つつじ

酒鬼薔薇事件について

小さな男の子が殺されて、その切断された首が、中学校の門の前に放置された事件は、それだけで世間が注目した。
ところが犯人を捕らえてみたら、わずか14歳の被害者の顔見知りの男の子であったというので、世間がまたびっくり。
その上、犯人は数ヶ月前に小さな女の子などを対象にした通り魔事件事件も「ぼくがやった。」と平然と自供。
もう恐ろしすぎて新聞の記事をまともに読む気にもならない。
確かに殺人は人間の隠された本能かもしれない。
戦争を考えればうなずけないこともない。
しかしそれを平時にやられては善良な市民はたまらない。
ところがこの事件に対して「教育が悪い。」だの「社会が悪い。」だの、概念的なむしろ犯人に同情していると見られかねない意見が多い。
その上人権屋さんが容疑者の男の子の写真をフォーカスが載せた、あるいはインターネットに載せたのは行き過ぎだなどと騒いで、掲載を止めさせてしまった。
しかし殺された子や親の身にもなって見ろ、といいたい。
殺された側の論理から言えばたとえば次のような思いだろう。
・殺しておいて、平然と「もう一度殺人をやりたい。」などという子を、少年法でわずか2年で世間に戻すなどと言うことが許されるのか。
・少年だからと言うのなら、親は責任をとってくれるのか。殺された子供の賠償金は払ってくれるのか。
・大体、誰に責任があるんだ。 子供に責任能力がなく、親にあるというのなら、親の写真を掲載しろ。 被害者の親はでるが加害者の親が世間に謝った形跡がないではないか。
いま、殺した子の人権より、殺された子の人権はどうしてくれる、悪いことをした人間はそれ相応の罰を受けるべきだ、というごく当たり前な考え方が忘れられている気がする。


1997/07/17