―――好きよ、あなたのことが好きよ。
誰に言ってるの。
―――あなたのこと、愛しているわ。
私の口から言葉が零れていく。
―――ふふ、あなたがわたしのことを愛していることは勿論知っているわ
なにを言っているの。
―――あなたのことでわからないことなんてないもの
とまれ!止まって、わたしの口!!
―――わたしを誰だと思ってるの
知らない!わたしはわたしなんて知らない!
―――あぁでもごめんなさい、あなたのそばにはいられない
やめて、やめて、やめて!
―――どうしてこんなにもわたしは―――なのかしら
わたしは私!よ!お父さんとお母さんの間に生まれて、榊太郎に育てられた女の子なの!
―――先にいなくなってしまうこと許してちょうだいね、バール
「・・・っ!!」
「あ、起きた?もう大丈夫?気分悪くない?」
肩で息をする私の頭上からジロちゃんの声がおちてくる、ぼんやりとした視界にその金色がはいってくる。
金色、あぁジロちゃんの頭だとはっきりしない頭でまわりを見渡せば見たことのない部屋と調度品がつぎつぎと見えてくる。
「のやつ起きたか?」
「うん、起きたみたい。ねえっち、もう大丈夫?どこか痛いとこある?ない?」
「・・・・・ここ、どこ」
「伊藤さんの旅館、お部屋借りたよ。っちあのまま意識失ったからさ、ていうか覚えてる?」
ぼんやりと、とだけ小さく答える。
まだ意識はあのおかしな声にひっぱられているような感じがする。
あぁでも倒れる前なにをしてたんだっけかと思い出そうとすればツキンと頭の隅が痛くなる。
「それよりもジロー、二人が泊まっていたという離れには行ったのか?」
「行ってみたよ、っちをこの部屋に寝かせてから」
「・・・・どうだった?」
「多分当たり、なんだと思う。向こうの匂いがうっすら残ってた、うん。あれはこっちの世界の匂いじゃないし淀みでもないよ」
そうか、と跡部の声が漏れる。
向こうの匂い、ジロちゃんの言葉に自分が今どこにいて何をしに来たのかをはっきりと思い出す。
二人の部屋に魔界の匂いが染み付いているということ、それはすなわち、二人はやはり魔界のなにものかによって葬られたということ。
「強い、匂いだった?」
「うっすら程度だからそこまではわかんない。俺だって所詮ただの夢魔だよ、魔王クラスにすらあったことないんだもん」
「そう・・・だよね」
「ごめんね、っち。おれ、あんまり役に立たなかったや」
しゅんと私が横たわっている隣でうなだれてしまった金色の頭に気にしないでと手をぽふぽふと置いた。
そうジロちゃんが気にすることなんて一つもない、跡部だって気にする必要なんてない、気にしなくちゃいけないのは私と不二だ。
ジロちゃんの感じた『匂い』が果たしてハボリムの匂いなのか、結局わかりやしない。
けれど、明らかになにかは私と不二へ向かってきている。
まわりの人間を巻き込みながら。
今日中に事務所に一度帰ると跡部が言ったことで、少しだけフラフラする体を跡部に支えてもらいながら伊藤さんの旅館を後にする。
何も言わない伊藤さんに私は何もいえなかった、何を言えばいいのかわからなかった。
言わなくちゃいけないことを言う、その勇気と決意がなかった。
バタンと私とジロちゃんが後ろの座席に乗り込めば運転手がドアを閉めてくれる。
伊藤さんがなにか言いたげに車の方を見ている、違う見ているのは車じゃなくて私だ。
ごめんなさいごめんなさい、何も言えなくて。
ごめんなさいごめんなさい、あなたの顔をまともに見ることができない。
―――コンコン
窓ガラスを叩く音にはっと顔を上げれば、いつのまにか車の傍にまで近づいていた伊藤さんと窓越しに目がしっかりとあう。
『窓をあけてください』
「っち、窓あけてあげてよ。伊藤さんとちゃんと話して?」
隣からジロちゃんの腕が伸びてきて窓ガラスがスーッとさげられる。
透明とはいえそこに確かに存在していた壁がなくなってしまえば、伊藤さんと私の距離はゼロだ。
「ご、ごめ・・・っ」
「さん、今日は来てくれてありがとう」
スッと伊藤さんの大きな手が頭に乗せられる。
跡部やジロちゃんなんかよりも大きな、パパ先生のような手。
「っく・・・い、とうさん、ごめんな・・・っさい、ごめっ・・・い!」
「ああ、もう泣かないで。泣いて欲しくないんだ、正直君に会ったときなんで今更とか思ってしまったけど・・・今となっちゃ僕はそんなことを思った僕を殴ってやりたい。僕なんかよりも君はその何十倍も何百倍も傷ついて傷ついて落ち込んで」
「ごめっ・・・」
「僕は君に感謝してるよ、だって山崎たちに会いにきてくれたんだ。山崎たちも君達に感謝こそすれ恨んでなんかいないよ」
ぐいっと指で目の下をぬぐわれる、それでも次から次から目にはあふれてくるものがある。
「だって二人だって君達に『ありがとう』って言ったんだから、笑いながら言ったんだから」
6月4日 17:39