越前さんの話が終わるとスミレちゃんは「どうせ今日はもう学校も早退してしまっているんだからこのまま全員軽い仕事をこなしてから帰りな」といって一人一人に確かに軽い仕事の詳細がのったプリントを渡していった。
いくら平日といえどまだ昼過ぎで時間はたっぷりあるのに軽い仕事だけということは先ほどの話にあったことも関係しているのかなと思いもしたものの、たいして詰まってもない私の頭じゃ理解できないでしょと勝手に自己完結してしまう。
勿論満身創痍もいいところの赤澤は軽い仕事も免除されていたけれど、幸村によって本人満足のどこか間違った満身創痍な真田はしっかりと仕事を言いつけられている。
それぞれ渡された仕事は一人でできるもので渡された仕事さえ終えてしまえば今日のお仕事は終了ということになるらしい。
キヨちゃんなんかはプリントを受け取ったその瞬間ものすごい嫌そうに顔をしかめていたけれど、早く終わらせればそのぶん早くフリーな時間が増えるとわかった途端事務所を飛び出していった。
それを見て橘さんが苦笑しながら「本当にあいつは現金な奴だな」とこぼし、手塚パパも同じように頷くと二人一緒に事務所を出て行く。
毎日がみっちりきっちり働きづめというわけではない、けれど土日は基本的にほとんど丸一日仕事でつぶれることが多くてやっぱりみんな少しでも多く自由な時間がほしいんだなァと順々にでていく扉を見つめながら私は自分の右手に掴んだままのプリントに力をこめた。
くしゃと紙に皺が寄る音が聞こえたが内容さえ読めればどうだっていいことだ。
それよりも不二に声をかけることのほうが今私に必要な事だった。
宍戸となにか話しながら今まさに扉をくぐって出ていかんとする不二とどうしても話をしなくちゃと足を踏み出して大きく不二、と声をかける。
呼ばれた名前に不二がなに?とばかりに足をとめたものの顔だけこちらにむけてくる。
「仕事に行く前に話があるんだけどいい?」
「話?」
いぶかしげに眉をひそめた不二はこれみよがしに一つため息を零すと、何?と先を促してくる。
宍戸が微妙に階段を降りかけた格好のまま見上げるようにして私と不二のほうに顔をむけている。
「さっきの越前さんの話と、山崎さんの話のこと」
「・・・・何を話せばいいの?」
「越前さんたちに一昨日の事、ちゃんと報告してくれた?」
「したよ、いつも通りに。なに、今まで自分から報告したこともなければ気にしたこともなかったじゃない?」
小さく笑われる。
おかしそうに、とかじゃない。なんだか少し馬鹿にされたように。
実際今まで不二と組んできて私が仕事の報告をすることはなかった、不二が私よりも先に済ませてしまうということもあるし私が遅いというのもある。
稀に私が報告書を提出すればスミレちゃんから字が違うだのもっとしっかりまとめなさいだのお説教をいただいてしまうこともあって、なんとなはなしに自然と不二が報告書提出係りみたいな感じになっていたのだ。
「違う、そうじゃなくてちゃんと最初から報告してくれた?」
「したよ、勿論。じゃあるまいし僕はダメだしなんてもらわないしね」
「違うってば!ちゃんと、そのまま先生たちに報告したかどうかを聞きたいの!!」
声が大きくなる。
宍戸が驚いたように、それでいて困ったように私たちを見ているのに気付いてはいたけれど本人も口を出しにくそうに見ているだけだったので放っておく。
私自身も今宍戸にまで口を開いて頭を動かす余裕がないんだから。
「・・・・聞いてどうするの?」
「なにそれ、本気で言ってんの!?つまりなに、先生達に言ってないわけ!?」
「そんなこと、一言も言ってないでしょ」
「ごまかさないでよ不二!ねぇどっち!?ちゃんと説明したの!?あのことも、不二のことも、ちゃんと全部はな」
「」
自分の名前を呼ばれて話を無理矢理途切れさせられる。
目の前にいる不二と視線がかち合う、いつもと同じといえば同じなのかもしれないどこか冷めた視線。
普段の私なら気にならないといえば気にならなかった、気にしないようにと考えてもいた。
だからこそ今まで不二がどんなに冷めていても、私が透明人間でも、不二の相方としてやってこれたのに。
何故か今日はその視線に涙腺が耐えられそうになかった。
どことなくおかしい私の様子に気付いたのか宍戸が口を開こうと微妙な体勢から体をもちあげたそのとき
「一昨日の事と赤澤達の一件は関係ない。ハボリムのことなら放っておけばいい」
「なんでッ・・・」
「なんでそういうこと言うのかって?、君には関係ないよ」
何か言いたげな宍戸に行くよと一言言うと不二はそのまま振り返ることなく階段を降りていく。
関係ないよと言われて私はただドアのところに突っ立ってることしかできなかった。
階段を降りていく不二の姿を見ることも、追いかけることも、心配そうな宍戸の姿を視界にいれることもできない。
いつもと同じなのに、いつもと同じ言葉なのに、まるで鈍器で思い切り頭を殴られたようなショックを受けていた。
多分それは、関係ないと言った時の不二の目つきが違うかったからなんだと思う。
不二が冷めた人間で、私に冷たい態度をとっているのは事務所にはいったときからだった。
なにが原因でなんて知らない、最初からだった。
だけどそれでも、最近の不二は優しかった。
冷たい言葉を吐いてどんなに私を罵って馬鹿にしても、うっすらと笑っていて最初に不二を見たときのような殺伐とした雰囲気はみかけられなくなっていたのに。
さっきのは違う、と叫びたかった。
「っち?」
小さな声が後ろから遠慮がちにかけられる。
おかしい、いつものジロちゃんなら遠慮なんて言葉知らないの?と聞きたいくらい直球で私にぶつかってくるのに。
「っち?」
「聞こえてるよ、ジロちゃん。どうしたの?」
「どうもこうもしないよ、大丈夫?」
「大丈夫に決まってるジャン、私を一体誰だと思ってるの?ちゃんですよー」
扉のところから動かなかった私の右手にそっとあたたかいものが触れてきて、それがぎゅっと指先を握り締めてきた時になんとなくジロちゃんの手なんだろうなぁと漠然と思った。
思っただけで確認しようとは思わず私は相変わらずなにもない外へと繋がる踊り場の壁を見つめているまま。
「じゃあこっち向いてよ、ちゃんと俺の顔見て『大丈夫』って言ってよ」
「ねぇジロちゃん。私ね、事務所にはいって半年たつけど多分一番不二の近くにいたんだよ」
「うん」
「一番近くにいて、一番一緒にいて。そりゃ確かに会った時なんかはギスギスしてて、まぁでもそれはみんなそうだったけど。でも最近はやわらかくなったと思ってた」
「うん」
「どんなに憎たらしいこと言われてもまだ笑ってくれてたから私も笑えてたし我慢できた。不二だっていつも私をからかってるだけなんだと思ってた」
「うん」
「でも、さっきのは違う。全然違う、私、わからない。なんで、な、んでっ・・・・!!」
憎しみなんて向けられたのは
はじめてだった