が連れて行かれた
一人で帰ってきた跡部は事務所の所長室の中で竜崎を目の前にしてそう零した。
事務所に帰ってきたときから、そして今も跡部は頭をあげていない。
目を覆うようにして垂れる前髪に跡部の表情を窺うことは誰にもできなかったし、しようとするものもいなかった。
忍足と芥川がの携帯に繋いだ一本の電話。
全てはそこから始まって、そしてまだ続いている。
芥川が電話口に代わってからの様子がおかしくなったというのは忍足や芥川にも十分伝わった。
そしてその直後、遠くで芥川と同じ声が忌々しい言葉を吐き。
なにやら衝撃音のような音が受話器の向こうから聞こえ、同時に跡部がの名前を叫ぶようにして呼んだのも聞こえてきた。
なにかあったのだ。
その場にいなくても忍足にも芥川にもわかることだった。
まして、その電話を繋げていたのは執務室のなかである、聞いていたのは彼ら二人だけではなかったのだ。
一瞬にして静まり返る執務室の中に響き渡るツーツーツーという機械音。
それが、ますます所員達の不安を煽った。
所員達の中でもトップクラスの、いや実際トップクラスの力を持つ跡部景吾と。
安心して仕事を任せられる二人だったのに。
電話の向こうで何があったのか、跡部のあの必死な声は一体なんなのか。
ただ不安と恐怖の種だけを残して、所員達は跡部たちの帰りを待った。
あの跡部となのだ、二人していつものように貶しあったりどつきあったりしながら帰ってくる。
みんながみんな、そう願って。
けれど、帰ってきたのは跡部一人。
バンと音を立てて執務室の扉を開けズカズカとただ一点所長室に向かって足を進める跡部に誰も何も言えなかったし聞けなかった。
はどこだ?
あの電話は一体なんだったんだ?
帰ってきたとき同様に所長室の扉を慌ただしくまるで殴るようにして開ける跡部の後姿に、ただ執務室にいた所員たちは見えない壁のようなものを感じてしょうがなかった。
こんな跡部は見たことがない、とんでもない性格の持ち主ではあるが人付き合いはいいのだ。
それがいまやまるで他の人間を拒絶するかのような壁が張り巡らされている。
そして扉を閉めることなく跡部はデスクに座る竜崎の目の前で冒頭の言葉を零したのだ。
開け放たれたままの扉の周りには執務室にいた所員達が全員集まっていて、中に入ろうとするふてぶてしい者はいなかったが外からドアを囲むようにして中を覗きこんでいる。
跡部のその一言に所員達は衝撃を隠せず、誰もが驚いたような顔、信じられないという顔になる。
どれだけ普段をからかったり馬鹿にしたりしても、仕事の面ではみな信頼をおいているのだ。
「が?」
「オセです、連れて行ったのは。他にも協力者はいるようなことを会話から感じ取れました」
「―――オセ…」
顔の前で組まれる竜崎の両手に力がはいる。
地獄の大総裁オセ。
その性格は冷酷残虐非道で有名である。
オセという名前に太一の口からヒッという音が漏れ、手に震えが走る。
抑えようと両手をまるで祈るように組むものの震えてうまく組めない。
オセというモノがなにかわからない所員達も太一のその様子を見て、とんでもないバケモノが現れたのだということを理解した。
それと同時に太一に名前だけでここまで震え上がらせるそのオセという知りもしないヤツに恐怖を感じる。
太一に名前だけで震え上がらせるもの。
跡部に手も足も出させないもの。
そして、
を連れ去って行ったもの。
恐怖と怒り、やるせなさをまるで同時に感じてしまうようなそんな話だ。
「他にも協力者が…」
「同胞という言葉を。恐らくオセレベルの魔族が絡んでると」
跡部があいも変わらず頭をあげることなく、覇気のない声で竜崎に喋っている途中で執務室の入り口でガターンという大きな音が響き渡る。
その大きな音に全員が全員ビクっと身体を強張らせ、音のした方へと首を向ける。
所長室の扉近辺に群がる所員達が一斉に視線を向けたその先には、ハァハァと荒い息をつく事務所一のサボリ魔の姿。
執務室の扉は異様な形で下の方がへこんでいて恐らく千石が蹴り上げたのだろう。
誰かが彼に連絡をいれたのか、どこでさぼっていたのかはわからないがそこから事務所まで走ってきたのだろうか。
額からは汗が頬を伝ってポタポタと白い制服の襟もとに落ちている。
千石の姿に南が声をかけようとするも。
跡部同様どこか様子のおかしい千石に南は声をかけることができなくて。
所員達が凝視する中千石は跡部と同じようにズカズカと所長室へ向かって足を進めていく。
肩で息をきる千石は頭を少し下げた状態のまま目だけただ一点を見つめて動かさず、ひたすら足だけ動かして執務室を突っ切っていく。
その目は、まるで。
まるで、視線だけで人を殺せるようなそんな冷たさと鋭利さを放っていて。
所長室入り口に群がっていた所員達はまるで千石を恐れるかのようにザッと後ろへ皆が皆下がり所長室への道が出来上がる。
その中を千石は相変わらず視線の先にあるものを睨み付けたまま前へと進み。
所長室の敷居を潜った途端。
ガツッ!!!!
ガシャーーーーーーーーーン!!!!
「跡部っ!?」
「あ、跡部!?」
「千石!何やってる!?」
大きく振りかざした右拳を竜崎のデスクの前で立ちすさんでいる跡部の顔に向かって振り落とした。
鈍い音とともに跡部の身体がその衝撃で後ろへ少し吹っ飛び本棚にぶつかる。
ぶつかった本棚から置物がぶつかった時の衝撃で床へと落ち、所長室の中に陶磁が派手に壊れ砕け散る音が響き渡る。
背中からぶつかった跡部はというと「ぐっ!」と声が殴られた時に漏れただけで、そのまま本棚を背にずるずると床に座り込んでいく。
千石が跡部を殴るというその出来事に皆が皆呆然としてしまい、一瞬何が起こったのか理解するのに時間が必要かと思われたが南と乾が飛び出して座り込んだ跡部の方へ向かおうとする千石を二人がかりで羽交い絞めにする。
その間に宍戸が急いで床に座り込む跡部のもとへ駆けていく。
乾と南、二人はともに千石よりも断然ガタイがいい。
それなのに、今千石は二人を振りちぎってでも跡部のもとへ向かっていきそうなそんな力で暴れている。
フーフーとまるで怒り狂う猫のように音が千石の口から漏れている。
乾と南に放せとばかりに二人の間で暴れる千石は人を殺せるとまで皆に思わしめたその鋭い視線を跡部に向けたまま声を張り上げる。
「なんで!オマエがいながらが連れて行かれるんだよっ!!!」
「千石っ!ヤメロっ!!」
「忍足!お前もちょっと手伝え!!」
二人の間で暴れ狂う千石に乾は入り口のところでハラハラと中を見ていた忍足に乾は慌てて声をかける。
忍足は慌てて千石の背中から腕を回し暴れる千石を南と乾とともにとめようとする。
「あの時!俺達はみんなで決めたはずだ!」
「千石っ!!」
「みんなで、誓っただろ!?お前だって誓ったはずだ!!なのに、なんでっ!?」
項垂れたまま本棚を背に座り込んだままの跡部に三人の男に体を阻まれようと顔だけでも乗り出して叫ぶ千石に、跡部は何も答えない。
宍戸が跡部の隣に膝をついて座り恐らく強打したと思われる背中に右手をあてている。
「なんでがいないんだよっ!!!!!!!!!!!」
千石の叫び声が静かな事務所の中に響き渡っていく。
千石の荒い息、三人が千石の体を押しとどめようとして動く音。
千石の叫びは所員達みなの叫びでもあった。
千石が言っていた約束や誓いがなんなのかはわからない、わからないががここにいないのは何故というのを疑問に思うのは誰しもが一緒である。
「………かった」
「俺は!俺は!!なんでいつも肝心な時にの傍にいないんだよっ!!クソーーーーーーッ!!!!」
千石の悲痛なその叫びは、みなの胸のうちを抉るようにして射抜いていく。
途端力がまるで抜けるかのように暴れなくなった千石は自分の体を抑える三人の中で跡部と同じようにズルスルっと床にへたり込む。
こんな千石は知らない。
「守れなかった…俺は、また、守れなかった………ワリィ……ワリィ」
そして、こんな力ない跡部も知らない。