岩波文庫
荘子は、全部で33巻あり、内篇7編および外篇15篇、雑篇11篇に分かれる。前漢末には52篇も会ったらしいが今日伝わっているものは、それがちじめられている。
33篇がそのまま荘子その人の作と言うわけではないが、それでも内篇7篇のまとまりは前漢末までさかのぼれるようで、中でも逍遥遊、斉物論2篇はその思想の真髄とみなすことは、多くの学者が一致している。
荘子の哲学は、因循主義で一貫している。因循とは因り従うということ。自分を捨てて絶対的なものに身を任せようとする立場である。この絶対的なものとは、人間を超越して存在するものであるが、むしろ万物の存在を貫く理法としての性格が強い。運命主義的であるが、それを我が物としうることによって死んで、生きる働きを遂げることであり、弱者がぎりぎりの底からたくましい強者へと転ずることであった。儒家や墨家の思想は現実にとらわれた悪あがきに過ぎないとする。これは老子の思想に近いが、彼が老子から学んだと言う根拠はなく、思想の相違点も際立つ。
荘子は、史記の伝記に従えば、世紀前4世紀後半ごろの戦国時代の人,宋国の蒙の生まれ、青年時代には故郷の漆園の役人となったこともあるが、その後は仕官の志をすてて自由な生涯を送り、思案と叙述で身を終えた。戦国時代末期にも入ろうとする孟子と同じ時代で、弱小国である宋は、強大な諸国の脅威にさらされていた。出身は没落貴族との可能性が高く、そうした時代の苦しみをとりわけ痛感した。苦難にあえぐ人々、それから抜け出そうと齷齪しながら、結局は苦難の泥沼のなかで絶望的な循環を繰り返している人々の魂の救済が、彼の思想の出発点であったろう。
冒頭、逍遥遊の「北の海にいる鯤という大魚はやがて鵬という大鳥になって南をめざす。大風をおこし、海は荒れる。そんなもの志を蜩や鳩があざ笑うが分かるわけがない。」はなかなか象徴的である。世間の些細なことにくよくよせずゆったりと生きよ、と説く。
斉物論には、因循主義を支える万物斉同の哲学がある。この現実世界の対立差別の姿を、全て虚妄として退ける立場である。人々はこの世に大小・長短・彼此・善悪・美醜・生死などさまざまな対立の姿を認め、それを真実の姿と信じている。しかしそれは人間の小ざかしい判断であって、客観的な判断ではない。彼と此れの違いは立場を変えればたちまち逆転して先の彼が今の此れになり、先の此れが今の彼になるのではないか。美人の美しさは、鳥や魚には通用しない。人間の我執が、現実界の差別を作っているだけの話で、いかに大きな違い、厳しい対立と見えても道は一つである。人間のこざかしい智慧・分別を捨てよ、偏見を去り執着を捨てよ、そうすれば最早生死の区別さえなくなるだろう。
一切が無差別・無対立だという事を悟って、そこに安住するものこそ「真人」「亥人」「聖人」などと呼ばれる。一般の人は齷齪働くが、聖人は仕事に励むことはせず、利益に走らず害を避けず、追求を好まず、きまった道に由らず、無言でいて何かを語り、ものを言いながら何事も語らず、このようにして俗塵の外で遊ぶ。こうした考えは、やがて孔子の言う仁・義・礼などを否定し、賢帝といわれた尭帝や舜帝のやり方さえも否定してしまう。何もしないでおくのが自然のままで最も良いのだと・・・・・。
こういった考えは現代には全くあわないように見える。「私にはかかわりのないこと」と引っ込まれてしまっては社会としては困る、大体どうやって食べて行くのだ、と言う話になる。ただ物事は全て相対的であると割り切ることによって強さが得られる、ことも事実であろう。知人のお父さんのエッセイに「退行を楽しむ」と言うタイトルのものがあったが、老いて死んでゆく自分自身をも楽しむ、と言うような意味であろうか。今思い出す。
080305