「裁判官が道徳を破壊する」

井上薫

「司法は腐り人権滅ぶ」の作者の最新作。
「破産免責による道徳の破壊」は破産免責制度の運用により「借りたものはかえさなければならない」という経済的道徳が、軽視されるようになった問題点を指摘する。
「親殺しの普通化」は尊属罰重罰規定を違憲と解釈することにより、「親に対する報恩、尊重」という経済的道徳が軽視されるようになってしまった問題点を指摘する。

しかし一番力を入れているのは第三章「国旗、国家には尻を向けよ」のようだ。
都教委教育長は、平成15年「入学式、卒業式に国旗に向って起立、国歌斉唱、これに際してはピアノ伴奏等を行うこと、校長の命令に従わない場合は、服務上の責任を問われることを通達した。これ対し東京都立学校の一部教職員が「このよう式典式場で国旗に向って起立、国歌斉唱する義務およびピアノ伴奏義務の三点の不存在確認、これに基づく処分の禁止、精神的損傷に対する賠償請求」を提訴した。
原告側の全面勝訴であったが、その判決の問題点を追っている。

この裁判の特色は、原告等が具体的な不利益をいまだ受けていないのに訴訟を起こしている点だ。これに「処分の後に処分の適否を争ったのでは回復しがたい重大な損失を被る恐れがある」として例外的な事前救済を行うとする。ここでいう損害を受ける権利とは精神的自由権の侵害である。しかしこれは事前救済を必要とする理由にはならない。
学習指導要領国旗国歌条項は、判決のとおり、教職員がその義務を負っているとまではいえない。通達も職務命令に従わない場合を述べているのみで、強制しているわけではない。原告等が義務を負う可能性があるのは、校長の職務命令である。
校長の命令に重大かつ明白な瑕疵がない限り、原告は本件義務を負うことになる。ところが判決では国旗掲揚と国歌斉唱の意義についてプラスの評価を与えている。その上で式典の進行や国歌の斉唱を妨害することはない、生徒らに国歌斉唱の拒否を煽るおそれがあるとまではいえない、国旗・国歌に対する正しい認識を持たせると言う教育目標を阻害する恐れがあるとまでは言いがたい、ピアノ伴奏以外の代替手段もある、などとして、結局原告等に本件義務を課すことは原告等の思想・良心の自由の侵害となり、憲法19条に違反する、と結論している。しかしいづれもこういった式の実態等を考えれば、式典の進行を妨げ、教育目標を阻害するなどは明らかである。

誤審の原因を考えてみよう。判決に言う「精神的自由」だが、無制限ではありえない。判決では「そもそも事後的救済には馴染みにくい権利」と不明快な言い方をしている。この乱暴な文章から見ると本件裁判所は、法令の条文も法理論も一切無関係に、とにかく彼らの言う事前救済を認めるのだ、と言う結論があって、その後でもっともらしい理屈を考えて理由欄に書き入れた、と解釈できる。論点を詳細に検討すると、国旗・国家法、学習指導要領、本件通達の三つについて、本件判決が必要のない論点に立ち入り詳しい判断をしている。これもまた最初に結論ありきの議論である。
さらに、本件判決は日の丸・君が代について第二次大戦終了まで皇国思想や軍国主義の精神的支柱となっていたことを上げ、今なお政治的に価値中立なものと認められていない、などと歴史的判断を述べている。しかし戦後60年、これらが国民主権原理と平和主義に基礎をおく日本国を象徴するものとして存在し続けたことなぜ言わないのか。

以上まとめてこの判決は、国旗・国家に対する道徳を破壊し、違法の塊であり、将来の社会運動の足場にもならないし、いかなる前例としても成らない、とする。
教訓として裁判官は独立して国家統治権の一部である司法権を行使しながら任命過程は非民主的、これを補うのが「法律に基づく裁判の原則」である。裁判をするにあたりこの民意を集約した法律に基づかねばならぬ、とする。
議論はいろいろあろうけれども私にはごく当然の訴えに見えた。理由欄に蛇足など述べず、職務に徹した書き方をするべきだ、と感ずる。

080305