「っち、寝ちゃった・・・」
「そのまま寝かせとけ・・・ていうかお前が膝枕してるのか?」
「うん、っちってば寝てるとかわE!」
伊藤さんの旅館から車が離れてすぐにはウトウトしはじめ、気付けば慈郎の膝を枕に後部座席で寝付いてしまっていた。
と不二のやつが山崎という男たちの仕事を請け負った日が3日前、そして間接的ではあったが依頼主の山崎さん二人が亡くなったという話を聞いたのが昨日。
つい昨日のこととはいえ今朝会った時のの顔を思い出す限り、昨日は寝てなんかいないだろうし頭の中も元依頼主のことだけでいっぱいなのもわかってはいた。
訪れた旅館で何故かが突然意識を失ってしまったこともあったが、それ以上に先程交わした伊藤さんとの言葉がよほどこたえたらしい。
俺と慈郎というなじみの人間がいたとはいえ、車の運転手や旅館の人間といった見知らぬ人間がいたにも関わらずワンワンと泣き続けてしまったこともあるのかもしれない。
「かわいいか?べちょべちょだぞ、の顔・・・」
「えー!でもかわいいよ、が泣いてるとこなんて初めて見たからかもしれないけどやっぱり女の子なんだなーって」
「・・・・・・」
「ほっぺたもぽよんぽよーん」
「お前もぽよんぽよんだぞ」
「よだれがたらーり」
お前よだれがでてても気にならないのか、いや寧ろお前それでもかわいいといい続けるのか。
慈郎の心の広さ・・・といってもいいのかわからないがそんなものを感じた。
のスースーという寝息が車の中に響く、その音を聞いているうちに車の振動と伴って眠気が襲ってくる。
ふと顔をあげれば膝にを乗せたままウトウトしはじめている慈郎の頭が目に入る。
目はぼんやりと細められていて今までの経験からいってあと1分ほどで完璧に寝入るな、と眺めていたものの突如その慈郎がカッと目を大きく見開いた。
眠りかけの慈郎が起きることなんて今までなく、一度寝始めれば慈郎が満足しない限り覚醒しないことから俺は思わず口をポカンとあけてしまう。
「お、おい。ジロー?」
「・・・・くる」
くる?
慈郎の覚醒だけでも驚いたのに、慈郎のきつい眼差しなんてのはこれこそ本気で本当に初めて見て思わずオイ!と声をあげそうになってしまう。
慈郎の「くる」という単語に意味がわからず首をかしげていると、派手なブレーキ音をたてて車が突然止まった。
突然の事で背もたれに思い切りドンと頭をぶつけ、あと少しのところで舌を噛みそうになってしまう。
痛いというよりも先に車の運転席を振り返りどうしたと声をはりあげる。
「おい、急に止まるなら止まると先に言え!」
「け、景吾様・・・ひ、人が突然目の前に・・・っ!!」
「あん?人だぁ?」
「そ、そうです。走っていた道路の目の前に突然人が現れました、つい先程まで何も誰もいなかったのに!」
そんな馬鹿な話があってたまるかとフロントガラスに顔をつきだし運転手の見ているものと同じ景色を視界にいれれば、電灯がポツポツとしか立っていない田舎の道にぼんやりと誰かが車の前に立っているのがわかる。
時間も時間、外は既に暗い。
月もまだ今日は四日で昼に見ることはできても夜に見ることはできない周期だ。
誰も通らないこんな道路のど真ん中で走る車の前に人間が飛び出してくるなんてことがあるのかと思わず眉をひそめたところで、後ろからガチャガチャと後部座席のドアを開けようとする音が耳に入ってくる。
「ジ、ジロー!?何してやがる!」
「あいつ、向こうのやつだ。跡部、あれ、人間じゃない」
それだけ言うと後部座席にを残し慈郎は車を降りてしまい、そのまま姿を追えば車のヘッドライトに照らされているにも関わらずぼんやりとしか見えない人間じゃないというヤツのもとへと歩みを進めていく。
その足取りに迷いはなく寧ろこっちが体の中でザワザワとするものをこらえるのに慌ててしまう。
「景吾様、芥川くんが・・・」
「お前はここでと一緒にいろ、いいな!?」
運転手の返事も聞かずに俺も慈郎のあとを追うようにして車のドアを開け放ち飛び降りようとして、一瞬後部座席に横たわるへと顔を向けた。
擦りすぎてまっかになった瞼は閉じられていて今は開くことはない。
それでいい、とドアをしめる直前右手をそっと差出し髪に触れるか触れないかというところで手をひっこめる。
「俺はお前がいなきゃ何もはじまらねぇ。誰でもねえ、俺の意思だ」
『よもやこのような場所で夢魔族に会うとはな、しかも人間なんぞと一緒におるのか』
「確かに俺は夢魔一族ではあるけど、この体には人間の血も流れてる。そんな俺が人間といるのはおかしい?」
『フン、我には関係ないことよ』
ヘッドライトに照らされてもはっきりと肉眼で確認することできなかったモノは慈郎の体の向こう側で、今はっきりと目にうつる。
確かに、慈郎の言うとおり人間ではないらしい。
人間に腕は四本もないし角も生えていない、まして尻尾なんてのはとうの昔に退化してなくなったものだ。
いつの間にか俺の体の中からはジュニアが飛び出していて俺の少し前で毛を逆立てて唸り声をあげている。
俺の中の何かがザワザワとして落ち着かないのは体の中のあいつ達がきっとジュニアと同じように目の前に佇む人間ではない相手に何かを警戒しているからなのだろう。
「じゃあここへ何をしに来たの?魔界は余程の事がない限り人間界に手を出しちゃいけないって暗黙の了解があったはずだよ?高僧がもうすぐお亡くなりになるとかって話は聞かないし、ここへやってくる理由が見つからない」
『夢魔ごときが我に口申すか』
「俺の親友がいるんだ、突然目の前に魔界の住人が現れて警戒しないとでも?」
ゆっくりと慈郎の体が地面へと傾いていくもののそれはふんわりと霞のように消えていき残るのはなにやら濃い色のフードをかぶった慈郎の体。
金色の髪は太陽の下でキラキラと輝きみなが羨ましがっていたが、この暗闇の中太陽がなくとも今慈郎の髪はキラキラと光を放っている。
夢魔特有の髪を持つ慈郎のこの姿を見るのは久しぶりだと異形のものと対峙する慈郎の背中を見つめながら俺は不謹慎なことを考えていた。
『それも道理。なに、匂いを感じてここへ我はやってきただけのこと』
「匂い?何の匂い?」
『・・・お前の後ろに佇む人間の男も良い匂いがする、なにもなければ食らってしまいたいとさえ思う甘美な匂いだ』
その言葉にザワリと空気がゆらめく。
体の中からいろんなものが抜けていく気配がしたと思えば、俺の飼っているやつらがどうやら全員抜け出てしまったらしく俺の体の前の前にズラリと並び不穏な空気を醸し出し始める。
その様を見つめていた異形のものは不気味な笑い声をあげると、一言面白いとだけ口をひらいた。
「させないよ」
『いらぬ。我には今それよりも大事なことがある』
「さっき言っていた匂いのこと?」
『ああ、お前や後ろの人間からはプンプンと匂う・・・』
ゆらりと目の前の尻尾がゆらめいた気がした。
ピクリと目の前のジローの肩が反応したものの、異形のものは動く気配を見せない。
『匂う、主が捜し求められている匂いに近い。お前達、主の探している者に近いのか?』
その言葉に頭の中にと不二の顔がパッと浮かび上がる。
異形のものの主が捜し求める者、それは恐らく人間で―――
俺の後ろに控えている車で寝ているのことなのかもしれなかった。
6月4日 18:14