ローマ人の物語Z「悪名高き皇帝たち」   塩野 七生

新潮文庫


アウグストウスが基礎を築いたローマは、テイベリウス、カリグラ、クラウデイウス、ネロに引き継がれる。初代から5代、紀元68年までをカエサルの出身ユリウス家と名門クラウデイウス家が支配した時代で、ユリウス・クラウデイウス朝とも呼ぶ。

アウグストウスの妻の連れ子であるテイベリウスは、期待した息子二人(ガイウス、ルキウス)が死亡したため、55歳で皇帝となった。彼は紀元27年から死までの10年間、カプリ島からローマ帝国を統治し続けた。セイアヌスを信頼してすべてを任せながら、結局は殺してしまうなどで人間きらいにはなったが、人間を統治する義務は放棄しなかった。内政では引き締め政策を取った。新規建造物をほとんど作らず、ショウなどもしなかった。外政ではドウルース、ゲルマニクス等にゲルマニア問題ではしっかりと守らせ、パルテイアとの関係でも無難に処理させた。宗教には寛容であったが、騒乱の元になるような場合、たとえばドウルイデス教追放のように厳しかった。カエサル青写真を引き、アウグストウスが構築したローマ帝国は、このテイベリウスの統治を経て磐石になったといえる。ただ余りにも「公正」で、しかも第三者敵であったため人気はなかった。晩年「国家反逆罪法」で恐怖政治的になるなど問題も多かった。

テイベリウスの死と24歳のカリグラの登場をローマ帝国の住民たちは長く沈うつな冬の後の春の訪れのような喜びで迎えた。カリグラは市民の人気取りを兼ねてテイベリウスとは正反対の大盤振る舞い政治を行った。ローマは「パンとサーカス」とされて悪評をあびた。新たな水道を建設するなど公共事業にも熱心だった。そのため国家財政は苦しいものとなった。また自身が神になろうとして、ユダヤ人の反発を招いた。紀元41年カリグラは突然近衛師団長ケレアによって暗殺された。

叔父のクラウデイウスは、アウグストスと血縁関係があるゆえに、皇帝殺害直後、突如として呼び出され「皇帝!」の歓呼をうけることとなった。元老院も止むを得ず追認。しかし皇帝として実にまじめであった。始めて国勢調査を行い、郵便制度を確立し、クラウデイウス港を整備するなど大きな功績を残した。ただ歩くときに右足をひきづり、全体に弱弱しく、緊張が高まるとどもり、背もたかくなく服装にも関心がなかった。そんな風であったから女性に人気がなく、市民は必ずしも満足しなかった。その上、妻メッサリーナの不品行に手を焼いた。死後息子を皇帝にしたいアグリッピーナの攻勢に屈し結婚した。

ネロが皇帝に就任したとき、16歳10ヶ月でしかなかった。彼を皇帝にした母アグリッピーナは得意の絶頂であったろう。しかし母の呪縛を逃れたいネロと、嫁の問題などで、激しい対立を生み、やがて殺されてしまう。ネロを当代一流の知識人セネカや武人の誉れ高いブルスが守り立てた。しかしオリンピックを開き元老院議員が出場をぎむづける、自ら歌手デビューを試みるなど奇矯な行動が目に付いた。ローマの大火に際してはその責任をキリスト教徒に押し付けようとしたが裏目にでて自身への信頼を失わせる結果となった。ピソの陰謀が発覚するなど次第に民衆の不満がたかまった。それを認識せずまたギリシャに旅行したが、信頼していた武将たちに死なれ、足元をすくわれた。

次巻「危機と克服」の冒頭に、著者は統治する上での三つの条件を挙げている。正当性と権威と力量である。この時代、正当性は元老院と市民の承認であり、権威とはアウグストスの血をひくということであった。力量とは安全と食の保障を初めとする、帝国運営上の諸事を遂行してゆく能力を意味した。私にはその上に若さや性格も加わるように見える。それらをファクターとして大衆は右に左に大きく揺れる。皇帝それぞれの性格がいきいきと伝わり面白いが、現代の政治との比較の上でも考えさせる一冊でもあった。

最後にこの書は多くをタキトウスの「年代記」ヤスヴェトニウスの「皇帝列伝」によっているようだ。しかしこれらの著者はローマ皇帝たちをひどく悪く書いている。この辺の著者の考察が最後に掲載されていて興味をひく。

051013