勝ってうれしい はないちもんめ
負けてくやしい はないちもんめ
隣のおばさんちょっと来ておくれ
鬼が怖くて行かれません
お釜をかぶってちょっと来ておくれ
お釜がないので行かれません
お布団かぶってちょっと来ておくれ
お布団破れて行かれません
あの子がほしい あの子じゃわからん
相談しましょ そうしましょ
山崎満〈やまさきみつる〉の新しい赴任先は青森の寂れた街にある高校だった。
今の時勢コネもなく教職に就くことは非常に難しく、彼もまたこの高校に赴任するまでは臨時講師を繰り返しなんとか食い扶持を繋げてきた。
この話が出た時教師として働けるのならと、どんなに田舎であるのかも調べもせずに一つ返事で頷いた。
その後その高校のある町について調べて少々愕然とはしたが、それでも念願の臨時ではない教師になれるのだと嬉しさが勝っていた。
けれど、いざこの町へやってきた時はさすがにまずっただろうかと少し後悔もした。
ひと学年にクラスは一つか二つ、大体そのクラスも20名ほどである。
山崎がクラスを受け持つ事はなかったが、生徒の数も大変少なく、二週間もしないうちにほとんどの生徒の名前を覚えてしまった。
生徒にしても今まで学校内にいた先生は年寄りばかりだった中に新しく若い先生が入ってきて、それはそれは楽しそうでもあったのだ。
勿論山崎自身も最初は戸惑いばかりだった教師生活だったがすぐに生徒やこの町に馴染み、毎日を楽しく過ごしていたのだった。
鷹村綾子(たかむらあやこ)は山崎が赴任してきた高校の二年生であった。
長めの黒髪はストレートで艶もあり、本人もたいそう美しい女の子であった。
綾子と綾子の両親は元々東京の方で生活を営んでいたのだが、5年前交通事故であっけなく両親だけが他界し綾子一人が残されてしまった。
両親の残してくれた貯金とそれなりにある生活力で一人暮らしをするつもりだったのだが、親戚一同が外聞が悪いといい母親の兄の元に引き取られる事になったのだ。
その兄が今綾子とともに暮らしている藤堂一家の主である。
この藤堂一族は青森では非常に古い家柄で、この町一番の権力者でもあった。
生活していく環境もお金も全て与えられてきた、与えられなかったものは愛情だけだった。
叔父たちは綾子になんでも勉強するようにといい、ひたすらに理由もわからず知恵だけをつけてきた。
それでも知恵をつけることだけで苦労することなく生活できる今の環境に文句を言うでもなく、綾子は両親がいなくなってからの5年間を同じように過ごしてきたのだった。
その山崎と綾子の出会いはなんてことはない、お互いの一目ぼれだった。
誰に言うでもなく始まった二人の関係は至極プラトニックに近いものだった。
息子にはもうけられていない門限というものが綾子には課せられており、それでなくても小さな町、噂というものは非常に恐ろしい。
放課後のちょっとした時間、それだけが二人だけの時間だった。
ゆっくりとゆっくりと、静かに育まれていた二人の時間がまるで崖から突き落とされたかのように一気に崩れ去ったのは、綾子が高校三年生にあがって二月目のことだった。
その日綾子は幸せの絶頂に立っているかのような気分で家路を急いでいた。
山崎と出会ってもうすぐ一年、その日、綾子ははじめて彼とキスをした。
はじめてだったのに、その甘さと幸せに酔いしれ夢中になって彼と口付けを交わした。
「ただいまかえりました」
この家の息子(綾子の従兄弟)はこの春から大学生として上京しており、また叔母も友達と旅行に行くと言って一昨日から家をあけていた。
返事のかえってこない広々とした家の廊下を自分の部屋に向かって歩いていると、どこからかボソボソとくもぐった声が聞こえてくる。
叔父が家にいるのだろうかと不思議に思った綾子はほんのりと明かりがともっている書斎へと静かに足を進めたが、少し開いた扉から聞こえてきた言葉に今まで感じていた幸せがガラガラと音をたてて崩れていく恐怖にかられた。
『えぇ、来年にはお届けにあげられるかと』
『わかっております。最高の品物に仕上げましたよ、きっとお気に召すはずです』
『美貌、知力、旦那様のご希望通りです。えぇ、たいそう美しい娘ですよ』
『あぁ、品物の名前は綾子といいます。えぇ、どうぞ可愛がってやってくださいよ』
綾子というのは誰だったか。
ぐらぐらする頭の中でそんな馬鹿なことを考え、あぁ自分の名前だったわと一人で納得した途端、なぜか笑いがこみ上げてきそうになった。
だめだ、叔父に見つかってはいけない、笑いたくて仕方ないのに頭の中はひどく冷静だった。
音を立てないように書斎から離れすぐさまそのまま家を飛び出した綾子が次に気付いた時は山崎の部屋の中であった。
はじめてきた愛する人の家だというのに、家をとび出るまで感じていたあの幸せを感じることができない。
叔父が電話越しに話していた電話の内容を震える声でなんとか話し終わった綾子に、山崎はひどく頭を殴られたような感覚に陥った。
一体どういうことなのだろうか、品物の名前が綾子だの届けるだの、まるでそれじゃあ自分の愛しい人が売られていくようではないか。
ひどくおびえる綾子の体を抱きしめて大丈夫だ大丈夫だとゆっくりと背中を撫でていると、ピンポーンと家の中に来客を告げるチャイムが鳴り響いた。
ビクっと震え上がった綾子に何度言ったかわからない大丈夫だを再び告げ、山崎はゆっくりとした歩みで玄関へと向かった。
小さなアパートのここにはインターフォンはあっても取り上げる受話器はない、玄関で直接出迎えるしかない。
「どなたです?」
少しだけ扉を開けると突然外から腕ががっと出てきて玄関の扉を掴んだ。
一瞬の事に抵抗するのが遅れ気付けば玄関の扉は力任せに開けられ、一人の男がものすごい形相をして立っていた。
「なんですか、あなたは!」
「私の姪を返していただこうか?」
「姪だと?」
「そうだ。さぁ、綾子。帰るぞ!門限はとっくに過ぎているだろう!!」
玄関から小さな廊下ごしに見えるリビングでは綾子が恐怖でひきつった顔を玄関に、いや、突然この家を訪れた男に向けていた。
男が一歩踏み出せば綾子も震える体を引きずるようにして後ろへ下がるが、ドンと音を立ててすぐに窓ガラスにぶち当たってしまう。
慌てて山崎が綾子を庇うようにして男の前に立ちはだかったが、男はまるでお前に用はないとばかりにドンと横へ突き倒し綾子の腕を取り立ち上がらせた。
「門限を守れないとは。お前は私たちに育てられた事に恩を感じていないのかね?しかも学校の教師の家にあがりこんでいるとは」
「ひっ…お、おじさま…」
「この恥知らずめ!帰るぞ、さっさと足を動かせ」
しっかりと立ち上がっていない綾子の腕を取り力任せに引きずるかのごとく玄関へと向かう男。
涙でぐちゃぐちゃになった顔は血の気も通っていないのかと思えるほど真っ青で、叫び声をあげることなく引きずられていく綾子。
キッチンのシンクに思い切りぶつけたらしい頭の痛みにこらえながら目の前をよぎっていく二人を見ていて。
――――頭の中が真っ白になった
そして気付けば、山崎の手は真っ赤に染まった元は真っ白なはずだった犬の像をしっかりと握っていて。
床には赤い赤い海が広がっていたのだ。