ローマ人の物語X「すべての道はローマに通ず」   塩野 七生

新潮文庫


古代ローマの歴史には多くの魅力的人物が登場するが、もう一つ忘れてならない影の主役がインフラストラクチャーである。ローマ人はそれが「人間が人間らしい生活を送るための必要な大事業と認識し、街道を始め、ようようのシステムを整備してきた。その基本は現代にまで脈々として流れている。他の書とは異なり、それらを写真と共に紹介している。

(1)街道 紀元前3世紀に始まった道路建設は後2世紀もの間500年にわたって続けられ、その総延長は幹線だけでも八万キロ、支線まで加えれば十五万キロにおよんだ。同じころ東方では万里の長城が築かれ、防衛に重点が置かれるのに対し、こちらは敵に利する時もないとは言えない状況で道路建設を優先した。その道路は幹線ともなれば車道と歩道をあわせ10メートルを越える大規模なものだった。街道には建設者の名がつけられている例が多い。「街道の花」といわれるアッピア街道は、紀元前312年アッピウス・クラウデイウスによって立案され、ローマからブリンデイッシュにいたる。

(2)橋 ローマ人は橋を街道の弟と呼んだ。橋には戦時などに使う舟橋、木製の橋などもあったが、主力は水平にかけられた石造りの橋であった。橋もそれに続く街道と同じ様に敷石舗装で車道と歩道が作られ、両岸にはアーチがかけられる事が多かった。
橋や道路の利用者はまず軍団の移動。車輪つきの者が多かったが、牛の引く車に載せて運ぶ攻城器、テント、兵糧なども使った。利用者の第二は一般の人々であった。人々の活動が自由になり、経済が活性化し、ローマ帝国を一大経済圏に変えた。第三は郵便を運ぶ人であった。カエサル、アウグストウス等が完成させたものだが、一日の行程ごとに馬の交換所などを用意し、リレー方式による郵便システムを確立させていた。すでに旅程を示した旅行ガイドのようなものまで売られていた。
またこれら街道の治安も完璧であった。国境外の敵からそこに住む人々を守る、帝国内の内部紛争を抑えることと共に治安はパクスロマーナ実現のための最重要インフラであった。
ただ三世紀の危機の頃から、政情の不安定が訪れ、メンテナンスに帝国の力が及ばなくなってゆく。

(3)水道 ローマ自体は湿地帯が多かったから上水道よりも先に下水道が完備したほどである。しかしそれでも良質な水を確実に市民にとどけられるように、ローマ人は紀元前312年にアッピア水道建設を開始して以来建設し続けた。サイホンの原理は知っていたが使わず、谷には水道橋を渡し、町近くでカステルと呼ばれる貯水槽に入れて不純物を沈殿させそれから地区ごとの共同水槽に運ばれた。ただ一方でローマ人は雨水や井戸水の確保にも努めていたようである。

ソフトなインフラ(1)医療 ローマの医療は長らく神頼みと家庭医療であった。この医療を医者と教育者に特定の条件のもとにローマ市民権を与え、首都に彼らを誘致したのはカエサルであった。しかし辺境の地に医療施設を作ったが、ローマに大病院は存在しない。死を恐れぬ考えのようで、従容として死に、遺灰となって街道筋のある墓などに埋葬されたようである。
ソフトなインフラ(2)教育 教育も親の役割である時代が長く続いた。やはりカエサルの時代に教育の自由化が行われ、形式上男女共学の私塾が普遍化した。初等教育ではラテン語の読み書き、算数が主体であった。12-17歳の中等教育では文学、歴史、語学について教育が行われた。さらに17-20歳の高等教育では主として弁論が教えられた。

061015