(まるでここだけ別世界みたいじゃないの)
伊藤さんの民宿のある町に向かえば向かうほど、空はどんよりと曇っていく。
そのうち雨が降りそうだと車の中でぼんやり肘をついて眺めていたら、本当に民宿に到着したと同時に雨が降り出した。
綾子さんと山崎さんが伊藤さんに借りていたという民宿の離れは大きな生垣に囲まれていて私の身長じゃ見えない。
ジロちゃんと一緒の傘に入りながら跡部に離れが見えるかと尋ねると、綺麗に焼けちまってるみたいだけどなと小さく声が返ってきた。
そう、と跡部がむいている方に見えやしないのに顔を向けてみる。
「っち、そろそろ行こうよ。イトーさんって人にお話、聞くんでしょ?」
「そうだね、伊藤さんに会って話聞かなきゃ」
ぐいぐいと服をひっぱられジロちゃんに民宿の玄関を指差される。
跡部が先に進みだして私とジロちゃんも二人して小さい傘の中で肩をゴチゴチ合わせながら足を向ける。
「すみません!」
「はいはい、どなたでしょう?・・・っ、さん!?」
「あの、こんにちは、伊藤さん。今日はお話を窺いたくて電話もいれずにお邪魔させていただきました」
「・・・・そう、ですか」
「お時間、少しだけよろしいですか?」
「ああ、はい。どうぞ、玄関ではなんですからあがってください。そちらのお連れ様たちも」
すっと来客用のスリッパが人数分差し出され居間の様な場所に案内される。
少しだけ待っててくださいと言うと伊藤さんは奥ののれんをくぐってスタッフルームらしき方へ行ってしまう。
「あの人が伊藤さん。もともと事務所に依頼してきた人で、亡くなった山崎さんの知り合い。あの時は山崎さん、とにかく逃げる事に必死で私達が伊藤さんに連れられて山崎さんが隠れてるっていう山小屋に向かった時も既に逃げていなくなってた。そんな山崎さんに代わって伊藤さんが依頼してきたのよ」
「もう一人いたんだよな?」
「綾子さんっていって山崎さんの恋人がね。綾子さんはあの時既に体力の限界にあって見つけたときもぐったりしてた。多分、今回の事件の発端の人間といえばそうなのかもしれない」
「その綾子さんって人が悪魔に売られそうになってたんだっけ?」
「恐らく。今となってはなにもわからないからはっきりとは答えられないけれど、不二も私もそうだと睨んでる。綾子さんのおじさんがどうやらその悪魔となにかしらの契約を結んでいた事は本人の死の間際の言葉で確実だとは思うけど」
ふぅとため息をついたところで伊藤さんがバタバタと足音をたてて戻ってきた。
お待たせしてすみません、と言いながらのれんをくぐる伊藤さんに跡部がこちらこそご迷惑おかけしますと軽く頭をさげる。
「山崎たちの話、聞かれてここまでやって来られたんですか?」
「はい、お二人が亡くなったと聞いて。ただ正直なところ、私はまだ頭の方が整理できていないというか」
「僕もですよ。あの時、さんと不二くんを駅で見送った時、隣で憑き物がおちたかのように笑ってた山崎と綾子さんがと思うととてもまだ信じられませんよ」
「ごめんなさい・・・」
何を言えばいいのかわからなくなって謝ると、どうして謝るんですかと伊藤さんの声が上から降ってくる。
「あなたが謝るようなことがあるのですか?それともあなた達が原因だとでもいうのですか?」
「ちがっ、違います!不二のやり方は正直なところ、私今でも納得していません。それははっきりといえます。でも、だからといって私にじゃあ他のやり方はあったのかと聞かれたらノーとしか答えようがなくて。だから、あの方法以外なかったといえばなかったんです、あれしかダメだったんだと、思ってます」
「でも、結局山崎と綾子さんは死んでしまった」
伊藤さんのくぐもった声が聞こえてくる。
そんなのわかってる、あの時本当に他に方法があったのってあれからずっと考えた、今でも考えてる。
でも、あんなに不二に文句を言っておきながら不二のとった方法しか思いつきやしない。
人の力も英知もなにもかも、遥か上の存在である悪魔達にちっぽけな私達がどうやって対処しろというの。
「伊藤さん、今頃こういう事を言うのは酷だとわかって言わせていただくと、人間の、我々の価値観で悪魔というのをはかることはできません。あの魔界の生きものたちの思考なんて俺たちには理解できない。目には目を、歯に歯を、昔の人間の残した言葉です。人間の報復範囲はたいてい相手個人のみで収まる場合が多い。大事な人が殺された、なら殺した奴が憎くて仕方なくなる。でもそこから殺した奴の母親、父親、兄弟、祖父母、従兄弟、仲の良い友達のことまで延々と恨み続ける人間なんてそういません。俺が知っているのも曹操やネロといった大国の王、驕り高ぶれる環境にあった人間だけです。でも悪魔は違う、自分のプライドが傷つけられれば傷つけた相手の周りにいるものを全て消し去ってしまう事など当たり前のこと。綾子さんの叔父という人が悪魔との契約をなかばでよりにもよって思いもしない裏切りという形で破棄された、謙譲される予定だった綾子さんは勿論手元にやってこないわ、契約相手に不死の力を与えても人間二人相手に手間取るは、それは悪魔にしてみれば消す対象にあってもおかしくなかった」
「・・・・それは俺も含まれているのか?」
「でしょうね、恐らく。まだ二人が本当に悪魔によって消されたのかは調べていないのでわかりませんが、もしそうだとすると―――あなたも危ういのかもしれない」
伊藤さんが息を飲み込む音がする。
でも伊藤さんは生きている、山崎さんと綾子さんの傍にいながらも生きている。
それは
「でもあなたがこうして生きているということは恐らくあなたはその悪魔の報復の対象外にあるのでしょう」
そういうことなのかもしれない。
けれど、伊藤さんに向けられるべきその矛先が契約の邪魔をした私と不二、そして私たちの周りの人間に向けられているのだとしたら。
「跡部、悪いんだけど私先にジロちゃんと離れの方見てくる」
「あ、あぁ。大丈夫か?ジロー、お前もあまり無理するな。伊藤さん、離れの方に行かせても大丈夫ですか?」
「あ、ええ。その廊下の突き当たりに石段があります。サンダルもそこにありますからそこから行ってください」
「ありがとうございます。行こうか、ジロちゃん」
「うん」
ペコリと頭を一つさげて部屋を出て行く。
後ろからジロちゃんがついてきていることを承知で廊下にでたところでズルズルっと私はしゃがみこんだ。
っち!?とジロちゃんが慌てて私の隣にしゃがみこんでどうしたの?と尋ねてくれるけれど、それにちょっと、とだけ答えて私は頭を抱えたくて仕方なかった。
事務所のみんなが襲われたこと。
山崎さんと綾子さんがなくなってしまったこと。
悪魔との遭遇。
考えなくちゃいけないことはたくさんある、まして原因が自分たちなのかと思うと涙がでそうだ。
なのに。
「最、悪・・・だ」
「っち?どうしたの?」
なんだ、この高揚感。
湧き上がる感情。
おかしいだろう、!お前の抱え込むのは不安と恐怖のはずだろう!
なんで、こんなに胸の奥で何かに会うことを喜んでいるのだろう!!
「喜んでるわけじゃない、嬉しいわけじゃない、喜んでるわけじゃない、楽しいわけじゃない、楽しいはずがあってたまるか!!」
「っち?ねえ、本当に大丈夫!?」
ジロちゃんの暖かい手が背中をゆっくりと上下しているのがわかる。
顔が強張って口のまわりが筋肉の緊張でヒクヒクとうごめく。
チャリンと金属音が聞こえてきて、ああ何の音だっけと少し顔をあげたところで首からぶらさがったチェーンの先にあるリングが目に入る。
わけもわからずそのリングをぎゅっと両手で抱え込むと、体の奥にくすぶる高揚感が少し引いていくのがわかる。
「ジロちゃん、私はいったい誰?」
「へ?」
「私は、。それでいいのよね?のなにものでもないのよね、私は」
まるで誰かに犯されていくような
感覚に冒される
わたしは本当に?