新潮文庫
この巻で述べられるのは、紀元211年から284年までの73年間である。この間に22人もの皇帝が入れ替わるのである。
セヴェルス帝死後、帝位は二人の息子カラカラとゲタに引き継がれたが、後者は前者によって殺される。帝は増税策として、市民権法を改定し、「ローマ市民」と「属州民」の差別を撤廃した。ローマ市民も属州民なみには収入の10%を支払う属州税をはらうことになったから抵抗はおおきかった。個人主義が蔓延するようになった。カラカラ帝は、ライン川防衛線、ゲルマニア防壁を再整備した後、パルテイアに進軍。パルテイア戦役が開始されたが、警備隊長の手によって殺害されてしまう。
謀殺した近衛軍団長マクリヌスが帝位につく。パルテイアと講和条約を結び、メソポタミアを放棄。しかしシリアの女ユリア・メサが東方軍団を糾合して叛旗。追い落として孫のヘラガバルスを帝位につけた。彼が問題を起こすと、いとこのアレクサンドル・セヴェルスに統治させる。其の治世は、ユリア・メサ死後も、法律家ウルビアヌスの後見を得ていた。しかし皇帝は232年にペルシアと戦った後ライン戦線に赴いたが、マインツ付近で謀殺される。
「トラキア男」マクシミヌス・トラクスは、元老院の反撃の前に3年で失墜、変わって、名門出身のゴルデイアヌス父子等が、帝位につくなど混乱期を迎える。しかし混乱がかえって元老院をまとめさせ、少年皇帝ゴルデイアヌス3世の治世が6年ほど続く。東方ではパルチアが滅びササン朝ペルシアの時代となる。新国王シャプールが進入するも、近衛軍団長官テイメジウスが少年皇帝を助けて勝利するが、この皇帝も戦役中に謀殺される。アラブ人フィリップス・アラブスの治世を迎え、ローマは建国1000年を祝うなどした。しかし皇帝は、元老院と対立し、ヴェローナで自死の道を選んだ。次の皇帝デキウスは、キリスト教徒の弾圧を行ったが、バルカンにおける戦闘で蛮族との戦闘で命をおとした最初の皇帝となった。
属州総督で蛮族相手の戦闘にも参加していたトレポニアスが帝位についた。しかし252-253年にかけて海伝いなどの方法で30万人もの蛮族が進入してきた。皇帝に失望したドナウ下流、ゲルマンの将兵に推挙されたヴァレリアヌスが帝位につく。彼は、デキウス以後廃止されていたキリスト教徒証明書の発行を復活するなど弾圧したが、シャプールが攻勢に出たため戦地に赴く。そしてついに敵国に捕縛されるという前代未聞の不祥事に見舞われた。
結局ローマを守っていた息子のガリエヌスが帝位につき、其の治世は15年に及ぶ。しかし混乱の危機の中にポストウムスを抱く「ガリア帝国」が創設され、フランスと共にイベリア半島を失った。シャプールとの戦いでは、オデナトウスが活躍したが、謀殺され、変わって其の妻ゼノアが暴走し、エジプトまで手中にいれてしまった。こうして「パルミアはなかば独立したような形になり帝国は三分された。ガリエヌス帝は、元老院と軍隊を完全分離し、軍隊は従来の重装歩兵軍団から騎兵を中心するものに変えてゆくが、時の流れには逆らえぬ。一方でスタグフレーションが進行し、デナリウス銀貨は質の悪いものになっていった。
ガリエヌス帝も、暗殺され、まさに下克上の時代。クラウデイウス・ゴテイックスがたち、ゴート族の侵入を防いだが、疫病で他界。そういった危機的状況が続く中、騎兵団長出身のアウレリアヌスが帝位につく。彼は、通貨の改革など内政改革を断行すると共に、安全保障面でも果断な指導力を発揮した。アウレリウス城壁を作ったが、これはもはや帝国が守りに入った証左でもあった。帝国はパルミアとガリアの独立で三分された形になっていたが、それを統一した。しかし些細なことから部下に謀殺されてしまった。
元老院は75歳のタキトウスを皇帝に押し立てたが、行軍中に自然死。実弟のフロリアヌスは軍の反対を受け、換わってシリア・エジプト軍団の推挙するプロブスが皇帝となった。しかし彼も皇帝になってもローマになかなか帰れぬ。戦闘中に謀殺され、後を受けたカルスはペルシアに連戦連勝し、首都クテシフォンを占領、メソポタミアを征服したが、不幸にも落雷でなくなった。次男のヌメリアヌス、カルスと並んでいたもう一人の皇帝カリヌスが次々と去り、帝国はデイオクレテイアヌスを皇帝に抱くことになる。帝国は再び混沌の中に沈んでゆく。
一方で後に帝国を侵食するキリスト教が、静かに勢力を伸ばしていた。キリスト教が台頭した要因にイギリス・ドッヅ教授は@キリスト教そのものが持つ絶対的排他性、Aそれでいて誰にもひらかれていたことB人々に希望を与えることに成功したことC帰依することが現実生活でも利益をもたらした、が原因とする。著者はローマ帝国内でユダヤ教が成功せず、キリスト教が台頭に成功した要因に、教会がローマ帝国に歩み寄ったことをあげる。@偶像崇拝を認めた。A割礼しなくてもよいとした。B帝国の公務と軍務Cグレイゾーン・・・・これらは、キリスト教会内部の争いでも穏健派が勝利したことも要因といえようか。
081013