小さくなっていくマミーの運転する車を阿笠博士と二人でぼんやりと眺めていると頭上からため息交じりの「灯子くんは変わらんなぁ・・・」なんて言葉が耳にはいってくる。
とうこくん?とかなり背の高い(ただし三歳児にしてみれば、だけども)阿笠博士のほうを見上げれば、博士はおかしそうに笑いながら「君のママのことだよ」と教えてくれる。
目覚めてから約4時間以上が経過してようやく、私は自分のマミーの名前を知ることができたのだ。
ただし、そのマミーももういない。
家にいないどころか日本にいない、やつはパピーと一緒にグリズリーのためだけに日本を発つのだ。
しかも今日、ていうか今さっき。

「展開の速さについていけない」
「んお?何か言ったか、くん」
なにもいってないよ、おじちゃん

いかん、三歳児の言葉使いなんてわからない。
もとより自分は一人っ子だったし(このおかしな世界でもらしいけれど)親戚にも赤ん坊なんていなかった。
もういっそのこと、語尾を全部「〜でちゅね」みたいなのに変えてやればいいのかとすら思いもしたけれど、それじゃあ完全に私が馬鹿の中の馬鹿に成り下がるような気がしてならない。

「さぁて、なにやらバタバタしてしまったがうちの中に入ろうか。くんの部屋も用意してあるぞ、と言っても灯子くんが模様替えやらなにやらいじっておったからすごいことになっておったが」
「すごいこと・・・・わぁ、やな予感満載。アリエネー」
「ん?なにか言ったか?」
なにもいってないよ、おじちゃん

そうか?と不思議そうに私を見下ろしてくる阿笠博士ににっこりと笑いかければ、博士も博士で気のせいだと思うことにしたのかぽんぽんと私の頭に手を置いた。
私の身長の高さからいけば博士の既にメタボリックシンドローム予備軍な腹の下あたりに自分の頭がようやく届くかどうかなのだが、それがとてつもなくはがゆい。
別にあのポヨンポヨンな腹に顔をつっこめば気持ちいいだろうななんてことは考えていないけれど、博士がしゃがんででもくれない限り、ぶっちゃけ腹が邪魔で見上げても博士の顔の一部しか見ることができないのだ。

「おじちゃんがご飯、作ってくれるの?」
「ん、ああ、そうじゃなあ。あまり料理はできんからほとんど外に食べにいくことになると思うんじゃが」
「ふーん。ならおじちゃん、キッチンは私が使うことにしてご飯は毎日私が作るね」
「は?」
「朝昼晩外食だなんてとんでもない、そんなんだからメタボリックシン・・・ゲホゲホ、言い過ぎた。身体に悪いでしょ、添加物とかはいりまくりなんだから外食なんて。ちゃんと毎日考えて栄養とかとらないと。それ以上にお金がもったいない!貯金って大事なのよ、アヒルだって知ってるんだから!」
「・・・・・・くん・・・さ、三歳の割りにしっかりしとるのう。というか君みたいな小さな子に火を使わせることは危なくてできんのだが」
「あは、あははは、お、おじちゃん、でも、お料理大好きだしおじちゃんにも食べてもらいたい、の・・・」

毎日外食だなんてとんでもない、まともなカロリー計算もできずにぶくぶく太っていく自分の姿が目に浮かぶ。
きっとこの三歳児の身体にはフライパンなんて重過ぎるだろうし包丁なんてバランスをとって持つことすら難しいに違いない。
が、しかし!
どうやら(仮)保護者である阿笠博士とそろってお隣の少年が名探偵になった時におデブだったらどうしたらいいというの!

くん・・・しかしだな・・・」
なにかいった、おじちゃん?
「・・・いや、なにも・・・」

わかればいいのよ、わかれば。
特許云々で稼いでいるらしいけれど、それじゃああまりにも将来が不安定すぎて年金問題やらなにやらで将来に対して不安ありまくりな上に貧乏性の私には外食だなんてはっきりいって、恐れ多い。
この一言に尽きる。
博士のお金は私がしっかりと管理して、無駄遣いも減らして、それからいつか小さくなるだろう隣人の少年を毛利探偵事務所ではなくてうちで預かってしまえばいいのだ。
蘭ちゃんなんていうあんなに美人で素敵な彼女をわざわざ危険にさらす必要はない、はずで。
ぶっちゃけ小さくなった少年は江古田にいるだろうマジシャンな彼に押し付けてもいいんじゃないかしらとまで考えてしまう。
ふと色々未来に起きうることを考えていた私はそういえば有名なお隣さんをあまりにもハードな展開が続いたせいでカケラも見ることがなかったなと思って首だけぐるりとお隣の豪勢な門の方へと向けてみる。

「・・・・見なかったことにしよう」

が、すぐに振り向いた先で見たものをなかったことにして私はどこか意気消沈している博士のたぷたぷのお腹に視線を戻した。

「あーん、新ちゃん!無視されちゃったじゃないのよぅ」
「母さんがブンブン手を振るからだよ!!」
「やあねぇ、手を振ったくらいでどうしてこのア・タ・シが無視されなきゃならないのよぅ!あーん、もう一回こっちに振り向いてくれないかしら」

絶 対 振 り 向 か な い ! !
だいたい見なかったことにしたのは某有名女優がなりふり構わず私に向かって門の隙間から身体を半分外に出してブンブンブンとアホみたいに両手をふったからじゃない。
勿論彼女の足元にいた小さな少年に会えた緊張から、というわけでもない。
あの二人、よりにもよって自分の家の門だというのに変装のつもりなのか顔半分が余裕で隠れそうなサングラスを装着し、さらにはマスクにスカーフを頭からすっぽりなんていう・・・それはそれはもう、とても怪しいの一言では済まない格好でこちらを伺っていたのだ。
どうせご近所さんには工藤夫妻の家だということは知れ渡っているに違いないのに、だ。
パパラッチ対策にしてもひどすぎる。

「おじちゃん、早くおうちに入ろうよ。喉が渇いちゃった」
「・・・はっ!そうじゃ、そうじゃ、早く君の部屋に案内してやらんとな。こっちじゃ、こっち」

後ろからバシバシと感じる視線をものともせず、博士の白衣の裾を引っ張って早く家の中に入ってしまうにこしたことはない。
とてもじゃないけれど、今のお隣さん一家とはお近づきにはなりたくない。

「いやーん、新ちゃん!あの子、結局こっち向いてくれなかったわ!!っていうか阿笠博士とどういった関係なのかしら・・・」
「ねえ、もう帰ろうよぉ・・・どうせお隣なんだからいつでも会えるじゃん」
「はっ!まさか、博士の隠し子だったのかしら・・・それでさっきのが愛人で、彼女はきっと誰かに嫁いでしまうのね。そりゃ博士はちゃんと自分の子供は引き取らなきゃね、でもおうちに引き取るっていう ことは認知はしてあるってことなのね。さすが博士、ひどい男ではなかったのね!!ああでもやっぱり隠し子がいる時点で駄目よね・・・」

後ろから聞こえてくるトンデモ妄想にまるでコントのようなガックリとこけた。
隣で同じように博士もこけているところをみるときちんと後ろのキャンキャン声は博士の耳にも届いていたらしい。
いや、下手したらご近所さん一帯にも聞こえているかもしれない。
明日から隣の人の良さそうな博士は『実は愛人もいれば隠し子もいた一人ヤモメの科学者』として米花町にその名を轟かせるのだろう。
かわいそうにとばかりにホロリと涙を流しそうになった私だが、ふとその隠し子が自分だと気付いて(今の今までまだ三歳児だという意識はなくて大学生のつもりだったのだ)涙なんて流してる場合じゃないといきり立った。
後ろの見た目も行動も怪しい親子にストップをかけるべく立ち上がった私だけれど、それよりも早く隣のぽっちゃり博士が行動に出る。
さすがに動きの遅い博士でもいかがわしい噂をたてられるのは勘弁なのだろう、耳がまっかっかだ。

「ゆ、有希子くん!頼むからそんな出鱈目を大声で言わんでくれっ!ご近所さんからの評判ががた落ちじゃないかぁ!!」
「あら、やっとこっちを向いてくれたわ!よかったわね、新ちゃん」

頬に手をあて妄想にふけっていたかのような怪しい親子その1は博士が慌てて近寄った途端コロリと博士に向き合った。
サングラスとマスクで表情はわからないけれど、それはもう素敵な笑みを浮かべているに違いない。


確 信 犯 だ よ 、 こ の 女 優 ! !


どうやら博士も同じ事を思ったらしい。
本日二度目となるズッコケを目の前で繰り広げてくれた。

「ゆ、ゆ、有希子くん・・・・」
「あーん、大丈夫よぅ!ダイジョーブ!」
「・・・どこからそんな自信が・・・」
『人の良いご近所さんな科学者』から『昔はブイブイいわしてた人の良いご近所さんな科学者』にランクアップされただけよぅ」

どこがどうやったら大丈夫になるのかはわからないけれどやけに自信満々な風で胸をはった女優に博士は燃え尽きたぜとばかりにまっしろに崩れ果てた。

「ところで博士?お隣さんであるアタシたちにはその子、紹介してくれないの?実は本当に博士の隠し子だったりするの?キャーいやぁん!!」

イヤァンなのは貴方のその頭だ!!と突っ込みたいのを必死に押さえ込んで、両手を頬にあてクネクネしている元女優をぼんやりと見ていると身長の高さからか、彼女の足元にいた後々有名になる少年とバチリと目があってしまった。

「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・ポッ」

なんだなんだなんだなんだなんだ以下エンドレス。
最後のポッってのはなんだ、ものすごく嫌な予感がビシビシとするぞ!!
人の顔を見るなり真っ赤になった少年に嫌な予感がしてクルリと踵をかえそうとしたところで、自分の息子に襲い掛かった何かに気付いたらしい元女優が男を虜にするのだろう美声をはりあげた。
それはもうご近所さんに一番迷惑をかけてるのは貴様だくらいの勢いで。

「まあ!まあ!まあ!新ちゃんってば、顔を真っ赤にしちゃって・・・はっはーん、さてはホの字ね!」
「・・・・・・・・・・ポッ」
「しかもお相手は博士の隠し子ね!?」
「・・・・・・・・・・ポッ」

博士に負けないほどの衝撃が私に襲い掛かってくる。
ぐらぐらするぜと思った瞬間、私は博士のすぐ後ろで新喜劇も真っ青なズッコケをしてみせた。







頭の中で眉毛の細い、体型とは正反対の名前をもつ占い師のしゃがれた声がリフレインする。
エンドレスエンドレスエンドレス、神のお告げの如く。


――今年のアンタは大殺界なんだよ、大殺界。おめでとう、大殺界!ブラボー大殺界!マンセー大殺界!せいぜい毎日を頑張って生きていくといいよ――