この日、曹孟徳が治める魏の国の本拠地、許都では舜典の儀(お正月の大行事)が盛大に行われていた。
宮殿の大広場に集められたたくさんの兵士がずらりと居並ぶそのはるか後ろには数多くの民の姿もある。
春暦を祝う人々の顔は明るく、少なくともこの舜典の儀が行われるまでにも既に町では多くの祭りがあったはずである。
それでも人々はやれめでたい、やれめでたいと酒をかわし肩をくみ毎日を祝っていた。
舜典の儀のある今日、献帝ではなく曹操が人前に姿を現し祝いの言葉を述べるとお触れがあり多くの人がかの人を拝見しようと宮殿へとかけつけた。
広間に集まる人々の姿は兵士の姿も含めると、まぁ蟻の集団、ようはキモイとしか言いようがなかった。

「うーむ、緊張するのぉ」
「本当にしてるか、孟徳?とてもじゃないが緊張してるようには見えんぞ」

そんな蟻、いやいや、人々の姿を宮殿の柱の影からコソコソと覗き見ているのは皆が待ちに待ち望んでいる、曹孟徳、その人である。
彼の傍に立ちあきれたようにその姿を見ているのは彼がこの世で一番信頼している人間、夏侯惇だ。

「しておる!馬鹿にしておるのか、元譲!濃だって緊張くらいするわ!」
「そうか。それならいいが、その靴はなんだ。ん?」

そう言って目の前でえばりくさっている曹操の足元に夏侯惇は冷たい視線をよこした。
そしてそのままツツツ…と視線を上に上げていき、ちょうど目と目があうところまでいくとハァとため息をこぼす。
夏侯惇の身長は188センチ、それに比べ曹操の身長は174センチである。
約15センチの身長差、定規で調べてみるとわかるが意外とその差は大きい。
つまり、視線も夏侯惇はいつも見下げる形になり曹操は見上げる形になるのだ。

が。

「なぜお前の顔が俺の目の前にあるんだ?ん?」
「おお!昨日飲んだ山羊乳が良かったのかも知れぬ!濃の身長もおぬしとそうそう変わらんぞ!」

えばりくさった曹操の顔は夏侯惇の目の前、見下ろすどころかまっすぐそのまま目の前、にあるのである。
明らかにおかしい。
昨日、いや昨晩まであった身長差15センチが突如として消えたのだ。

「ぬかせ!」

夏侯惇はそう言うや否や、ベロンと曹操の下衣をめくりあげた。
よりにもよって今日に限って靴まで隠れる衣服を着てきた曹操だ、考えられる事は一つしかない。

「ぬぅ!破廉恥だぞ、貴様!」
お前以上にこの世に破廉恥な存在はおらぬわ!なんだ、この靴は!!」

ベロンとめくりあげられたその下には曹操の靴がちょこんとのぞいていたのだが。

「何故こんなに厚さが高いのだ!竹馬か!?お前は竹馬に乗ってるつもりなのか!?」
「これはシークレットブーツというものだ。素晴らしいだろう、これでお前は勿論悪来もなんのそのじゃ」


ふははははははは。


某軍師にも負けぬ高笑いっぷりに夏侯惇は下衣をめくりあげたままがっくりとばかりに膝をピカピカに磨き上げられた床に突き今日だけで何度目になるのかわからないため息を再びこぼした。
本来の靴の下にまるで木の塊(分厚さ20センチ弱)をくくりつけたようなその靴にちらりと視線をやるが、もはや切り取りたいとか脱げとか言葉もでてこない。

「殿、将軍。一体何をしていらっしゃるのです?」

下衣をめくられたまま高笑いをしている中年親父(しかし主君)とその下衣をめくったままなにやら落ち込んでいる見かけ中年親父(しかし大将軍、それも20代)が二人してひっそりこそこそと物陰にいるのである。
きわめて異常な光景である。
冷ややかな声とともに現れた荀攸はしかし所詮日常茶飯と全く気にも留めずつかつかと二人のもとに歩み寄ると、失礼と一言こぼすとめくられたままの曹操の下衣をささっと直しすぐに夏侯惇に「人の目に付きますよ」と一声かける。

「すまん、荀攸殿」
「いーえ、多少破廉恥な行動をしていようが乳繰り合っていようが私には関係ないことなんですけども一応ここは人目にもつきますからね」
「いや、ちょっと待て。なにかおかしくないか!?」
「おお、荀攸!濃の新しい靴を見たか?素晴らしかろう!」
「えぇ、殿。とても素晴らしい御靴でいらっしゃいますね。ですが、予定の時刻より半刻ほど過ぎましたがいつまでも言われた場所に現れずこんなところで将軍と二人して乳繰り合っているのはどういうことです?」

笑顔がとっても怖い。

「時刻は守っていただきたいですね、時刻は。良いですか、君主ともあろう貴方様が時間を守らないでそれを間近で見る兵士たちが時間を守るとでもお思いですか?君主自堕落、兵士自堕落。まぁ自堕落なのは夜の方もですけど。最低です、最悪です、私泣きますから。大泣きしますから。今泣いてもいいくらいなんですけれども、どうします?今日は兵士だけでなく多くの民の前にもそのお姿を見せるめでたい日なのでございますが、本当にわかっていらっしゃいます?なんなら叔父上ともう一度説明さしあげますがいかが」
「ふぬぅぅぅ!すまぬ!頼むからもうやめてくれぇぇぇ…勘弁してくれ…」

さりげなく皮肉どころか貶し言葉もはいった発言だったがいつにもましてキラキラと輝く笑顔とそのつむぎだされる言葉の速さに曹操は頭と耳を抱えこんで座り込んでしまう。
それを見届けると荀攸はニコリととどめの笑顔を振りまき、「それでは参りましょうか。時間もかなり押していますので」とかなりの部分を強調して曹操を促し奥の廊下へと消えていった。

「さすが荀攸殿だな」

その二人の後姿をぽかんと見つめつつそう呟いた夏侯惇であったが。
彼は散々荀攸に『曹操と乳繰り合っていた』と大声で喋られていた事をすっかり忘れてしまっていたのだった。























姿を現した曹操に人々の歓声は一段と大きなものになる。
普段はお目にかかることなどないこの国のトップである(献帝の存在は薄い)
多少背の低い方だとは群集たちのほとんどは聞いていたが現れた曹操はスラリとたっぱのある好青年ならぬ好親父である。
ただ、なんだか目の錯覚でなければ異様に足が長かった。足長おじさんよりもながかった。
八頭身どころか十一頭身だった。
しかし目の前に群がる蟻、いやいや失礼、兵士や民たちは「さすが曹操様」とわけのわからぬ思い込みをすると雄たけびや曹操様ァと黄色い声があげはじめた。
時々彼の後ろに控えるツルリンからも雄たけびが聞こえてくるが、気にしない。
人々のその姿に満足感を覚えた曹操はヒクリと口の端があがるのがわかった。

(今日は素晴らしき日じゃ。こんなに素晴らしき年明けとなると、今年一年なかなかに期待できそうではないか)

ムフフフフと主から妖しげな笑い声が聞こえてくるがツルリンの雄たけびとポヨンポヨンの腹の音でほとんどかき消されてしまっている。

ゴホン。

曹操が喉の調子を確かめるかのように咳を一つ。
その瞬間すーっと広場が静まり返っていく、まるで一つのマスゲームだ。
さらにその光景にニンマリと笑みを浮かべムフフと今度は胸のうちで笑っておく。

(ここは一つかっこよくキメねばらなぬの)

曹操の放った言葉に感動し涙を零す者もいれば先ほど以上に雄たけびをあげる者や黄色い声をあげる者がいる。
そんな中でみんなにちやほやされる189センチの曹操。

描きあげる妄想に曹操は笑みをとめることなどできなかった。

「皆のもの、今日はよく」
あ!!!今太陽が何かで翳った!!

気合一発とばかりに声をはりあげた曹操の一声は、それいじょうに張り上げた誰かの声によって一瞬にして消え去ってしまう。
目の前に広がる群衆や兵士たちも一瞬にして曹操から太陽へと視線を移動させ、誰も曹操のほうを見ようとはしない。

「わ、濃の話を」
なんだ、あれ!?
お、おいらも見たぞ!今なにか黒いものがっ!!
「ぬぅぅぅ!!だから、濃のっ」
人?あれは人か?
人だと!?人が落ちてきている…?
人だーー!!人が落ちてきているぞーーー!!
なにー!人だとぉ!人が空から落ちてきているのか!?
きゃー!本当よ!人が空から落ちてきているわっ!!!
「濃の話を誰ぞ聞いてくれい…」

曹操の放った言葉に感動し涙を零す者もいれば先ほど以上に雄たけびをあげる者や黄色い声をあげる者がいる。
そんな中でみんなにちやほやされる189センチの曹操。

あっけなく曹操の妄想は砕け散った。