クロロという名前は父親がつけたものだと母親が言っていたような記憶がうっすらとある。
その父親がどこの誰だかわからないうえに、そんなことを言っていた母親ですらオレが3歳になる時にオレを流星街のすみっこに捨ててどこかへ消えていった。
用事を済ましたら戻ってくるわそれまでここで待っていてちょうだい。
それが最後の言葉だったと思う、母親の用事が終わるのはいつだろうと帰ってこない母親をおなかがすくのも眠くなるのもこらえながら待って待って待ってそしてオレは捨てられたんだということをウボォーさんに教えてもらった。
母親に捨てられたということにショックを受けなかったといえば嘘になるけれど、ウボォーさんにはじめて会ったときに言われた言葉が忘れられずオレはそこまでひどく落ち込む事はなかった。
もともと母親は男遊びの激しい女性だった、オレは家の中にいていない存在でもあった。
小さいながらにいつかオレは独りになるだろうとどこか予感めいたものもあったくらいだ。
「お前シアワセものだな!名前もあってミョージとかいうのもあるんだろ?オレ達みたいに『名無し』ってわけじゃねえじゃねえか!」
ボスボスと大きな手のひらで頭をなでられたのを今でも覚えている。
流星街のすみっこでおなかをすかせて丸まっていたオレに気付いて手を差し伸べてくれたウボォーさんの腕の中にはシャルナークがいて、ウボォーさんからシャルも彼が拾ったことやこの街のことを彼の家に向かいながら教えてもらった。
飛び交うハエと鼻を一瞬にして麻痺させてしまうほどの臭気、これのどこが街なんだとウボォーさんに手を引かれながら当時のオレは心底思った。
「フランクリンがお兄さんなのかと思いきやウボォーギンがお兄さんだったんだねぇ、実質的な意味合いで。こりゃ驚いたさねぇ」
「でもウボォーさんが拾った人間はオレとシャルだけだって言っていたよ、他のみんなはいわゆる寄せ集めってやつに近いから」
子供は勉強をしなくちゃいけません、の家の子になってから一番に言われた言葉がこれだった。
子供はしっかり食べて遊んで寝なくちゃいけません、それが二番目に言われた言葉だった。
フィンクスとウボォーさんは『勉強』に関してだけわずか20分でリタイアしていたけれど、オレやフランクリン、シャルにそれからなんとフェイタンはなんだかんだで一ヶ月以上続いている。
この家に住んでいないマチやパクもたまに母さんと一緒に『勉強』をするけれど、それでも時々逃げて母さんに怒られる。
数学だとか化学だとか物理だとか料理だとか音楽だとか、内容はぐちゃぐちゃのごちゃごちゃだ。
母さんの好きなものを気分でやる、好きな時に好きなものをやる、それでも『授業』っていうのは楽しかった。
生きていくうえでこんなもの必要ないのよ、と『勉強』をする前にオレ達の顔を見渡しながら言った母さんはそれでも『勉強』の時間を潰す事をよしとしなかった。
勉強なんてつまんないとこぼしたマチに怒るわけでもなくただ頭を撫でながら、生きていくうえでこんなもの必要ないけれどひょんな時にひょんな事で使えるのが『勉強』なのよと笑いながら母さんは口を開いた。
じゃあ母さんにひょんな時があったのと尋ねるマチに母さんは笑みを深めて『今がそうでしょ?』とさえ言った。
「さぁ、クロロ。今回の分はきちんと全部正解していたからね、もう時間も時間だし今日はもう寝てきなさい」
「・・・・もう少しだけ、喋ってちゃダメ?」
「いやん!私を悶え死なす気ならオッケーだしちゃうけど、私もそろそろ足がつらいんだよねぇ」
机を挟んだ向こうに座っている母さんの膝の上には読みかけの本を手から落としそうになりながら母さんにもたれかかって寝てしまっているシャルナークがいる。
オレにはいつも一緒にいるからわからないけれど、母さんいわくシャルは日に日に重くなってきているらしい。
やっぱり子供の成長は早いさねと俺たちを見ながら別の誰かを見ているときがたまにあるけれど、ミツヒデいわくそれは新しい家族をもった娘のことを思い出してるんだろうってやつらしい。
娘ってマチやパクがいるじゃねぇかと口をとがらせながらぼやいたノブナガにミツヒデは少しだけ困ったように笑うと、昔の自分を思い出すのは大人にとってたまにしょっぺぇんだと訳のわからないことを漏らした。
誰よりも子供っぽい母さんに「大人」なんて単語は似合わないとあの時思ったんだっけ。
「思い切り爆睡してるみたいだからさ起きないと思うんだよね、シャル抱えて部屋に戻ってくれる?ちょっと足動かすだけでもビリビリきて立ち上がれそうにないのよぉ」
「・・・・仕方ないなァ。その代わり今度みんなと違う『体育』の授業してくれるって約束してよ」
「体育ねぇ、お前達みんな体育だけは好きだねえ。マチもパクも好きとか言っちゃってさ、キキョウなんて服がよごれるから嫌だとか言ってたくらいなのに。じゃあ明後日はどう?」
「明後日ね!絶対だよ、約束だからね?約束破ったら針百万本飲ますからね」
「・・・・普通千本じゃないの?」
「だってやるのはフェイタンだから。それじゃ母さん、おやすみなさい」
「ん、おやすみ〜」
シャルを母さんから受け取って背中に背負うとオレはそのまま母さんと一緒に勉強をしていた居間を出て自分達子供部屋に続く廊下を歩き出す。
フィンクスとウボォーさんは確実に寝てる時間だ、フランクリンも今日は二人に付き合っていたから疲れてもう眠ってるはずだ。
予感というよりも確信めいたものは見事当たっていて子供部屋は真っ暗でゴガーゴガーと五月蝿い鼾が響いている。
シャルのベッドにころんと転がす際にガツンとシャルの頭をベッドのはしっこにぶつけてしまったけれど、母さんの言うとおりあんなにいい音をたててもシャルは起きなかった。
ふぅと安堵のため息をついてオレも寝ようと自分のベッドに向かい布団の中にもぐりこもうとした瞬間、明後日はパクと第六地区まで遊びに行く約束をしていたのを思い出した。
遊ぶ時は思い切り遊べという母さんの言葉に素直に従ってその日は一日中遊ぶ約束をしてしまっていたのだ、まぁ遊ぶというよりも探検という言葉の方が近いけれど。
「約束の日、変えてもらわなきゃ」
むくっと起き上がると裸足の足でぺたぺたと歩きながらうっすらと真っ暗な廊下にまで明かりが漏れている居間に向かう。
子供は寝るのも仕事、っていうのが母さんの口癖でみんなと子供達だけで暮らしていた頃は寝る時間なんて決まってもいなかったし夜遅くまで起きていたのに今じゃ必ず8時過ぎにはおやすみなさいだ。
母さんがいつ寝ていつ起きてるのかなんて一緒に寝ていたシャルなら知ってるかもしれないけれど、この家に住みだした当初から子供部屋を与えられたオレは知らない。
今日だって無理言って『勉強するから』といって11時過ぎまで起きていられたのだ。
約束の日をいつにしようなんて考えながら居間のドアに手を伸ばそうとして、中からボソボソと誰かが喋っている声が耳にはいってくる。
誰かなんてわかりきったことだ、母さんとミツヒデしかいない。
何の話をしてるんだろうと興味をもったことは確かだけれど、最近毎日8時に寝ていたからか結構目がしょぼしょぼしているのも確かで早く約束の日を変更だけしてもらって寝ようとノブに手をかけようとした。
「でっかいガキどもには母親と呼ばせているのにノブナガには呼ばせないつもりか?お前が母親だろうが」
そんな眠気もふっとぶような言葉が聞こえてくるまでは。
確実にノブをまわそうと思っていたのだ。
「だいたいいい年してママもなにもないだろうが、慈善事業のつもりか?今度はカバンとあいつらを置き引きにあったわけでもねえんだろうが」
「慈善事業だなんて思ってないよ、目の前に将来有望なコドモがいたらつい拾いたくなるでしょ?」
「ついもなにも拾いたくなんかならねえよ。まあキキョウは何も言わねえだろうがアイツの部屋をまるまる改造して子供部屋まで作りやがって、ここは一応俺の家だぞ」
「でも私の家でもあるでしょ?だいたいこの家、もともとこの居間しかなかったじゃんか。家が大きくなったのは私のおかげなんですからね」
「家が大きくなったところで使ってるのはお前なんだから感謝もへったくれもあるか、ったく。ノブナガのヤロウが最近機嫌悪いんだぞ、わかってるか?」
「わかんねえよ、なんで?」
「一応アイツの部屋はそのまま残してあいつ一人で使ってるが、急にお前だけじゃなく6人も一緒に住むことになったんだ。まだ戸惑ってるんだろ、お前への接し方だとかな」
「ミッチーの家族は自分だけだと思ってたから?いい子に育ってくれてるじゃない、やっぱりミッチーに預けて正解だったかな」
「ふざけんな、生まれて間もないノブナガを俺に押し付けやがって!キキョウを育ててなかったらアイツ今頃この部屋のどこかでひからびてたぞ」
「ミッチーなら大丈夫だと思って。第一あのころ私、樹林巡りで忙しかったしそんなところに赤ん坊のノブナガを連れて行けないじゃん」
「だからってなぁ、『これノブナガだから』の一言だけ残してさっさと消えちまうのはどうかって言ってるんだ!まあ、らしいといえばらしいけどな」
「だってミツヒデ=ハザマときたらノブナガ=ハザマに決まってるのよ、決まってるの。本当ならヒデヨシとかイエヤスとかでもよかったんだけど、ノブナガはノブナガじゃなきゃダメなんだもの」
母さんとミツヒデの会話をそこまで聞いて俺はすぐさま踵をかえして子供部屋に戻って自分のベッドの中にもぐりこんだ。
布団を頭から被って真っ暗時々ちょっと酸素不足な布団の中で、さっきの会話を思い出してみる。
お前が母親ってのはどういうことだろうか。
生まれて間もないノブナガってなんだ。
ミツヒデ=ハザマときたらどうしてノブナガ=ハザマって決まるんだ。
これはもしやもしかするのではないだろうか、悶々と色んな考えが頭を巡っては消え巡っては消えていく。
ミツヒデの子供だからノブナガはハザマを名乗れるのか、あぁそういえばよくよくミツヒデとノブナガを見比べてみるとちょっぴり垂れぎみの目とかでかいような奇妙な鼻とか似てないか、ていうか性格も似てるんだよな、着物も好きだしなんだかんだでノブナガもミツヒデのこと大好きだし。
あぁやっぱりノブナガは・・・・ともやもやと考えている最中にオレの意識はぶっとんだ、つまりは眠ってしまったのだ。
朝になって、シャルに元気よく起こされたオレは目をゴシゴシこすりながら昨日のことを思い返していた。
あれは夢だったのか、なんだか記憶があいまいだけれどあれは本当の話なんだろうか。
冷たい水で顔を洗って頭をすっきりさせなきゃと洗面所に向かったところで、洗面所から出てきたらしいノブナガとぶつかる。
なんてタイミング、まるではかったかのようなその出来事にオレはなんでオレがこんなにノブナガのことを考えなきゃならないんだと少々睡眠不足でいらいらしていたこともあってボンとノブナガにたいして爆発した。
といっても殴りかかったりとかじゃない、ちょっとつーんとした態度で
「オレだけじゃなくてお前も父親もいれば母親もいるじゃないか!それも一緒に住んでるなんて!ノブナガなんかオレよりシアワセものじゃないか!ウボォーさんにちくってやる!」
ってわけのわからない顔をしたノブナガに言ってやっただけだ。
まさかこれが後にとんでもない事件を起こすだなんて思いもしなかったんだ。