6月4日 水曜日 午前11時










パチンと音を立てて携帯が折りたたまれ、それを無造作にジーンズのポケットにつっこむ。
重いものがキライな私の唯一のストラップである小さな猫の人形がダランとポケットに入りきらずプラプラと外で揺れている。
股穿きのジーンズだから恐らく激しい動きをすればポロリと携帯は落ちてしまうのだろうけれど、とりあえず今はそんなことはどうでも良かった。



―――手塚が先程襲われた



越前さんから昨日の晩届いたメールはかれこれ何回見ただろうか。
どれだけ見たって事態は何も変わりやしないのにそのメールが自分の携帯に届いてからずっと携帯を離せずにいる。
気がつけば受信ボックスをひらいてそのメールを見ているのだ。
何度読んでも同じ文書、変わらない内容、でも何度でも読んでしまう。

(ダメだダメだ、ほとんど寝てないのにこれ以上変な顔はしてらんない)

寝ようとすればすぐに携帯に手が伸びた、おかげで昨晩はほとんど眠っていない。
気付けば朝だった感がある。

平日のこの時間帯、普段なら学校もあって今頃クラスメートたちと一緒に授業を受けている最中なのだろうけれど今日は違う。
自分の住んでいるマンションのエントランス前で迎えの車がやってくるのを待っている。
約束の時間は11時、先にジローのところに行くと言っていたのでピッタリにはこないだろうとふんでいたが実際ぴったりにはこないようだった。
別にいいけどね、と口を尖らせてマンションの入り口に目を向ける。
ぼーっとしながら見つめる先には何もない、早く来い来い来いと心の中で何回か言ったところで見覚えのある車がはいってくるのが視界に入る。
やっと来た、ともたれ掛かっていた壁から体を離し車に向かっていく私の手には先程つっこんだ筈の携帯が再び握りこまれていて、またパチンと音を立てて折りたたまれた。












6月4日 水曜日 午前11時15分












「おーいジロちゃーん、起きろー。起きろや起きろー」
「なんだ、その脱力系の起こし方は」

だだっ広いリムジンの後部座席の一部を体を思い切り横にして寝ているジロちゃんをつつけどつつけど起きる気配はない。
まぁ何時もどおりといえばいつもどおりなので気にもしていないし、恐らく跡部も苦労しながら寝ているジロちゃんを頑張って車の中にまで運んだんだと予想はつけている。
まぁ聞けばふいっと顔をそらしたのでビンゴってとこなんだろう。

「にしても、昨日のメール見たか?」
「見た。最悪だ」

ジロちゃんの体が横たわっている座席に靴をぬいだ足をボンと乗っけてため息を零す。
自分の右手には携帯電話、離す事ができない。

「手塚の言ってる事が本当でメールの内容がまじだとすると、相手側の魔族の名前はリのつくやつになるんだろうが。はっきり言えばリのつく魔族なんてゴロゴロ転がってるぞ」
「うん、まぁそうだね。手塚を襲ったのが下級魔族だってことから考えても、その上にいるのはそれ以上になるからある程度の力を持ってるんだろうけど。それでも絞り込めるほど数が少ないわけじゃないんだよね」
「の割にはうかない顔だな。というより、お前ほとんど寝てねぇな?」

うつむいている私の前髪を乱暴な手つきで跡部がかきあげる。
ちゃんと出かける前に鏡で確認したから目も充血していないはずだし隈もできにくい体質だから目立つほどではないはずだ。
なんで、とばかりに顔を横にずらしたがすぐに元に戻す。
どうせ馬鹿にするなとか返ってくるのがオチだ。
それに、なんとなくそのことには触れられたくなかった。

「今更なんだけどさー、なんで跡部って私のこと構ってくれるの?事務所に入る前から不思議に思ってたんだよね、学校も全然違うしさー」

いまだに私の前髪は跡部の綺麗な手にかきあげられたままだ。
足元ではジロちゃんがグーグーと小さい鼾をかきながらぐっすりと眠っている。
自分のこの言葉でうまく話がそれてくれればいいのに、と右手にある携帯を強く握り締めた。

「別に構ってるつもりはねぇ」

跡部の綺麗な目がすっと細められる、ガラス細工のような綺麗な目が細められるとまるでクリスタルの猫のようだ。

「俺はお前を構ってるつもりはないし、お前も知ってると思うが榊先生に頼まれたから一緒にいるってなわけでもない」
「あー、やっぱりパパ先生に頼まれてたの。うーん、そこまで過保護にされるほど弱いつもりはないんだけど」
「なんだ、榊先生から聞いてなかったのか。まぁ父親なんていうのは娘にたいしてそんなもんなんじゃないか、別にいいじゃねぇか。愛されてる証拠だろうがよ」
「いやうん、まぁそうなんだけど。そうなのかなぁ?」
「なにグダグダ言ってんだ、気になるなら帰ってから直接聞けばいいだろ。俺は榊先生に理由まで聞かされてねぇからな」

バサっと手が私の額から離れていく。
すっと消えていく跡部の体温に少しだけ、ほんの少しだけ寂しいと思ってしまうのは跡部の体温が近くにあることが当たり前だと思っているからなのだろうか。
我ながら跡部の色々に毒されてるなァと思いはする。
思いはするけれど




「組み込まれた歯車か、はたまた星なのか」




離れてほしくないとなにかが音をたてている。
跡部の呟きは耳にはいってきたけれど、一体なんのことかわからなくて、それが私の質問に対する答えなのか、それともただ単なる独り言なのか判断できなくて。

ずるりと腰をずらせば自分の胸元でパパ先生に貰ったリングとチェーンがチャリと小さな音をたてた。




「俺にもわからねぇな」