はありますか。」
「ええ。」
「もう、ここを閉めますから、軽くやって行きませんか。」
「あら、うれしいわ。」
品川のホテルの一番上にある豪華なラウンジに連れて行かれた。まるで昨日の続き。町はぽつぽつと灯りが点り始め、美しい夜景を見せ始めていた。
「ご主人とはどう言う風にして知り合われたのですか。」
「大学時代私には別の恋人がいたのですが、その彼が事故で亡くなったのです。彼は父の会社に勤めておりました関係上、その後、何かと気を使ってくれました。そのうちに親しくなり、寂しさも手伝って結婚しました。」
「ご主人は、どちらのご出身ですか。」
「長野県の小県(ちいさがた)郡というところです。上田の近くだと聞いております。行ったことはないんです。」
なぜか、沢田は「そうですか。」といい、水割りのコップを軽く振って見つめ、考える風だった。
一方、私は、そう言われて見れば、夫の過去について私はあまり知らない事、知っていても、それは夫から聞いた話に過ぎないこと、に改めて気がついた。
「ご主人はこの事件について、何か言っておられますか。」
「いえ、死の直前に夫が会いに行ったと言うことなので、聞いてみたのですが、夫は「部屋に入ったら、飛び降りた後だった。」と言うんです。秘書の道原さんが、失踪された後、警察に呼ばれたようなので、どんなことを聞かれたのか、聞いてみたのですが、今度は機嫌が悪く、教えてくれません。」
「奥さんが、最後にお兄さんに会われたのは何日ですか。」
「あんまり会ってないんですよ。正月に実家に集まった時が最後かしら。」
「その時、ご主人とお兄さん、両方とも来ておられた訳ですか。」
「ええ。」
「何か気がつかれましたか。」
「特にありません。父と三人でいろいろ会社のことを話していたようですが、私は、参加しませんでしたから・・・・・。」
それから、私たちの夫婦関係、会社での夫の地位等、私から見ればどうでもよいような事をいろいろ聞かれた。もっともカクテル片手のお話だから雑談みたいなものだけれど・・・・。
最後に、沢田は、しばらく考える風だったが、とんでもないことを言いだした。
「道原さんの事件は、どうもにおいますね。ご主人は確かにアリバイはあるようですが、共犯がいたと考えればどうなりますかね。調査をすると、失望されるような事になるかも知れませんが、それでもよろしいですか。」
もとより覚悟していた話である。私は「真実が知りたいだけですわ。」と答えた。
ホテルを出てから、近くの公園を散歩した。私たちは熱いキスを交わした。何十年ぶりの事だろう。
こうして私は、彼に夫及び兄と秘書の死についての内密の調査を、沢田に依頼することになった。

七 大介の死


一条建設の次期社長問題は、厄介だった。
しかし、決定権は、会長の一条大介が握っていた。
彼は、自分の作った会社であるから、できれば親族から社長を選びたいと考えた。しかし時代の流れにのって舵取りのできる者でなければならない、ことも分かっていた。
最初、彼は弟の次郎を担ぎ出そうと考えた。しかし、彼は、最近新人作家としてスタートし、張り切っており、いまさら会社勤めなど、がらでないと固辞した。
一郎の子たちは、将来一条建設をになうかもしれないが、まだ学生である。
海外営業部の佐伯昭は、妻の京子が、娘の俊子と半ば別居状態になっており、根が冷たいと知っているせいか反対した。しかし、一族にゆかりの者であり、会社を大きく発展させるためには、もっとも適任と思われた。
番頭格で建設営業部を担当する牧田耕治は、一見順当にも見えるが、血のつながりがない事はもちろん、本来が保守的で頑固な人間、とてもこれから変貌を遂げて行かなければならない会社を任せられるようには思えなかった。
ダークホースだが、天下りで土木営業部を担当するの松田敬介は、官公需を受注する点では有利だが、それだけだ。もし彼に社長の座を渡すような事があれば、それは一条建設を建設省の天下り先として固定化してしまう様なものだ。
帯に短し、たすきに長しだが、年齢のせいもあって少し弱気になっていた大介は、結局昭を新社長におすことにした。一郎の長男幸太郎が、一条建設に入るような事があったらよろしく頼むと条件らしきものをつけながら・・・・。つまり佐伯に子のないことを見こし、将来の一条家への大政奉還を期待したのである。
佐伯昭が社長になって一年後に、一条京子が脳卒中で倒れた。長男の死、後継者問題などで、活発に動いていたため、ストレスが貯まったのだろう、とささやかれた。
入院して三ヶ月くらいたったある朝、看護婦が巡回に行くと、安らかに目を閉じて息絶えていた。
佐伯昭は、一条大介の思惑通りには動かなかった。
社長になりたてのころは大人しかったが、京子が亡くなった次の株主総会で、取締役の数を従来の十一名から、一挙に十七名に増やした。一条家子飼いの者が数名パージされ、若手の社長派の人物が多く登用された。
大介が「いくら何でも・・・。」とクレームをつけると、調子の良い答えをするのだが、それによって何かを実行に移す事はなかった。長男の幸太郎が入社したが、何の優遇を受ける事も無く、地方の支店に配属になった。
財政逼迫の中、ゴールドコースト計画が動き出したし、カウアイ島プロジェクトも縮小させられる事はなかった。社債が発行され、借入金が大幅に増加した。
佐伯昭の愛人、定岡和子は退社し、鈴木秀一という若い社員と結婚した。そして佐伯昭は、また新しい恋人を見つけたらしいとの噂である。
一条京子が亡くなってさらに一年後、力を落としたのか、大介が、八十歳の生涯を閉じた。
今や一条建設は、一条大介の元を離れ、血のつながりのない佐伯昭が、絶対的権力を振るいはじめた。

佐伯昭の手記(四)
振り返って考えてみると、道原恵子というのは、しようのない女だったな。あんな、おとなしそうな顔をしていながら、不遜にも私を強請ろうとしてきた。
「専務さん、部屋に入って出てから、もう一度入られたのではないのですか。警察に正直に申し上げてよろしいかしら・・・・。」
とあてこするように言う。これがばれたらおしゃかだ。
私は、ここでは失踪という手を使うことにした。失踪届けが出ると警察は注意は払う。しかしそれはまだ犯罪を構成しているわけではないから、登録するだけの話だ。
死体が発見されない限り、普通は犯人は涼しい顔をしている事が出来る。

私は恵子にこう言ったものだ。
「悪いようにはしないから、一度相談しよう。会社の中というのは危険だ。君と僕とが一緒にいるだけだって、何か悪巧みをしていると勘ぐる奴がいないとも限らない。
この次の土曜日の夜、会わないかね。僕はゴルフ場から回るから・・・・。うちの人には、僕と会うと言うとまずいだろうから、恋人と会うと言っとくといい。
これは君が見たがっていた映画の切符だ。僕もそこに行くから、それまで時間をつぶしているといい。」
私はあの日はあえて自分で運転してゴルフ場に行った。帰りに渋谷の映画館で恵子と落ち合った。
幸いにも、恵子は私の忠告?を忠実に実行してくれたようだ。
私はドライブでもしようと恵子を誘い、誰にもここに来たことを言っていないことを確認した後、絞め殺した。死体を車のトランクに入れ、そのまま家に戻った。
恵子に遅れて会ったところと、その日はそのまま戻り、翌日死体を処理したと言うところはうまいだろう。もちろん私はゴルフ場の帰宅時間についても、最悪の場合は聞かれても良いように、銀座のバーのマダムにアリバイを頼んでおいた。
翌日、富士宮にある、学生時代に寝たきり老人を殺してやった川村の、別荘まで車を飛ばした。そして、庭のはずれに恵子の死体を埋めた。
終わってから、東京で川村を呼びだして了解を求めた。川村は、その後親父の鉄鋼会社を次いだが、まずまずの経営のようだ。私が説明すると川村は苦々しげに言った。
「悪いことをする奴だな。おれのじいさんの話は、あれですんだはずだぞ。ま、そう言っても仕方あるまい。君が、おれの土地を利用したことは、何も言わないさ。
ただし、発覚してもおれは、預かり知らぬ事だよ。それから、掘り返したあと、ちゃんと処置して置いてくれたのだろうな。」
「ああ、保証するよ。」
道原の失踪について、警察の追求はしつこかった。何しろ、私の廻りで私の利害に関係のある人が、急に都合良く二人も消えたのだから・・・。
しかし私は、状況の不一致と確実なアリバイのおかげで、彼らの質問をどうにか「知らぬ、存ぜぬ。」で通すことが出来た。
道原恵子に比べると、定岡和子は利口だった。自分が「犯罪に荷担したのかもしれない。」と分かっているくせに、そんなことはおくびにも出さず、私のしめした代替え案に笑顔で飛びついてくれた。
「いつまでも、君も僕の愛人でというわけにも行くまい。良い相手を紹介するよ。あの秘書課の鈴木秀一はどうだ。」
「そう。分かったわ。私も鈴木さんは好きよ。」
結婚に際し、私は、十分お祝い金を払ってやった。亭主の鈴木秀一は、有望な青年だ。何しろ、私のオフルを唯々諾々として引き受けてくれたのだから。今後もたっぷり可愛がってやる事にしよう。

考えてみれば私の人生は殺人の連続だ。
幼少期と学生時代の二件に加え、坊城忠彦、一条一郎、道原恵子、そして一条京子も実は私の責任なのだが・・・・・。完全に私の手は、血だらけだ。この先もまだ血にまみれる事になるのだろうか。
しかし私は、後悔はしているわけではない。所詮人生は、戦いの連続、戦いに勝った者のみが、勝利の美酒を味わう事が出来る。その戦いの手段に、たまたま私は殺人という手段を用いたに過ぎない。
大体、殺人がそんなに悪いことだろうか。
チャプリンの映画では無いが、人間は戦争と言う名のもとに、数多くの罪のない者を死に追いやっているではないか。原爆一発で多くの者を瞬時にあの世に送っているではないか。人間は、他の動物と同様、もともと残酷なものなのだ。そしてその残酷さこそが、明日への活力を生み出しているのだ。
私は「「殺人が悪である。」と言うのは、自分が殺されないためにみんなが唱えているおまじないであり、平和な世の中は、そう言う者が集まって一種の宗教集団を形成している。そして、殺人者の処罰は、脱会者に対する宗教的儀式に過ぎないのではないか。」とさえ思う。
私はこの修羅の道を避けて通る気持ちはない。これからも必要な時には・・・・・。
幸い今、私は、満足感に浸っている。何しろ若い時に立てた目標である一条建設社長になることができたのだからだ。さあ、これからは積極的に投資をすすめ、この会社を世界の一条建設にして見せるぞ。

八 のろいの声


佐伯俊子の手記(四)
夫は、会社の近くに自分専用のマンションを買い、最近はそこで過ごし、たまにしか家に戻ってこない。通いの女中も帰った広いさびしい夜の屋敷・・・・。
「じゃあ、これで報告は終わりです。」
沢田が、うわずった声で言った。この後はお互い分かっている。
二人、同時に立ち上がる。沢田の日焼けした顔が、必要以上に私の近くにあった。太い腕が、私の背中に回る。熱い吐息が、感じられる。私は、体をすっと前に倒す。肉づきのいい厚い胸が、私を受け止める。
この時を、私はずっと待っていた。煙草の臭いのする唇が、私に覆い被さる。舌が侵入してきて、私のそれに軟体動物のように絡んだ。
ブラウスのボタンがはずされる。一つ、二つ、三つ・・・・。太い指が、ブラジャーを押しのけて入ってきた。ゆっくりと、乳をもまれる。乳頭が転がされる。
ひとしきりたつと手がぬかれた。その手が、今度は下の方に伸びて行く。いつのまにかスカートのホックがはずされた。耳が軽く噛まれた。私は思わずあえいだ。
そのままお相撲をするような形で、ベッドの方に押して行かれる。ベッドにすとんと腰を落とす。彼の太い手が、私の腰をささえて上手にシーツの上で廻す。
体が重なる。電気が消える。突然の暗闇、目が慣れるのに時間がかかる。着ているものが一枚、一枚ベッドの下にもどかしげに落ちてゆく。沢田もベルトをはずしズボンを脱いでいるらしい。
言葉は要らない。私の最後の一枚が剥ぎ取られる。熱い固い物が押し付けられた。ゆっくりと侵入してくる、激しい動き、陶酔の一時。二度、三度、夢うつつの私・・・・。
不意に男の体の力がぬけ、体が重く感じられた。ああ、何十年ぶりだろう。こんなことをするなんて・・・・。これだけで生きてきた甲斐があった。
沢田が無言で立ち上がる。電気が点けられる。
「いけない人。こんなおばあちゃんに・・・・。私、もう五十よ。」
私はあわてて散らかっている下着で前を隠しながら、下から媚びるように沢田を見上げ、思わず照れ笑いをする。
「全然お若く見えますよ。昔から僕はあなたにあこがれていたんです。」
「亡くなった奥さんに悪くないの・・・・。」
沢田の困ったような顔をして、答える。
「・・・・・もう、過去の話です。今はとにかく俊子さんが好きなんです。」
嘘でも、お世辞でも女はそう言われるとうれしい。「雀百まで踊りを忘れず」という諺がふと頭に浮かんだ。
さびしい私はついにこうして沢田となるようになってしまった。
・・・・・・・・
五日後の夜、また沢田が、やってきた。夫は、昨日からまた出張でマレーシアとシンガポールに出張している。一度関係が出来ると、なんだか沢田が来るのが待ち遠しい。探偵結果の報告なんか、上の空だ。
またなるようになった。情事の後の平和・・・・、心地よい疲労感が体を覆う。立ち上がるのも億劫だ。その時だった。地の底から聞こえるような、低い不気味な声・・・・
「昭は、おまえの母と兄を殺した、殺せ、昭を殺せ。」
はっとして、私は沢田にしがみつく。
「どうしました。」と驚いた様子の沢田。電気が点けられる。
「あなた、何かおっしゃった。」
「別に・・・・。」と怪訝な顔で沢田。
あれは何なんだろう。意識下の思いが聞こえて来たのだろうか。
沢田を通じて、新しい昭の女が分かった。今度は銀座のバーに勤めている松山はるみと言うのだそうだ。報告書に写真が付いていた。和服姿の丸顔の女で、三十代後半だろうか。にこやかにカクテルグラス片手に、夫にしなだれかかり、サービスしている。これで何人目なんだろう。
今回のマレーシア・シンガポール出張には、彼女を同道しているとのことだ。私に子供ができないのだから、ある面では仕方のない事なのかもしれないが、公式の場に女を連れ出しているその態度が気に食わない。
ふと思う。昭が、外でこんなに派手にやっているのだから、私のほうだって負けてはいられないわ。
別れ際、沢田は「お兄さんと秘書の死についてはこの次にお話します。」と約束した。私は、この次は何度でもあった方が良いと感じ、上気した顔で沢田を送り出す。
・・・・・・・
沢田が、最終報告書を持ってやってきた。私は、せいいっぱいのお化粧をして、朝からずっと待っていた。
「まずお兄さんが、飛び降り自殺をされた件についてお話しします。警察は、飛び降りた瞬間の目撃者をしつこく捜したようですが、出なかったようです。
かけつけた人たちは、皆一様に、どさっと大きな音がしたので、飛び出してみると社長が倒れていた、と言っておるようです。
そこで、ご主人と道原さんの証言及びパソコンに遺書らしいものにより、自殺と断定したようです。その後は自殺と決めて、捜査の補強を行ったようです。」
「なるほど。」
「しかしパソコンの遺書は、他人でも作ることが出来る、ご主人の証言も嘘、と考えることも出来るわけです。」
「おっしゃるとおりですわね。」
「そこで私は、最初に殺人事件であると決めてかかったら、どう言うことになるか、と言う視点から考えてみました。
犯人については、ご主人と道原恵子の共同犯行、ご主人の単独の犯行両方が考えられます。道原の犯行というのはあり得ません。なぜなら、ご主人が来ている時に犯行を犯す必然性がないからです。」
「殺人を裏付ける何かがあるのですか。」
「道原の証言によると、ご主人がお兄さんに会いに来た時、電話があったのだそうです。経理部の定岡和子とい言う女性で、今は結婚して鈴木和子となっています。
ところが事件当時は、定岡和子は、ご主人のなかば公然の愛人だったらしいのです。そこで私は、彼女が犯罪を補助したのではないかと追求してみたのですが「私の用事で偶然に電話しただけだ。」と強情で、追求のしようがないのです。」
「道原恵子さんが失踪された話についてはどうですか。」
「失踪して一年になるのに、親元には一切の連絡がないそうです。そうすると、殺されている可能性が高い、と思います。
原因は、確かにご主人とは関係ない事と言うことも出来ます。しかし会いに行くと言った恋人の桜井一夫とは、当時非常にうまく行っていたようです。人もうらやむ仲に見えたと言います。桜井一夫がらみで殺された、と言う可能性は低いように思います。」
「桜井一夫さんに会われたのですか。」
「ええ、会ってきました。もちろん周りの人の評判も聞いた上での判断です。」
「すると他の原因で殺されたと言うことになりますね。」
「ええ、その事ですが、社長の死が殺人とした場合、共犯であれ、ご主人の単独犯行であれ、犯行後、ご主人に道原恵子の口封じをする必要が生じた可能性は十分考えられます。道原恵子が、弱みにつけ込んでご主人に何か要求した、あるいは他人に真相を語るおそれがでてきた、等です。」
「夫のアリバイはどうなりますか。」
「道原恵子が、「恋人に会いに行く。」と言って家を出た頃、ご主人は、ゴルフ場にいたわけです。この状況から考えて、警察は、道原恵子とご主人を直接結びつけては考えなかったでしょう。
しかし警察の調べで、家を出て小田急線に乗ったところまでは分かっているのですが、その後が全くつかめていません。親へのことわりは方便だったと考えられます。従って、その後の彼女の行動については、どのようにも想像できるわけです。
本当は、ご主人に会いにゴルフ場まで行ったのかも知れない。もちろん、そんな形跡は、発見されていませんけれど・・・・。また、たとえば二人が示し合わせて、後刻、どこかであったかもしれない。
後刻というのはその日かも知れないし、極論すれば三日後かもしれません。密会の内容は今となっては分かりませんが、この時、隙を見て、ご主人は、道原恵子を殺害し、死体を人目につかぬ方法で処理したと考えられるのです。
こうなってくると、ご主人のゴルフ場アリバイなど吹っ飛んでしまいます。」
「恐ろしい話しですね。」
「ええ、もちろん証拠はありません。私が勝手に作り上げたお話と言うこともできるでしょう。しかし余りにも事実が符合し過ぎているのです。」
「警察にもう少しつっこんで捜査させるわけには行かないのでしょうか。」
「今回の場合、私どもが訴えられれば、再度、事情聴取くらいはするかもしれませんが、それだけでしょう。なぜなら否定されれば、立件のしようが無い、と考えられるからです。」
「立件できないものは手をつけないと言うことですか。」
「こんな事件がありました。多摩市で下水道のマンホールの中から女性の白骨死体が、見つかったのです。死後半年以上経過していたそうです。
女性の身元が分かり、警察は女性の交友関係を当たったんです。するとある妻子ある男性が、彼女と親しかったことが、分かりました。しかし、彼は、彼女と交際のあった事を認めたものの、殺害など思いもよらないと主張するのです。
下水道のマンホールというのは、三年に一回点検するのです。言い換えると、点検直後に死体を放り込めば、三年間は見つからないですむ、と考えられるのです。放り込まれた時期はちょうど点検直後で、犯罪を起こす側からは素晴らしい時だったのです。しかも彼は下水道局の職員で、その地区の点検を担当していたのです。
それでも、事件が起きたのは、半年以上も前の話、人々の記憶はうすれ、目撃者もでないのです。状況証拠は十分で、殺された娘さんの遺族にするとやりきれない気持ちでしょうが、警察としては立件しようがないのです。」
「その男はどうしているのですか。」
「平然と勤めています。噂をする人はいますが、プライバシーの問題がありますから、表だって非難する訳にはゆきません。」
「ひどい話ですね。」
「奥さんは起訴便宜主義という言葉をご存じですか。」
「いいえ、何ですの。」
「刑事訴訟法にあるのですが、検察は状況を判断して、起訴しなくても良いという規則です。
犯罪がやむを得ざる状況で行われたから起訴しない、と言うのなら分かるのですが、捜査を詰めきれないから、起訴しないと言うことにもつながっているのです。
私は今回のケースは、マンホール事件のように立件できるまでの証拠はありませんが、ご主人の犯行の可能性が高いと考えています。」
「そうですか・・・・。」
私は、これはもう夫とはやってゆけないと確信した。ちょっと間があった。私は気を取り直して聞いてみた。
「分かりました。しかし、今後、どうしたらよいのでしょう。」
「そうですね。離婚と言うことは考えられますけれど、それは、むしろご主人の思うつぼかもしれませんよ。問題は、会社ですよ。」
「会社というと・・・・。」
「今回のご主人の動機は、社長と会社の方針で対立して、放り出されそうになったから殺した、あるいは社長になりたかったから、目の上の瘤を取り除いたと言うことでしょう。そして結果としてどうなったか、ご主人は、めでたく社長になり一条建設を支配するようになったという事でしょう。」
「その通りだわ。」
「殺人鬼に会社を思うままにさせておいて良いのか、と言うことですね。」
「はい・・・・・。」
しかし株式市場に上場したために、一条建設の資本金は、増えたが、私や次兄など一条一族が所有している株式の割合は、大分減っている。私は次回までにこちらの行動方針を決定することを約した。
仕事が終わった。また電気が消えた。甘美なひととき、闇の中から、またあの不思議な押し殺したような声が聞こえてきた。
「昭はおまえの母と兄を殺した、殺せ、昭を殺せ。」

九 一条建設危機


昭が社長に就任して三年、大介が往生してから一年が過ぎた。昭は一条建設の帝王として君臨しているが、その基礎が徐々に崩れ始めようとしていた。

佐伯昭の手記(五)
東都株式新聞X月X日
・・・一条建設経常赤字、無配転落か
海外への過剰投資が問題になっている一条建設は、今期三十億の経常赤字に転落する見通しである。無配の見通し。一条建設内部には、積極的にハワイやオーストラリアのゴールドコーストなどに積極投資を進めてきた佐伯社長の経営責任を追及する声が、あがっていると言われる。

ひどい記事を書いてくれたな。実にタイミングの悪い記事だ。
一体どこから嗅ぎ付けたのだろうか。
確かにゴールドコースト、カウアイ島の投資は失敗だったかもしれない。土地取得費用が思ったよりかかった、環境保護団体に押された市長が、いろいろ無理な要求を突き付けてきた為、当初の計画通りの物ができなかった、その他いろいろ理由はあるが、何と言っても大きかったのは需要の見込み違いだった。
しかし投資と言う物は、金利さえ払えれば、いずれは回収される物なのだ。千万円の投資に対し、最初百万円の利益をあげ、十年で回収する予定だったところが二十万しか上がらなかったとしよう。五十年で回収すれば良いじゃないか。
問題になるのは資金繰りだ。需要の立ち上がりが遅ければ、その間、企業は金利を払ってじっと耐えなければならない。それが過ぎれば収穫期に入り、会社は左うちわになるんだ。しかし、今、資金がショートすればここは銀行からの借り入れを増やすとか、金利支払いを猶予してもらうとか、方策を取らなければならない。
それがこんな記事のおかげで、銀行がひどく非協力的になっているじゃないか。どうしてくれるんだ。融資の見返りに、銀行から役員を迎え入れなければならないとしたら、一体誰が責任を取ってくれるというのだ。
経営責任を追及か!
前々から、一部の取締役の中に私の経営責任を追及し、罷免しようと言う動きがある、と聞いていたので、私は社内スパイを使って調査していた。すると驚くことに、専務の牧田が、中心らしいことが分かった。
しかも彼を呼びつけて、相談し、いろいろ指示をしているのが、妻の俊子らしいというのだ。女だてらに、なんていう事をするのだ。自分は、子を作るという根本的な妻の役目も果たせぬくせに・・・・。

週間タイムズ
・・・疑惑の失踪
海外への過剰投資が原因で、経営が苦境に立たされている一条建設で、社長交代に伴う疑惑が浮上している。三年前、同社では一条一郎社長が、本社ビルから謎の飛び降り自殺を遂げ、佐伯昭氏が社長になった。社長が飛び降りた事を発見したのは、直後に、社長室を訪問したほかならぬ佐伯昭氏である。
これだけなら問題はなさそうなのだが、その直後、社長秘書を勤めていた道原恵子さんが、行方不明になり、現在もまだ見つかっていない。本当に単純な自殺だったのだろうか・・・。本誌記者が関係者に聞いたところによると・・・・・。
・・・・・
道原恵子さんのお母さん、妙さんの話  娘は恋人に会いに行く、と言い残して家をでたまま戻ってきておりません。身持ちの固い子で、それ今まで外泊などした事がありませんでした。何か悪い事が起こったのでなければ良いのですがと心配です。生きているなら、是非一言でいいから連絡して欲しいと思っています。
一条建設広報部の話  憶測のお話にお応えする事はできません。当社としては警察の発表以外に信じるものはございません。

これもひどい記事だ。
牧田の後ろに妻の俊子がいるというので、こちらは私立探偵を使って調べさせた。なんと妻も私立探偵を使って、私の周辺と過去を調査しているというだ。
沢田とかいうへっぽこ探偵で、妻とは学生時代の友人らしいが、今では深い関係になっているようだ。あの歳で何を考えているのだ。しかし見過ごす訳には行かない。
沢田は、しつこく警察や社内の関係者に根掘り葉掘り聞きまわっているらしい。結婚した鈴木和子のところにまで押し掛けたというのだから。
待てよ、ひょっとしたら、この二つの記事は、沢田が調査結果を持ち込んだのじゃないか。そうだ、きっとそうに違いない。
この記事の噂が広まり、兄の自殺や道原の失踪を、警察がもう一度蒸し返すようになったりしたら一大事だ。これはマスコミ対策を十分取り、一方では虚勢を張って名誉毀損による逆提訴なども考えざるを得まい。
私は二つの大きな計画を立てた。
牧田を追放し、社内体制を強化すること、そして妻と沢田を抹殺すること・・・・・。二人はもはや許しておけない。

十 第一の戦い


佐伯俊子の手記(五)
兄と道原の失踪について考えている内に、私は恐ろしい考えにぶち当たった。
あの坊城の死には、疑問は無かったのだろうか。あの時も一緒だったのは、夫だけだ。疑おうと思えば、出世のパスポートになる私を獲得するために、坊城を水死させ、後は事故だと騒ぎ立てた可能性もあるわけだ。
父や母の死はどうだ。母など、「朝、看護婦が朝巡回に行くと、安らかに目を閉じて息絶えていた。」というから、死んだ瞬間は、誰も見ていないわけだ。
今まで、私は、なんとのんびりとしていたのだろう。私は、一族の仇と仲が冷えたとは言え、夫婦の関係を保っているのだ。
私は、状況証拠しかないが、沢田の証言を信じ、二つの作戦を立てることにした。第一は、一条建設を私たち一条一族の手に取り戻すこと、新社長には次郎さんがいいけれど、いやなら私がなってもいい。どうせ幸太郎さんまでのつなぎだ。第二は、佐伯昭になんらかの復讐を行うこと!

私は、第一の作戦を実行するために、社内の情勢を探り、同士を糾合しようと考えた。
会社の近くのホテルに、専務の牧田を呼んだ。彼は、父と一緒に一条建設を起こした仲であり、子供の頃、私は良く一緒に遊んでもらったことを覚えている。しかし年齢はもう七十に近い。風の噂では、夫に煙たがられ、冷や飯を食わされているということだ。
「お嬢さん、おひさしぶりです。」
「お嬢さんだなんて・・・・。」
白髪、赤ら顔の実直そうな牧田の顔を見て、私は思わずほほえんだ。
「相変わらず、お元気で何よりですわ。」
「いえ、もう年寄りです。老兵は消えゆくのみ、寂しいことですなあ。」
その言葉に実感がこもっているように思った。私は、沢田の名前は出さずに、事件の調査結果を話した。牧田は、はじめて聞くという様子で、大いに驚いていた。
「分かりました。全くひどい話しですね。それで、お嬢さんは、どういうことを考えてられるのですか。」
「一条建設の支配権を一条一族に取り戻したいのです。いえ、いつかは他人に渡るのはかまいません。しかし殺人鬼かもしれない男に、一条建設を委せておくわけにはゆきません。」
「そうですね、その通りです。」
牧田が、簡単には行かぬ話しなので、少し社内調整をしてみたい、と言うので、はじめての会見はこれで終わりにした。
次の会合は東京駅近くの料亭で行った。
私は沢田を牧田に紹介した。牧田は、人事関係の城田と技術関係の島橋という二人の取締役を連れてきた。いろいろ話が会った後、牧田が、力強く宣言した。
「我が社は、現在あの人のおかげで財政的にも危機に陥っておりますし、そう言うことなら、もうほっておくことは出来ません。ちょうどもう三ヶ月で株主総会が開かれます。それに照準をあわせて、力を合わせて行動しましょう。この牧田、老骨に鞭うって、ご希望にそうようご尽力いたします。」

私は、浦和にすむ次郎の家を訪問し、沢田の調査結果、私の推測等をとりまぜて話し、いかに佐伯がひどいことをしたかを話した。しかし、今や幸せな家庭に恵まれ、中堅作家としての地位を確保している兄は、気のない返事をする。
「しかし、お兄さんを殺したという話は、あくまで推定なんでしょ。それからそのOLは、別の恋人がいて、そちらと駆け落ちしたのかも知れない。僕は、その辺の捜査は、警察に任せればそれで良いと思う。」
「でも、坊城さんやお母さんの話だって・・・。」
「坊城さんのことを今更言い立てても始まらないでしょう。お母さんの話は、それは邪推だと思いますよ。だって病院は、不審者をチェックしているんでしょう。」
それからああでもない、こうでもないと議論が続いた。
たしかに善意に解釈すれば、すべて事故であり、偶然であったのかも知れない。しかし百パーセントの証拠をそろえるまで待っていたら、こちらがやられてしまう。そうなってからでは遅い。
私は、この人は積極的には動いてくれない、と判断した。仕方なく妥協して言った。
「でも、せめて今度の取締役会は出て下さいな。」
「分かったよ。本当にその牧田と言う男は信頼できるのかなあ。」
「大丈夫、私が保証するわ。」
次兄の話を牧田にすると
「いや、それはそれで良いではないですか。取締役会に出ていただいて、私どもの動議に賛成していただければそれで十分ですよ。」
と逆に慰められた。

商法の規定によれば、取締役会は半数の出席者があれば成立し、さらにその過半数の賛成があれば、議案を成立させる事が出来る。だから極端な場合、取締役が五人、出席者が三人、賛成が二人いれば代表取締役を解任することが出来る。
一条建設の場合、取締役会の構成は次兄、私、夫、牧田など十七名。そのうちハワイ支店長など遠隔地の取締役は出席しないことが多いから、常時は十三、四名の出席がある。
普段はこの会に疎遠にしている次兄と私は、今回は強引に出席することにした。夫は、仕方がないという風に苦笑いした。
一条ビル、十二階、兄がいた社長室に、今はあの佐伯昭がいる。その奥にオーヴァルルーム
・・・・。取締役会は通常ここで行われる。
マホガニー製のどっしりとしたオーヴァル型の机に、十二名の取締役が着座し、最後に佐伯が入ってきて、正面の議長席についた。開会が宣誓され、その日の会議が始まった。
始まって二十秒も経たぬうちに、打ち合わせ通り、牧田が手をあげた
「緊急動議を提出します。民法六五一条の規定にもとづき、代表取締役佐伯昭氏を解任し、商法二六一条の規定にもとづき、佐伯俊子氏を選任する事を提案します。」
そう言いながら、牧田が立ち上がった。しかし一緒に立ち上がったのは島橋だけだった。佐伯がじろっとふたりを見すえた。落ち着いている!
私の脳裏に不安がよぎった。牧田の話では八名ないし、九名が「賛成!」の声と共に立ち上がる予定だった。佐伯がにやりと笑って言った。
「緊急動議の件は分かりました。趣旨を説明していただけますか。」
「趣旨?」
「そうです、趣旨です。動議を提出されるなら趣旨を説明するのが当然でしょう。」
やられた、と私は、この時確信した。自信の無い声で牧田が、懐から趣意書らしき物を取り出し、読み上げた。秘書殺害については言う訳に行かないから、曰く、海外投資の失敗、曰く財政危機・・・・・。
牧田が趣旨説明を終えると、間髪をいれず佐伯が言った。
「ただいまの緊急動議について、決を採らせていただきます。特別利害関係人たる私が、決議に参加する資格を有しないことは、当然です。賛成の方は挙手を願います。」
四人が挙手した。私、次兄、牧田、島橋。
「四名ですか。過半数に達していませんね。遺憾ながら本案を、否決します。」
全身の力が、抜けてしまった感じだった。
後から分かったことだが、サラリーマン根性というのだろうか、父のかわいがっていたあの城田が、裏切ったのだ。城田を中心に佐伯は皆の意見をとりまとめたようだ。
続いて議長から、次回株主総会に原案として出される取締役候補の説明があった。いつもは出席しない次兄のみが残留し、私や牧田が解任され、新しい役員が若手の中から補充される案だった。
帰り道、次兄と私は、それぞれの思いを胸に別々の車に乗り込んだ。夫は送ってくることもしなかった。
次兄を盗み見ると「だから、言ったじゃないか。」と非難しているような目をしていた。

私は再び牧田と連絡し、株主総会で逆転出来ないか、検討してみた。
一条建設は、当初は一条大介の個人会社で、株は親族が所有していた。しかし上場するなどして大きくなる内に一族の持ち株比率はどんどん減少していった。現在私、次兄、長男関係者などで十三パーセント強。
牧田の話によると、株主総会で会社側の取締役選任案を否決するには、出席株主数の半数以上の賛成が必要だ。もちろん、動議を提出し、取締役を解任するというやり方もあるが、この場合は、特別決議になるから三分の二の賛成が必要である。
そのためには、銀行などの大口株主をこちらの味方につけなければならない。しかし彼は「奥様に言われるまでもなく調べてみましたが、いち早く社長が支持を取り付けておりまして・・・・。」と情けない話。
挙げ句の果てが「この私は一体どうなるのでしょう。」などと泣き言を言う。知ったことか!どこまでこの男は応用がきかず、馬鹿なのだろう。私は怒る気も無くしてしまった。

会社の支配権を一条家に取り戻す、という作戦は完全な敗北だった。私は、第二の復讐手段を考える必要に迫られた。
私は、沢田に私の推測結果を述べ、取締役会での作戦が失敗した事を告げた。しばらく沈黙があったが、沢田が説得するような調子で、私に語り始めた。
「もう、こうなったら非常手段を取るより仕方がありませんね。相手は、自分の野望のために事故や自殺、あるいは失踪に見せ掛けてこちらをつぶしているんです。となれば、我々も同じ手段で、対抗するより仕方がないんじゃないですか。こうなったら俊子さんと私は、一蓮托生ですよ。地獄の果てまでお供しますよ。」
「同じ手段と言われますと・・・・。」
と言ってから、私は、沢田の意図に気がついた。この人は、恐ろしいことを考えている!にこやかな笑みを浮かべて・・・・・。しばらくして私は、涙がこぼれるのを押さえながら、小さな声で言った。
「ありがとう。」
もう、私に頼りになるのはこの人しかいない!
電気が消えた。聞こえてくる、聞こえてくる、闇の中から低い悪魔のささやき
「昭はおまえの母と兄を殺した、殺せ、昭を殺せ。」
沢田と私は、具体的な復讐の方法を検討し始めた。

十一 第二のたたかい

馬上の野郎め、よくもおめおめと「沢田を襲いましたが、失敗しました。もう一度チャンスを下さい。」などと、言えたものだ。
私は、実は沢田を自動車事故に見せ掛けて、抹殺しようと、ある暴力団関係者に頼んでおいたのだが、このていたらくだ。しかたない、へっぽこ探偵は、後回しにして妻が先だ。妻はあの取締役会の解任騒ぎをみても分かるように、今や、一番危険な人物だ。
また殺人の方策をどうするか・・・・自殺か事故に見せ掛けた警察も手の出しようのない・・・・。私は、今回は、青酸カリによる自殺という方法を取る事にした。
その日、まず私は、松山はるみにアリバイ工作を依頼した。
「ちょっと明日、協力してくれないかな。」
「なあに?」
「いつか渋谷のマンション建設で土地オーナーとトラブルが発生していることを話したろう。その件で、明日の夜、ヤーサンと作戦をねるんだ。ひょっとすると、その後の展開によっては、警察ざたになるかもしれない。そこで何か聞かれたら、君の部屋にいたことにして欲しいんだ。何、迷惑はかからないよ。」
「分かったわ。」
それから私は家に電話を入れた。

夕方、突然電話が鳴った。
「やあ、この前はやってくれたじゃないか。」
夫からだ。夫はあの自分専用のマンションに起居しているらしく、解任騒ぎ以来、連絡がなかった。仕方なく
「・・・・・あなたのほうが一枚上だったわ。」
「まあな。・・・・しかし、夫婦で正直をぶつけ合う事もいい事かもしれない。」
この人は何を言い出すのかしら・・・・・。
「でもさ、しこりにしたくないんだ。僕は君と別れたくない。」
離婚・・・・そういえば解任騒ぎの後の夫婦の関係なんか考えていなかったわ。
「それでね、今後のことを、君とゆっくり話し合いたい。明日は君の誕生日だったね。」
「ええ、そうだけれど・・・・・。」
「我が家に戻るよ。」
「はい・・・・・。」
「久しぶりに君の手作りのうまい食事でも用意しておいてくれないか。ああ、ワインが飲みたいな。」
「ええ・・・。」
夫は、一方的に言うと電話を切ってしまった。これはまたどうした事なのだろう。
ここ、十年以上、冷たかっただけの夫が、どうして急に私の誕生日を祝いに我が家に帰って来るなどと言い出したのだろう。
もっとも、私にとっては、願ってもない機会が、到来したというべきだろう。
私は、実は沢田と自宅に夫を呼び寄せて殺すことを考えていた。しかし何しろ解任騒ぎの後だから、どうやって夫を我が家に呼ぼうか困っていたところだ。向こうの方から臆面もなく戻ってくるなんて・・・。私は急遽、沢田に連絡を取った。
私と沢田が考えた殺人の方法はこうだ。
私は、ワインの中に強力な睡眠薬を入れよう。夫は、少しで眠ってしまうに違いない。子供みたいな顔をして・・・・。そしたら、隠れている沢田に手伝ってもらって、やさしく夫を抱き上げ、そっとお風呂に入れてあげよう。
その後、何もするつもりはない。せいぜい、沢田に抱かれて、私は切ない声でもあげていることだろう。沢田には、適当に見つからぬように帰ってもらおう。
やがてお風呂は熱くなってくるだろう。五十度、六十度、七十度・・・・・。沸騰してくるかもしれない。
最近のガスメーターは、マイコンメーターと呼ばれており、使いはなしにすると、火事の危険があると判断して、ガスが自動的に消えるそうだ。でも、消えるのはお風呂の場合、点火してから二時間も後の話。
陶酔の一時の後、寝過ごさないように二時間後に目覚しをセットしておこう。
目覚ましがなったら、お風呂に慌てて飛んでいってあげよう。夫は、きっと煮えているに違いない。煮えて赤くなり、体の肉が収縮して、小さくなっているに違いない。私は慌てて警察を呼ぼう。
「大変です、すぐ来てください。夫が、お風呂の中で死んでいます。」
お葬式は貞淑な妻を演じよう。
それが終わったら、ガス会社を「不安全な器具を販売している」と訴えでもしてみようかしら。ほんの座興に・・・・・。

「ただいま。」
「おかえりなさい。」
いつになく妻は、にこにこし、機嫌が良いようだ。
あの騒ぎがあった後だというのに、女は本当にうまく演技をする物だ。もっともこっちだって、相手を油断させなければならない。
覆水盆にかえらず、でいまさら二人で仲良くも無い物だが、最後の一時、私は努めて何もなかった風に快活をよそおう。
久しぶりの俊子は、なんだか少し若返ったみたいだ。沢田などという若くもないツバメをくわえ込んだからだろうか。
「お料理、これでいいかしら。」
「ああ、うまそうだ。」
・・・・・・
八十年もののシャブリが抜かれた。私は二つのワイングラスに薄い黄色の液体をそそぐ。馥郁たる香りが漂う。にっこり笑ってグラスをあげる。
「じゃあ、乾杯!。」
「乾杯!」
少し、ワインの酔いが回った頃、玄関口の電話のベルが鳴った。
「ちょっと待って。」
俊子が、乾杯しかけたワインをテーブルにおいて立つ。私は、あわてて用意の薬を俊子のグラスにいれる。
「あなたにですって、会社の人らしいわ。」
「そうか。」
私は飲みかけたワインをテーブルにおいたまま立つ。電話は切れていた。
「おかしいな、切れちまった。じゃあ、改めて乾杯しようか。」
「そうね。それじゃ、乾杯!」
「もう一度乾杯!」
私は努めて快活を装う。さあ、仕上げに入ったぞ。
「それじゃ、これからどうするか考えようか。代表取締役解任決議を出した妻と、それをつぶした夫の・・・・。」
「面白そうね・・・。」
にやりと笑った俊子が、急に苦しみ出し、床に倒れた。
「おい、どうしたんだ。しっかりしろよ。」
私は、慌ててかけより抱き起こすふり・・・・。やれやれ、世話を焼かせるわい。
おや、私も少し酔いが回ったかな、眠くなってきた・・・・・。

十二 誰が果実を得たか


(沢田雄一の手記)
私は、佐伯家の近くのマンションの暗い屋上に立ち、もう二時間も前から、望遠鏡ごしに佐伯家の様子を伺っていた。私はいらいらしていた。
「おかしい、もうそろそろ合図があっていい頃なのだが・・・・。」
私がマンションの屋上で見張り、俊子さんがカーテンを揺らし、小さく合図を送る、それが作戦である。最初の合図で、私は携帯電話をかけた。亭主が出てきた時、私は無言で切った。
しかし、「終わったから運ぶのを手伝ってくれ。」という第二の合図はまだこない。もうあれから一時間近く経つのに、一体どうしたと言うのだろう。
私は、不安な面もちで階下におり、佐伯家にむかった。かねての連絡通り、通用口、勝手口が開いていたから、簡単に屋敷に忍び込むことが出来た。
南に面した洋間に俊子さんと佐伯が倒れていた。テーブルには食べかけの豪華な料理。どちらかが最後の力を振り絞ってあがいたのだろうか、ワインボトルがテーブルの上にひっくり返り、中身がぶちまけられていた。私はあわてて彼女に駆け寄る。
「俊子さん!、どうしました、大丈夫すか!」
完全に、事切れていた。苦痛に満ちた死に顔だ。ほのかなアーモンド臭がした。
「おい!」
机を回り込み、今度は佐伯の肩を揺すった。こちらは良く眠っているようだ。私は事態の成り行きに驚いた。どうしたものだろう。一瞬逃げ出そうとも考えた。しかし佐伯への借りを返す千載一遇のチャンスを、逃すわけにはゆかない。
私は、眠りこけた佐伯昭の洋服をゆっくりと脱がせる。万一、目を覚ますことがないように、用意した注射をうつ。
風呂はとっくに熱くなっていた。私は風呂をいったん消して、またつけた。これをすれば、まだ後二時間は、マイコンメーターが作動せず、ガス風呂のバーナーは燃え続けるはずだ。渾身の力で佐伯をだきあげる。重い。
風呂場に運びながら、目をつぶり、はるか昔の事を思い出す。

私は、昭和十六年、太平洋戦争の始まった年に、大連で生まれた。
昭和二十年、ソ連軍の侵攻をどうにか逃れ、母は、幼い姉と私を連れて、文字通り身一つで帰ってきた。父は途中で行きはぐれ、それっきりになった。たまたまつてのあった長野県の山奥に疎開をした。
林檎や胡桃の豊かなのんびりしたところだったが、田舎者はそうした疎開者には冷たかった。

目を開けて、眠りこけた佐伯に心の底から語り掛ける。

覚えているだろうか。君はあの小さなあの事件を・・。私の姉と母の死を呼んだ、小さな用水池で起こったあの事件を・・・。
私は少し大きくなってから、姉が、君に池に突き落とされた事を、一緒に現場にいた成島克二という男から聞いた。
母は、自分の子が突き落とされたのを知って、猛然と抗議したに違いない。
ところが、君の家は、どう立ち回ったのだ。庄屋を仲間につけ、「引揚者が因縁をつけている。」とでもふれまわったのだろうか。
そうして母を嬲り殺しにしてしまった。子供心にいくらなんでも許せないと思った。
しかし当時はそんなことより、私は、事件の後、叔父に預けられ、自分自身が生きて行く事に懸命だった。
そして戦後のどさくさも手伝って、私は君の行方を見失った。事件は、時の流れの中にほとんど忘れられてしまった。
ところが俊子さんから、彼女の夫が佐伯昭、長野県出身と聞いてとたんに、すべての記憶がよみがえった。憎しみが、再生された。運命の皮肉という物だ。
そうは言っても、私は、最初から君を殺すつもりだったわけじゃない。せいぜい、面会してうらみの一つも述べてやろうくらいに考えていた。
しかし俊子さんの依頼で、君の過去の調査を進めるうちに、私は、いかに君がひどい人間かと言うことがわかった。君は、一体何人、殺したんだい。根本的に、君は、分からなければどんなことをしてもいいという考え方なんだね。人間として許せない。
私は俊子さんに同情し、同時に俊子さんの復讐心を煽った。あのささやきが、私の腹話術だったとは俊子さんも気がつかなかったに違いない。
そのうちに、俊子さんに対する愛情が湧いてきた。老いの坂を迎えようとしている私は五年前に妻を失っていた。だからこれからは俊子さんと第二の人生を、と考え始めた。なんて言ったって昔の知り合いは良いものだ。気心が分かっている!
俊子さんは、君を殺害する計画を前にして「怖い!」と言った、しかしもう死ぬも生きるも一緒でいいと考えるようになった私は、いっしょにやろうと申し出た。
私たちは、何度もいろいろな角度から打ち合わせた。完璧な計画である、と確信していた。それが、君もまた俊子さんの殺害を考え、二つの計画がタイミング良く一致するなんて、人生はなんて皮肉なんだろう。涙が頬を伝った。
せめてもの慰めに俊子さんに変わって、最後の仕上げをしてやろう。むきにくかった君という林檎の皮をはいでやろう。

エピローグ


二日後、匿名の電話が警察にかかった。「近所の者だが、どうも佐伯さんの家の様子が、おかしい、調べてくれませんか。」と。風呂場と居間で二人の遺体が発見された。
遺書は特になかった。しかし、夫婦の仲が冷えていたことは、公然の秘密だったし、株主総会で妻が反旗を翻し、昭があわやの瀬戸際まで追いつめられたことも、明らかになった。
その結果警察は、「長年の夫の不実に怒った妻が、夫を眠らせた上、風呂で煮殺した。しかし良心の痛みに耐え兼ねて、その後を追って自殺した。」と発表した。
二人の葬儀が、しめやかに執り行われている頃、一条建設では、次期社長を巡っていろいろな憶測が飛び交っていた。