金谷治訳注 岩波文庫
二書は論語・孟子と並ぶ単行本ではなく。五経として伝わる「礼記」49編の中に編入されていた。論語・孟子とともに「四書」とされ、儒教の代表的な経典として読まれる様に成ったのは、宋の朱子のよって研究され、朱子学が確立されてからのことである。
大学は、朱子によれば周王朝末期になると聖人賢者は現れず、学校についての政務もおろそかになった。そこで孔子が古代の聖王の法則を取りあげて口頭で説明した。それを曾子学派の伝承だけが正統を得ていたが、孟子の死を最後に絶えた。しかし宋代になって河南程氏兄弟が現れて復活させ、私がそれをベースにさらに補った、とする。
「大学の道は明徳を明らかにするにあり」・・・つまり大学の学問の総仕上げとして学ぶことは、輝かしい徳を身につけてそれを世間にむけてさらに輝かせることである。古きよき時代に世界を平安にしようとしたものは、まず世界の本である国をよく治めた。国をよく治めたものは、まずその本である自身の家を和合させた。家をよくおさめたものはまず自分の心を正した。心を正そうとした人は自分の思いを誠実にし、そのために知能をおしきわめ、物事の善悪を確かめた。わが身を収めると言う根本ができないで国や天下がよく治まることはない。
自分の思いを誠実にする、ということは自分で自分をごまかさないことである。心を正すとは腹が立てていたり、恐れおののいていたり、楽しい好き心があったりすると出来ない。心が落ち着いていないと何を見ても、聞いても、食べてもよくわからない。家をととのえるとは親しんだり、いやしんだり、憎んだり哀れんだりする心があると出来ない。好きな相手でもその欠点をわきまえ、嫌いな相手でもその長所を知らなければならない。これがわが身を治めるという意味だ。
世界を平和にするには、まず国をよく治める必要があるが、君主が老人を大切にし、親なし子を哀れむと万民もそのように行動する。そのため君子には一定の基準で世界をおしはかる「けっくの道」が要求される。目上の人に嫌われること、目下の人に嫌われること、同僚に嫌われることをしてはならない。詩に「楽しき君主は、民の父」、そのようにならなければいけない。
楚書には「楚にはとくに財宝と言うものはない。唯善人こそが宝だ。」とある。それには「他人の善を受け入れられる」人のみを重用する必要がある。また財物を豊にするには物を作る事が能率的で、消費が緩慢であれば自然に達成される。仁徳を備えた君主は財物を利用することによってわが身を高めてゆくが、不仁な君主はわが身を犠牲にして財物を蓄えようとするのである。
大学に対し「中庸」は、孔子の孫の孔?、あざなは子思(前483?-前402?)の作だと伝えられている。「大学」と違って早くから広い読者を持っており、研究も行われてきた。朱子によれば尭、舜等古代の聖人が次々と伝承してきた道の正統である。
1章で「天の命ずるをこれ性という。性に従うをこれ道と言う。道をおさむるをこれ教えという。」として人間の天への帰属を明確にし、個人の道徳的本性の自覚をうながしている。さらに後段では「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という。発して皆な節にあたる、これを和という。中なる者は天下の大道なり、和なる者は天下の達道なり。中和を到して、天地位し、万物育す。」とする
さらに君子の中庸の実践は、人間世界の秩序を正すだけでなく、自然界のあり方運行を助けてその全体を順調に活動させることになる、人間の道徳的活動がやがて宇宙万物の生成活動に影響するとまいいきっている点がめだつ。
このような全体の総論をのべ、2章では仲尼曰くとして「君子は中庸し、小人は中庸に反す」と述べる。中庸を最高の得とした上で「忠恕」の思いやり、家の和合、「孝」の徳が強調される。それを起点に天使の孝、天下国家を治める九経、君臣・父子・夫婦等の五「達道」、それを実践するための基本となる和・仁・勇の三「達徳」が説かれる。そして後半では「誠なる者は天の道なり。これ誠にするものは天の道なり」として、人の守るべき道としての「誠」が説かれる。
ただ全体ややつながりが悪く、現在では「二分説」が唱えられている。最初に「仲尼いわくで始まる第二章以下が子思から伝承された形で書かれ、その後老荘流の自然思想の影響も受けて書き加えられ、秦・漢の時代にまとめられたのではないか、とされている。
080305