ローマ人の物語Y「パクス・ロマーナ」     塩野 七生

新潮文庫

どうも5巻までにくらべて、あまり面白く感じなかった。この巻はアウグストウスの話である。この人物は巻頭に次のようにある。
「第三巻に登場した人物の中でもひときわ生彩を放っていたスッラのように痛快でもなく、第4巻・第五巻を通して圧倒的存在を示したカエサルのように愉快でもない。実戦の指揮をとればことごとく負けた事実は、第五巻の後半で紹介したとおりである。」
戦いはアグリッパ等にまかせ、ローマ帝国の基礎を作ったのである。著者は
「それでいて私は、彼の生涯と業績を追っていた間、一度として退屈したことはなかった。この男は、三十三歳で戦場に出る必要がなくなってから七十七歳で死を迎えるまでの長い歳月、別の意味の戦争を戦い抜いたのだと感じたからである。」

紀元前31年、「アクイェイウムの海戦」アントニウス・クレオパトラ連合軍を破ったオクタヴィアヌスは紀元前29年8月にローマで凱旋式を行った。34歳の若さであった。融和をはかるため、巨大なフォーラムを建て、費用削減の目的も秘めて、大幅に軍事力を削減し、国勢調査を行い、霊廟を建設し、元老院のリストラを行い、日報公開を通して情報公開を行った。紀元前27年に共和制復帰を宣言し、軍事、政治、外政の決定権をすべて元老院と市民の手に戻すと宣言した。しかしすぐに元老院に「アウグストウス」の尊称を与えさせるなどして、かれらの体面を保ちながら実質的な帝王になったのである。

ローマ帝国の全域を本国イタリア、元老院属州、皇帝属州、皇帝領エジプト、同盟国に再編成した。平和が訪れ、防衛線の確保が重要となったので、常設予備軍を設置した。ガリアなどで発生した税の徴収権等の問題を解決するため、国税庁に当たるものをもうけた。首都以外でも投票できるように選挙制度を改革した。街路敷設、食料、水などの諸問題も次々解決していった。そして最早、パクスローマが現実のものとなり、その力を背景にシーザー以来の懸案であったバルテイア問題を、紀元前21年外交的手段で解決した。こうして平和時の帝国の大枠を決めたのである。
しかし治世も中期に差し掛かると、少子化対策が問題になった。婚姻法を改正して独身者や子を持たぬ女性に比べ、この多い女性を優遇するようにした。ローマ帝国の移動は陸が主体であったから、アルプスを抜けるルートなど多くの道路が建設された。これらを支えたのは軍事面ではアグリッパ、法整備の面ではマエケナスであった。しかしアグリッパは夭折し、その後に妻リヴィアの子であるテイベリウス、ドウルース等を立てる。彼らによってエルベ・ドナウ防衛ラインが確立された。

晩年になると(紀元前5年―紀元後14年)継承者が気になりだした。一度は血縁者ルキウスあるいはガイウスを立てようとするがいづれも若死に、結局一度は引退していたテイベリウスを呼び戻し、二代皇帝とすることにした。問題のゲルマニアはパンノニアが降伏し、平和がなったかに見えたが、紀元後9年にヴァルスを将とする35000がアルミニウスの指揮するゲルマン軍に待ち伏せされ全滅してしまった。紀元後13年にいたって、防衛ラインをエルベ・ラインからドナウ・ラインに戻ってしくことになった。
アウグストウスは紀元13年にテイベリウスに「最高司令権」が与え、翌14年に77歳の生涯を閉じた。

041210