「キヨスミ・センゴク?発音しにくい名前だな」
「俺だけじゃなくて日本人の名前なんてみんなそうじゃないの…」
「あぁ、落ち込むなよ。悪かった!」
――イエロー・フラッグ
表にでていたこの店の看板は確かそんな風に書いてあったと思う。
あれから結局俺は解放されることなく、こうして(俺を誘拐した)連中に連れられてバーのカウンター席に座っている。
小さなウイスキーグラスを配られ、なみなみとそのままアーリータイムズ(ウイスキーの超一般的な銘柄)を注がれる。
グラスの中には氷一つ入ってない。
なまぬるくて、それでいて安物の味というか…ねっとりと喉にからみついてくる。
「別にいいけどさ」
俺の左にはユーシと呼ばれた男。
右隣にはキッペー、そして更にその隣にが座っている。
彼女はこの酒場について皆のグラスにアーリーを注いでからあとは一人でそのボトルを抱え込んで飲み続けている。
「……にしても」
俺の後ろからは
「ここの酒場、ひどくない?地の果てでしょ…」
パリンと窓ガラスだか酒の入ったグラスが割れる音。
ゴッと誰かが殴り殴られる音。
それを揶揄するヤローどもの騒音。
煙草の煙は勿論、酒の匂いも円満している。
「うまい喩えだな。ここはもともと南ベトナムの敗残兵が始めた店なんだが、逃亡兵なんかを匿ったりしているうち、気がつけば悪の吹き溜まりってとこだ」
さもおかしそうにキッペーが笑う。
「娼婦(
、ヤク中(
、傭兵(
、殺し屋(
。どうしようもない、無法者ばかりなのさ」
普通ならありえない音が店中に響き渡っている。
しかも途切れることなく。
東京アンダーグラウンド、相当やっかいな店でもここまでヒドイ店はないだろう。
「嫌いか、キヨ?」
「居酒屋が一番いいや。だいたい俺ってば昔と違って喧嘩とか争いごとからもうすっかり離れてるしさ」
「そうだな、お前はホワイトカラーにしか見えないな」
ぐいっとグラスを煽ったキッペーは空になったグラスとコトと音を立てて置くと、ゴトっと丸椅子を後ろにやり立ち上がる。
「ユーシ。ちょっと電話いれてくる」
まぁ、お前はゆっくり飲んでるといい。
そう言ってそのままスタスタと店のどこかへと向かうキッペーの背中に慌てて顔を向ける。
聞きたいことがあったんだ。
「ミスタキッペー!!さっき俺の事なんて呼んだ?」
「『キヨスミ』だからキヨ。これならまだ発音しやすい」
ヒラヒラと背中をこっちに向けたまま右手をふるキッペーに、俺はなにか懐かしいものを感じていた。
イングリッシュには日本人の『き』の発音がない。
削るような『き』に近い発音はあるが、口を横に思い切り開いて発音する『き』はない。
それに、キヨというあだ名は俺がまだバカやってた時の仲間うちのあだ名で。
まさか、こんな東南アジアの、しかもとんでもない場所でその名前を呼ばれるとは思っていなかったんだ。
「キヨねぇ……」
「深く考えんでええで、単なる呼称なんやから」
左隣からチビチビと先ほどまでグラスを傾けていたユーシの声が聞こえてくる。
「まぁ多少変わってるからな、あの男は。二年付き合ってわかったことは、タフで知的でちょっいとばかり変人だってことくらいやな。理解しようするほうが無駄なんやって」
そういって顔をこっちに向けたままスっと飲んでいたグラスを俺の方に差し出してくる。
同じようにアジア人のユーシは不精なのか違うのかわからないけれど、程よく伸びている髪を左手でぐいっと後ろにやっている。
差し出されたグラスに俺も自分のグラスをさしだし、カチンと音を立ててグラスをあわせる。
「どーも。あんただけなんか感じが違うね。前はどこに?」
奇天烈女に変人男。
そんな二人と二年も一緒にいるというこの男、うさんくさそうな髪をのければ充分表の人間だ。
「フロリダの大学にな。まぁちょっと遊びがすぎてマフィアとFBIを怒らせてもてね。それで……」
「トランクに詰められて重し代わりにされるところをあたしが助けたってわけよ」
チャキチャキと銃のホールドを外しているが横から口を出す。
いつのまにか彼女のグラスは勿論、アーリーのボトルのほうもすっからかんだ。
「クソ話さ、止(
しなよユーシ。昔話するほど歳は食ってねェ、そうだろ?」
ゴトとそのまま銃を肩のホルダーではなくカウンターの上に置くと、バーテンからどこか赤みがかった色のビンがすっと彼女の前に置かれる。
先ほどまで飲んでいたウイスキーのグラスにそのボトルの中身をドバドバとそそぐ彼女は、楽しそうに口を開く。
それはまるで歌のように、『貴男に一杯、私に一杯』とただそれだけを口ずさんでいる。
「せっかく飲(
りに来てるんだ、もうちょいクールな話をしような。なぁ、日本人?」
彼女がそういうと俺のグラスにチンッと音を立てて横から滑るようにして『やってきた』なにかのグラスが当たる。
飲め、っていうのとは違う。
そう、違う。
一つ席をあけたその隣では先ほど注いでいたグラスをまるで水のように飲み始める。
ダンっと音を立ててすぐにカラになったグラスをカウンターに置くと、彼女は俺の方に体ごとむけて笑った。
心底バカにした顔で。
「ビールなんざ小便(
と一緒さ、いくら飲っても酔えやしねえよ。男ならこいつ(
だろう?」
ふっと視線を先ほどが注いでいたボトルに向ける。
目に付くのは黒いラベルに赤い円形と蝙蝠のマーク。
アルコール度数40のバカルディ・ゴールドだ。
「まァ女の勝負も受けられねぇ玉なしってなら……無理に、とは言わないけど。ズボンやめてスカート履かなきゃね」
そう、これは
「リボンもつけてダンスパーティに行って―――」
俺の目の前に転がってるグラスをおもむろに右手で掴むと、同じようにごっごっごっと煽る。
飲むんじゃない、まさに煽るって表現だ。
空になったグラスをの目の前にダンッと思い切り叩きつけてやる。
いくらバカルディのゴールドがカクテルベースだといえども度数は40だ。
胸が、喉が、カッと一瞬にして熱くなったけどそんなこと構わない。
ザマーミロとばかりに笑ってやると、どうやらのほうもさっきの俺と同じようにカチンときたようだ。
隣から「争いごとからはすっかり離れてるんやなかったの?」なんていかにも冷静というか(こっちもバカにしてるんだろうけどさ)ユーシの声が聞こえてきたが。
「おい、バーテン」
目の前でグラスを拭いている髭面の男に向かい。
「「バカルディあるだけ持ってこい」」
俺との声が重なった――――
『騒がしいな、聞こえてるかキッペイ?オイ?』
「あぁ聞こえてる、続けてくれるか」
先ほどまで座っていたカウンターの方に目をむければ野次馬ヤローどもに囲まれているとあの日本人の姿。
揶揄ってる言葉からして(の悪い癖がでて)飲み比べにでもなったんだろうが。
ネクタイにワイシャツ、スーツをきちんとこなしたあのオレンジ頭のホワイトカラーにの相手ができるのか?
それでも、まぁいい、と思うのはコレがいつものこと(
で、それから。
『受け渡しをバラワンに変更してほしい』
「なんだと?」
電話越しのケイゴの言葉に耳を傾けなくてはならなくなったからだ。